11.07
グルメに行くばい! 第16回 :野菜の手巻き寿司
また転勤の辞令が出た。行き先は名古屋だった。
「えーっ、また名古屋かよ」
既に3年間、名古屋で働いたことがある。
サラリーマンに付き物の転勤に異を唱える気は全くなかった。が、転勤先だけは意に染まなかった。
どうせ転勤するのなら、大阪でも、生まれ故郷の九州でもいい。まだ勤務したことがないところに行きたい。そう願うのは贅沢だろうか?
会社は贅沢だと判断した。だから2度目の名古屋だった。
とはいえ、家に帰れば、母鳥が1羽、餌を求めてピーピー鳴く雛鳥が3羽もいる。私だって、腹を空かせるのは好ましくない。このような客観情勢が揃うと、不当配転の幟を掲げて戦う強さはどこかになくなる。
名古屋に向かった。2月である。
内示は前年末に受けた。
その直後、職場の仲間と飲んでいて、
「手相を見に行こう」
という話になった。
何かに悩むヤツがいたのではない。私にしても、転勤ごときで落ち込むほどヤワではない。酔った勢いの、単なる遊びである。
5、6人で新宿まで出かけた。
「あー、どれどれ、拝見しましょう。ふん、あなたは計算に長けておられるようですな。ということは、会社のなかで経理とか、そう言う関係のお仕事ですか?」
同僚が見てもらっているのを横で見る。見当違いも甚だしい。体質的にペンだこができやすいヤツの指で判断したらしい。バカめ!
この同僚に計算なんかできるわけがない。ヤツに給料計算なんかやられた日には、ひょっとしたら月ごとに給料袋の中身が変わってしまう恐れがある。
「おれ、他のところで見てもらうわ」
別の手相見を探した。いる、いる。いっぱいいる。
長い列ができているところに並んだ。列が長いのは、評判がいいからだろう。
たまたま、同僚の女子社員と2人になった。彼女は立派な亭主持ち。しかも、亭主にメロメロの女性である。私が忍び込む隙間は全くない。例え隙があっても、こっちにはその気がまったくない。
(余談)
仲間内で飲んでいて、スッと私の横に寄り、
「大道さん、あなた、私のこと好きでしょう?」
と言ったのはこの女である。
私にも好みはある。とんだ勘違い女である。
私の番になった。私の左手をとってしばらく眺めた手相見は、やおらいった。
「あなた、近いうちに、住居関係で何か変動がありそうですな」
私は、手相で未来が予見できるなどということは、全く信じない。
そんなことができるのなら、この手相見のおじさんは、まず自分の手相をじっくり見るはずである。あるいは、お金を払ってでも競馬騎手の手相を見て回るはずである。
その上で馬券を買えば、大金持ちになる。
大金持ちになれば、年末、寒風吹きさらしの街頭で他人の手相を見、1人頭3000円也のお金を稼ぐなんて仕事を続けるか?
今頃は、暖かい部屋で美姫を侍らせ、シャトー・マルゴーでも楽しんでいるのではないか?
私ならそうする。
しかし、である。
このおじさん、内示されたばかりの私の転勤を言い当てた。なにしろ、「住宅関係で何か変動」なのである。
異動の内示は、まだ同僚にも話していいなかった。
人間とは他愛のないものだ。正確に言うと、この瞬間、私という人間は他愛なかった。
「このオヤジ、当てやがった!」
と、半ば信じてしまった。半ば信じて、
(それなら、俺にも知りたい未来がある)
と考えた。
「そうかね。わかった。それでね、ちょっと見てもらいたいことがあるんだけど……」
「はい?」
「私の女性関係はどうなるかなあ?」
「えっ、女性関係ですか?」
手相見のおじさんの視線が、スッと横にスライドした。視線の先には、我が同僚の女性がいた。
「あのー、それを見て、本当によろしいんですか?」
なかなか気の回る手相見のおじさんである。同僚を、私の妻か愛人と思ったらしい。そんな人の前で、あなたの女性関係の話をしてもいいのですか? というのである。
「構わない!」
断固として答えた私は、手相見のおじさんの目にはどう映っただろうか?
