06.04
グルメに行くばい! 第39回 :番外編5 まだまだロンドン
まだロンドンにいる。ホテル近くのパン屋さんで朝食をとって、仕事をして、夕方になったら、1人の時はインド料理店に入って酒を飲み、飯を食ってホテルに帰る。寝る。単調な生活ながら、ロンドンは住み心地がきわめて良かった。
(余談)
ある夜、ホテルの部屋で風呂に入った。1日の汚れと疲れを洗い流すためである。ついでに、下着やハンカチの洗濯にも挑んだ。
ハンカチは、洗って絞ったら、窓ガラスに張り付ける。こうすると、アイロンをかけたように皺が伸びる。これを洗い張りという。
下着は、水気を絞ったら……、どこにも吊すところがないので、床に並べておく。なーに、乾けばいいのである。
そんな作業に従事していたら、突然、日本語が耳に飛び込んできた。ここはイギリスである。ロンドンである。1人きりの部屋である。私以外に声を出すものがいるはずがない。ましてや日本語とは……。
おそるおそる、声の主を捜した。バスルームには私だけだった。部屋をのぞいた。誰もいなかった。そのかわり、テレビがついていた。そうか、1人きりでは寂しいので、テレビをつけっぱなしにして湯船に入ったんだっけ。
そのテレビで、どう見ても日本人としか思えない侍たちが動き回り、日本語をしゃべっていた。しばらく見ていると、黒澤明監督の名作「七人の侍」であると知れた。
字幕放送だった。字幕が英語だった。ロンドンにいることを再確認した。
今回は、これまで触れなかった昼食から話を始めよう。
朝から、ロンドンの金融街、シティーに出かけた。もちろん、仕事である。無事仕事が終わったころ、昼時が迫っていた。
「大道さん、お昼をご一緒いかがですか?」
初対面で仕事上のお世話になったばかりというのに、親切な申し出である。こうした好意は裏切ってはならない。私は、人の情を知る者である。
「もう、日本を発たれてずいぶんになるでしょう。そろそろ、和食が恋しくなったのではないですか?」
いや、私は雑食性の人間である。何よりも和食を愛するとはいえ、10日や20日で和食が恋しくなるほどやわではない。が、好意は裏切ってはならない。
「和食? ありがたいですね」
「シティーにね、1軒だけなかなかの和食を出す店があるんですよ。ご案内します」
ビルの地下にある店だった。5m離れていても香りが漂ってきそうな木の引き戸をあけると、店内はかなり広い。大きなカウンターはペンキもニスも塗っていない無垢の板である。凝った店だ。
カウンターに陣取った。メニューがきた。
「大道さん、お好きなものを頼んでください」
私が食べるのである。言われなくてもそうする。
おもむろにメニューを開いた。すぐに目が点になった。そう、ロンドン2日目の朝、ホテルのレストランで起きたのと同じ症状である。ただし、今回は一桁違っていた。
(余談)
歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として。
といったのは、かのカール・マルクスである。
我がロンドンでは、
歴史は繰り返す。1度目は1桁で、2度目は2桁で。
となる。
高い!
心の中で、思わずそう叫んだ。1桁ポンドのメニューなど皆無なのである。この店の勘定は、恐らく私を誘ってくださった親切な方がお持ちいただくのであろう。従って、私の財布が傷むわけではない。
しかし、惜しいことに、私はものの価値が分かる者である。価格と価値のバランスが理解できる者である。おまけに、バランスがとれていないことに、神経がいらつく者でもある。傷む財布が、私のものであろうと、この親切な方のものであろうと、この親切な方が勤めていらっしゃる会社のものであろうと、苛立つ神経は苛立つのである。
「お好きなものを」などと言っている場合ではない。価格である。安いものを探すのである。
私は、やっとの思いで一番安いメニューを見いだした。
焼き魚定食
である。
東京でも、せいぜい1000円もあれば食える。地方に行けば500円で食えるところだって、まだあるはずである。
ここ、ロンドンのシティーは違った。「焼き魚定食」に表示されていた価格は、違う世界のものだった。