(不埒な客)
後ろの方から、
「あの2人、きっと不倫よ」
「でも、男の方が、これからの女性関係を知りたい、なんていってるから、きっと、もう終わりなのよ。目の前で、これからの女性関係を聞くなんて、当てつけよ。嫌味な男ね」
という声が聞こえた。列に並んでいた若いバカ女どもである。
ふん、お前らみたいにケツの青い、頭が温い連中の想像力はその程度か! 不倫? 男日照りが続いて、漫画でも読み過ぎて、不倫願望で頭がパンパンになってるんじゃあないのか!?
もっと勉強したまえ! もっと体験を積みたまえ!
いまのお前らはたんなるヒヨッコである。深くて、複雑で、苦くて、甘くて、とらえどころのない、人生の本当の姿なんて、見えていない!
断固として答えた私に、手相見のおじさんは話し始めた。
「どれどれ、うーむ、新しいご縁は、かなり近いですな。早ければ来年の夏場、遅くとも翌年の春までには、新しいお相手が出てきます」
「ほんとかね?」
「手相には、そのように出ておりますが」
名古屋に転勤した。今回は、初めての単身赴任だった。子供がそのような年齢に達していた。
単身赴任である。
新しいご縁
である。
いかにも、ありそうな話ではないか。 夢が、希望が、膨らむのを避けるのは難しかった。
4月から5月にかけて忙しかった。
8月に次の仕事の山が来た。土日を休めないだけでなく、夏休みも放棄せざるを得なかった。
(余談)
ふだんからあまり体力がない我が部下が、ヘロヘロになっていた。せめて2,3日だけでも休ませたかった。もうひと山来るかもしれないのである。寸暇を惜しんで休んでおかないと、いざというときに矢折れ刀尽きた兵士ばかりになってしまう。人間は機械ではないのである。
「交代で夏休みをとりたい」
と訴えた。上司は
「こんな面白い仕事にぶつかっているのに、休みを取りたいという神経が理解できない!」
と言ってのけた。
3度、同じ抗議をした。3度とも同じ返事が返ってきた。
そんな経緯で、夏休みがなくなった。
あっという間に、秋風が吹き始めた。
ふと、手相見の話を思い出した。
「おや、もう秋か。そうか、早くはなかったんだな。ま、遅くとも来年の春までには、だからよ。焦ることないわ」
年が改まった。仕事は比較的暇になった。
夏が来た。
「やっぱり、手相って当たらないよなあ」
とつぶやいていた。
気にかかる女性も、気にしてくれる女性も、皆無のままだった。
掃除も、洗濯も、相変わらず自分でした。せざるを得なかった。
(一口コメント)
単身赴任が身にしみた。
で、単身赴任の冒頭に戻る。
転勤が決まって、たくさんの人に送別会を開いてもらった。異動が公表されて赴任までの2週間、土日を除けば、毎日送別会だった。酒、酒、酒、酒、酒、の日々である。残念ながら薔薇も、肉林もなかった。
(一口コメント)
転勤するのにも体力がいる。
送別会をしてくれた1人が、
「大道さん、ぜひこれを持って赴任してください」
とプレゼントをくれた。5冊組みのレシピだった。
独り暮らしである。誰も食事を作ってくれない。3食とも外食である。栄養が偏る。健康に悪い。
たまには、できればしばしば、自炊をしろ。自らの手で栄養バランスをとれ。元気で単身生活を乗り越えろ。元気なまま帰ってこい。
心温まる嬉しいメッセージだった。
(余談)
このころ、私の中には手相見の予言が生きていた。
レシピ集など必要ないと信じて疑わなかった。
心が温まっても、腹がくちくなるわけではない。目の前に食事がでてくるわけではない。
美味いものは食いたい。健康でもいたい。が、自分で作る自信はまったくない。
そもそも、レシピを見た程度で、美味しくて栄養バランスの取れた食事が作れるのか? そんなに簡単なら、料理学校も、専門の調理師も要らないではないか!