25ポンド、
だったのである。
25×240=6000
焼き魚定食が、6000円もするのである。
これが、この店で1番安い昼食メニューなのである。
私は、おずおずと口にした。
「あ、僕は、『焼き魚定食』をお願いします」
「えっ、安堂さん、何でもいいんですよ。メニューには、もっといろいろありますから」
「はい、僕は焼き魚が好きなんで……」
「そうですかあ。じゃあ、僕は何にしようかなあ……」
(余談)
焼き魚が好きであることは嘘ではない。それ以上に好きなものがほかにあるのも事実だが。
やがて、私の昼食が運ばれてきた。
「焼き魚定食」なのに、なぜか刺身がついていた。茶碗蒸しも添えられていた。
それを除けば、日本で食べるちょっと高級な焼き魚定食だった。6000円もしたことを除けば、ではあるが。
別の日。
昼食にスパゲティが食べたくなった。スパゲティもイギリス料理ではない。イタリア料理である。食べられる。
1人で、ホテル近くのイタリア料理店に出かけた。昼食時を少しはずした午後1時半前後だった。さほど広くない店で、客は初老のイギリス婦人が1人だけ。私を含めて、客は2人だけである。
メニューが来た。さっと眺めて、決めた。このような場所で躊躇するのは見苦しい。せっかく女性を連れてレストランに来たのに、注文する品を決められずにぐずぐずする男に、女を口説く資格はない。多分、口説く能力もない。
残念ながら、無念ながら、私は1人である。1人だが、即座に注文した。バジリコスパゲティである。素材そのものの良さを引き出さなければまとまらないシンプルな料理を頼む。これが原則である。蕎麦なら盛りである。かけである。
注文が終わった客は、暇になる。料理が出てくるのをじっと待つしかすることがない。日本の定食屋なら、時間つぶしのために漫画雑誌や週刊誌を置くところもあるが、ここロンドンのイタリア料理店にはその用意がない。ひたすら待つしかない。
このような状態を手持ちぶさたという。手持ちぶさたの人間はろくなことはしないとは、古よりの事実である。
テーブルの上をながめた。灰皿があった。してみると、この店は、店内でたばこを吸うことを禁じてはいないらしい。
ま、狂ったようにたばこを目の敵にするのは、かつて禁酒法というとんでもない法律を持った経験があるアメリカである。日本が、何事においてもアメリカに追随することは、太平洋戦争後の悲しむべき現実である。
比べて欧州は、人間の悪癖への寛容度が高い。人間とは、そのような存在でしかないことを知っている。文化に奥行きがある。喫煙に関しても、比較的おおらかである。
が、この店には、私以外に1人だけ客がいた。初老のご婦人である。女性に敬意を払うのは、男子たるもの、ひとときとして忘れてはならないことだ。増して異国の地では、我が国の名誉にかけても守らなければならない。
“Excuse me, but do you mind my smoking? ”
見知らぬ老婦人に対してもこの程度の挨拶をするのは、常識以前のことなのである。
彼女はしばらく考えていた。やがて、私を見てにっこり笑った。
“Cigarette only, please.”
渡る世間に鬼はなし。きっちりと手順を踏めば、場が和やかになり、たばこが美味しく味わえる。スパゲティの味は記憶にないが、気持ちの良い昼食であった。
店を出てホテルに戻る道すがら、屋台のようなものにたばこをたくさん飾って売っている店に気が付いた。そういえば、たばこが切れかかっている。買わねばならない。
見たことがないたばこばかりである。洋モクばかりである。さて、どれが良かろうか、と考えてみても、見当が付くわけがない。適当なヤツを掴んで、
“How much? ”
と聞いた。2ポンド50だという。瞬間、私は思った。
「なんだ、日本もイギリスも、たばこの価格ってあまり変わらないのか」
金を払い、「SILK CUT」と書いてあるたばこをポケットに入れ、ホテルに向かって歩き始めた。道半ばまで来て、
「えっ!」
と声を挙げた。俺は間違ってる!
2ポンド50は、断じて=250円ではない!