せっかくいただいた温かいメッセージだ。名古屋まで運びはした。だが、あとは部屋の隅で埃をかぶっていた。
自炊とは無縁の暮らしが続いた。
平日。
朝、会社に向かう途中で定食を食べるか、社員食堂で朝定食を掻き込む。どんぶり飯にみそ汁、納豆、漬け物、のり、たまに卵。その程度である。
昼は、そこいらで食べる。
夜は、ほとんど会社の隣の小料理屋で食べる。
酒と、魚(肴ではない)と、おにぎりにみそ汁。たまにエシャレット、ほうれん草のお浸し。
足りない。野菜が、決定的に足りない。
という知識は、まだなかった。野菜も食べなきゃいけないのかなぁ、という程度だった、このころは。
間もなく自炊を始めた。切っ掛けはいくつかある。
1,経済的理由
土日も外で食べる。昼飯は、まあ、800円から1000円。夜はどうしても酒が入るから、4000円から5000円。締めて、1日5500円としよう。
土日は月に8回から10回ある。平均9回とすると、
5500×9=49500円
5万円がところ飛んでいく。
平日も外食である。とすると、
5500×30=16万5000円
後輩がいっぱいいるから、4500円で済まない夕食が結構ある。
食べるだけでこれだけ飛んでいく。エンゲル係数は天文学的な数字に跳ね上がる。
本も買えない、映画を見ることもできない。スキーにも行けない。コーヒーすら飲めない。そもそも、そんなに大量のお金は、どこからも湧いてこない。
節約を考えるのは、理の当然である。
2,味覚的理由
名古屋には、いくつか特色がある。
・道路が広い。
・お土産に、やたらと金の鯱(しゃちほこ)が出てくる。
・ 地上に人が少ない。
・ 芸事が盛んである。
・ よそ者に警戒心が強い。
・ 大企業が都心にない。
・ 美人が……
数え上げればもっともっとある。
が、食に関連するのは次の1項目である。
・ 美味しいものを出してくれる店が少ない。
平日は仕方がない。どこにいようと、昼食、夕食はおおむね外で済ませていた。自宅で3食食べるのは、ほとんど休日だけの生活を長年続けてきた。
それに、会社に近くにある行きつけの小料理屋「かつら」は、安くて美味しかった。しかも、ボーナス払いができた。週に2、3度は「かつら」で夕食をとった。
(注)
「かつら」は、私が再び東京に転勤したあと、閉店しました。悪しからず。
私という上客を失ったことが、大きく経営に響いた、とは誰も申しておりません。
問題は土日と祭日である。
夕刻、一人で部屋を出る。
「今日は、どこで、何を食べようか」
考えながら歩く。考えてもなかなか思いつかない。歩いて行き着く店もある。バスに乗らねば行けない店もある。
土曜日はまだ開いている店が多い。頼みの「かつら」も、土曜日は営業していた。切羽詰まれば、「かつら」まで歩く手がある。
が、日曜、祝日の夜ともなると、閉じている店が多い。「かつら」も閉じている。開いている店に入るしかない。
ビールを頼む。おつまみを2、3品とる。おかずをとってビールを追加注文し、食事となる。食べ終える。
「勘定して」
「はい、ありがとうございます。………………(計算中)。はい、4350円いただきます」
4350円。それはいいとしよう。いいとしても、いつも1つだけ疑問が残る。
「4350円もの代金に値するものを、この店で食べたか?」
なにしろ、東京では畏友「カルロス」の導きもあって、グルメの道を順調に歩んできた私である。その世界を覗いてしまうと、そうではない世界に馴染めなくなる。松島菜々子と半年暮らすと、他の女とやり直す気になれない。
良きものに慣れてしまうと、元に戻れない。人間はそのようにできておる。
お金に不安がある。しかも、お金を出しても、美味しいものではなく失望を味わってしまう。
どうする?
自作するしかない。
美味しい物ができなくても、節約だけはできるではないか。
(独り言)
ここにも、クリスキット精神が生きていたのか?
これほど明晰な論理はない。明瞭な結論が出せたら、インテリは粛々とその結論を実行する。
次の土曜日。あの、ほこりをかぶっていたレシピを引っ張り出した。今日の夕食は、自分で作る。
さて、何を食べようか?
全5冊を捲った。各ページに、できあがりの写真と、そこに至るまでの制作方法が詳しく書いてある。
料理の素養が全くなく、これから料理の道に踏み込もうという人間がいる。彼、あるいは彼女がほとんど初めてレシピを読んだとき、最初に脳裏に浮かぶのは何か。
私の場合、
「不味そ!」
であった。
どの写真を見ても、えらく手がかかっている。厚化粧の人工美人である。私は素肌美人を好ましく思う。素肌で勝負できなくて、何が美人か!
若いうちから、
「鼻の端と目尻を結んだ線上まで眉を伸ばします」
なんて知識ばかり身につけて、教養を積むなんて言葉すら知らないバカ女が増えすぎて、さっぱり食欲がでないのよ。何とかしろよ!