2.5×240=600円
なのである。頭がボーっとしていたのか、1ポンド=100円で計算してしまったのだ。完全なる勘違いである。
たばこ1箱600円。日本の2倍以上である。1日1箱消費すると、毎月の出費は1万8000円である。イギリスとは、暴力的なまでにたばこの価格が高い国なのである。
(余談)
このときの経験から、私は1つの定見を持つようになった。
消費不況から抜け出す道が1つある。デノミネーションの断行である。たとえば、いまの100円を、新しい1円とする類である。
私と全く同じ勘違いをして、高額商品を買ってしまう粗忽者が少なからずいて、消費が急速に伸びることは疑いない。
この日は、珍しく午後から暇だった。あいた時間を使って、懸案を処理することにした。アクアスキュータムのトレンチコートを買うのである。満を持して、リージェントストリートに出かけた。
日曜日にはひっそりしていた通りが、この日は活気にあふれていた。改めて観察してみる。
通りは、途中で緩やかにカーブする。通りの両側のビルの壁は、このカーブに沿って緩やかに曲面を描く。優雅で、美しい通りである。
アクアスキュータムを探した。この通りで店を探すのはなかなか難しい。店名を表示するプレートが壁面に張り付けられているからである。そのプレートに近付かないと、何の店なのか全く分からない。
不便である。が、街がすっきり、優雅に見える。
香港は違った。店名を表す看板は、店の壁から直角に突き出している。だから、遠くからでも目的の店が判別できる。幟が乱立しているようなものだ。
便利である。しかし、がさつである。
前者が欧州的な街の作りだとすれば、後者はアジア的な街の作りである。日本は、アジアに属する。
(余談)
建物のデザイン、配色など、洋の東西で違うものが多い。中国に源を発する、どちらかというとけばけばしい朱色などを多用する東洋に対し、西洋は石の地肌の質感をそのまま生かすなど、しっとりとした落ち着きを見せる。
この面では、私は西洋に共感を覚える。
目的の、アクアスキュータムの店を見つけた。店内に入り、トレンチコートを探す。袖を通してみてサイズを合わせる。価格290ポンド。
念のため、通りを隔てて、ちょうど反対側にあるバーバリーの店ものぞいてみた。ほぼ同等と見えるトレンチコートが、270ポンド。
将校と下士官の格差は、20ポンドである。
そこまで確認して、アクアスキュータムに戻った。290ポンドと、ライナーが60ポンド。合計で350ポンドである。なんでも、出国時に手続きをすると、消費税が40ポンドほど戻ってくるらしい。ということは、実質310ポンドである。
240×310=74400円
10月のロンドンは、トレンチコートを着て歩くには、まだ気温が高すぎた。が、欲しかったものが手に入ったのである。袖を通さない手はない。
ホテルに帰り着くと、ハンカチがぐっしょり濡れていた。
ロンドンに行くことが決まって、もう1つ楽しみにしていたことがある。
聖地への巡礼である。
ロンドンに聖地があるかって?
ある。こよなくThe Beatlesを崇敬する私にとって、
Abbey Road
は聖地である。スタジオがあり、後期の曲はすべてこのスタジオから生み出され、アルバム“Abbey Road”のジャケットには、4人がスタジオ前の通りを横断している写真が使われた。Paul McCartneyだけが裸足だったことから、Paul死亡説がまことしやかに流れた。
これが聖地でなくて、ほかのどこが聖地であろうか。
生きている間に、一度は聖地を訪れる。これは、信者の努めなのである。
ロンドンに到着してすぐ、地図を買った。“A to Z”というロンドンの市街地図である。嵩張るのは嫌だから、小さいのにした。
仕事が一段落して、聖地を巡礼する時間がとれる見通しが立ったころ、ホテルの部屋でこの“A to Z”を開いた。索引でAbbey Roadを探した。
ない!
何度探しても、このポケット版の“A to Z”には、Abbey Roadがない!
そうか、あまりにも簡略版の地図を買ってしまったのか。そういえば、書店には、同じ“A to Z”でも、小さいのから大きいのまでいろいろあった。よし、明日は暇を見て書店に行こう。一番大きな“A to Z”を見れば、聖地の在処は分かるはずである。
翌日、書店に駆けつけた。一番大きな“A to Z”を引っ張り出し、索引でAbbey Roadを探した。
ない!
一番大きな、ということは一番詳しい市街地図にも、Abbey Roadが載っていない!
このような状態を、途方に暮れる、という。あこがれの聖地への接近を足止めされた私は、代替手段を考えた。思いつかない。地図に載っていない場所に、どうやったら行けるのか? どう考えても、方法が見つからない。
聖地巡礼の方策が見つからないまま、ロンドンを離れる日が来た。午前7時半、ホテルにタクシーを呼び、ガトウィック空港に向かった。少し遠回りして、まだ見ていなかったロンドン塔、バッキンガム宮殿などを回って、やがて機中の人となった。目的地は、アメリカのサンディエゴである。
Abbey Roadが遠ざかった。聖地のすぐ近くに来て、聖地に足跡を記すことなく去る。
私は、神に見放されたのであろうか?
それから1ヶ月ほどして、日本に戻った。何度か、果たせなかった聖地巡礼を思い起こした。思い起こすこと、何度目だったかは記憶にないが、
「えっ!」
と叫んだのである。
タクシーに乗れば良かったではないか。
タクシーに乗って、
“The Beatles’ Apple Studio. Abbey Road.”
と叫べば、間違いなく聖地にたどり着けたはずではないか!
私を見放したのは、神ではなかった。
私が、私の愚かさが、知恵の足りなさが、私を見放したのであった。
トホホ………。
あれからずいぶん時間がたった。私はまだ、聖地巡礼を果たしていない。