いや、レシピの話であった。レシピの写真を見つめて、一定の労働の後にできあがって口に運ぶ、と考えると、どうも困難な労働に値しそうにない。ちっとも食べたくならない。
が、そんなことを言っていたら、また外食をするしかなくなる。
全5冊を、3度ほど繰った。決めた。
不毛な選択肢の中から何物かを選び取らなければならないとしたら、選択に関わる複数の価値観の中から、いくつかを捨てなければならない。
私は、味を捨てた。
捨てて、栄養バランスを採った。
選択したのは、野菜の手巻き寿司であった。
野菜を採らねばならない。摂取カロリーはできるだけ抑えなければならない。野菜の手巻き寿司は、栄養バランスの上からは理想とも思えた。
作り方を読んだ。
材料
ご飯
海苔
ま、ここまでは常識である。
野菜:お好きなものを
ふむ、何でもいいのか。この本で例示してあるのは、と。
大根
ニンジン
山芋
キュウリ
カイワレ
こいつらを、適当な長さ、太さに切っておくとある。
そうか、ま、8mm角で、長さは海苔の長辺の半分程度にしておけばいいのだな。
梅干し
削り節
マヨネーズ
醤油
ん?
なに、梅干しの種をはずして実だけ残し、削り節と一緒にまな板の上で叩く。それを小鉢にとってマヨネーズを加え、最後に醤油を加えて味を調える、って!?
そんなことして、どうすんの?
手巻き寿司って、ご飯を海苔で巻いて、醤油つけて食べるんでしょ?!
ん? 海苔の上にご飯を広げ、真ん中に野菜のスティックを乗せる、と。その野菜のあたりに、この梅干し・削り節・マヨネーズ・醤油の複合体が作り上げたペースト状のものを塗り、そのままくるくると巻いて食べるだって!
おい、おい! 俺って、ご飯にまでマヨネーズをかけて食べるっていうマヨネーズフェチじゃあないんだよ! これ、ちょっと気持ち悪くないかい?!
しかし、私の思考回路の中では、既に賽は投げられていた。他に選択肢はない。今日は、この道を直進するしかない。他に夕食のあてはないのである。
ご飯を炊く。野菜を切る。海苔を四つ切りにする。で、この薄気味悪いペースト状のものをこしらえる。
いよいよである。まず大根のスティックをとり、レシピの指示通りのものを作って口に入れた。半分ほどに噛み切り、口中に残ったものを咀嚼し始めた。
梅干しと、おかかと、マヨネーズと、醤油と、大根と、ご飯と、海苔をミックスした風味が口中に広がる…………。
おや、意外といけるじゃない!
ふんふん、不味くない!
いや、美味しい!!
気の迷いかな?
どれもう一口。
やっぱり、美味い!
よし、次はキュウリで試してやれ。
いいよ、いいよ、いけますよ、これ!!!
酒のつまみ(は何であったか忘れた)を口に放り込みながら缶ビールを飲み、頃合いを見計らって「野菜の手巻き寿司」をぱくつく。うん、いくらでもお腹に入る。ニンジンでも、山芋でも、カイワレでも、中に巻き込むものは何でもいい。何でも美味しく食べられる。
たちまちご飯がなくなった。野菜スティックは見通しを誤っていたのだろう、大量に余ったが、初体験としては我慢せずばなるまい。
満足感と満腹感に満たされた夕だった。
その後、「野菜の手巻き寿司」は、わが家の定番メニューとなった。客が来て、酒を飲んだあとの仕上げによろしい。
客の反応はいつも同じである。
「何作ってんですか?」
と、例のペースト状のもを作る私の手許をのぞき込む。
「うん、こうやって」
とマヨネーズを絞り出すと、
「うえーっ、気持ち悪い!」
「ま、気持ち悪いかもしれんが、我が家に来たのも何かの運命だ。とにかく、目をつぶって食べて見ろ」
と口に押し込む。
「あ、いや、やめて、無理ですって、あ、そんなご無体な………。ん、ん、美味めーぇ! なにこれ、滅茶苦茶美味いやないですか!! この、梅干しと鰹節とマヨネーズと醤油の練り物、もっとありますか?」
梅干しはできるだけ肉が厚く、梅の香りが充分に残った高級品を使った方がよろしい。削り節も、できることなら、調理の直前に鰹節を削った方が、香りが立つ。マヨネーズ、醤油はお好きなものを。
お試しあれ。