06.25
グルメに行くばい! 第41回 :番外編7 メキシコ入国
次に目指すは、高原の街、メキシコシティである。サンディエゴからの直行便はない。ロサンゼルスで乗り継ぐ。
という知識を頭にたたき込んで、サンディエゴの空港に向かった。この街に来て4日目の朝だった。
乗り継ぎ便の出発予定は午前10時半である。9時半には空港に着き、出発ゲートの前で待った。
周囲を見回すと、サラリーマンらしい日本人が2人いた。世界中に日本人がいる時代である。2人の話を聞くともなく聞いていると、これからロサンゼルス経由で日本に帰国するらしい。
そうか。私はメキシコへ。あなた方は故国日本へ。ロサンゼルスで道が分かれるのですなあ。
10時半に近くなった。と、掲示板に、出発時間の変更が表示された。新しい出発時間は11時だという。どんな事情があるのか判然としないが、ま、代替手段はないわけだから、ここは待つしかない。
10時50分頃になって、再び表示が変わった。出発時間が未定になった。
おやおや、未定って、どういうことかね。メキシコシティへの便は午後1時の出発だぞ。間に合うのか? 間に合わなかったらどうなる? メキシコシティでお願いしている通訳には、到着時間を知らせてある。彼は、その時間に空港まで私を出迎えに来ることになっている。予定の便に乗れなくなったらどうするかなあ? そもそも、ロサンゼルス・メキシコシティ間には、1日何便飛んでるんだ? 次の便が翌日以降なんてことになると、これから先のスケジュールがすべてパアになるぞ。うーん……。
不吉なことしか頭に浮かばない。
といっても、代替手段はない。ここは待つしかない。出たとこ勝負、ケ・セ・ラ・セラである。
と腹を決めて、私はソファから動かなかった。動かぬうちに、この予期せぬ出来事を楽しむ気分すら沸いてきた。
すべてスケジュール通りに進む旅なんて、面白くもおかしくもない。ここでのスケジュールの破れが、やがては私をアメリカ合衆国大統領の座に押し上げるかもしれないではないか。
天下を狙うには、動かざること山の如し、を決め込むにしくはない。
(ん?)
待てよ、武田信玄は、結局天下人になれなかったよなあ……。
「おい、ロス発の飛行機に間に合うのか?」
あの日本人2人連れが、ひそひそ声で話し始めた。
「そうですねえ、ロス発は12時50分ですから、まだ大丈夫だと思いますが、ちょっと聞いてきましょうか?」
「うん、そうしてくれよ」
かくして、2人連れのうち若い方が席を離れ、カウンターの方に歩いていった。してみると、彼は私と違い、かなり自由に英語を操れるもののようである。このようなときに情報収集が自在にできるなど、羨ましくないことはない。
「聞いてきましたが、やっぱり出発時間は未定なのだそうです。ここから車でロスに向かうと2時間ほどかかるそうですから、日本行きの飛行機には間に合いません。待つしかないようです」
「そうか、仕方がないなあ」
英語を操れる連中も、私と同じ結論に達したようである。してみると、英語ができるかどうかなど、実生活ではたいした違いはない。
時計が11時20分を回った。表示は、まだ「未定」にままである。
流石に私も、心が騒いできた。が、騒いでもできることはない。待つしかない。
と了解して、動かなかった。
あの2人連れも、まず心が騒いだのに違いない。
「おい、仕事に必要な書類は、すでにロス発の飛行機に積み込まれているはずだぞ。俺たちがあの便に間に合わないと……、困った、いやあ、困った。どうしよう……。よし、手分けして本社や関係先に連絡を入れよう。行くぞ!」
心が騒ぐまでは私と同じだったが、彼らは体を動かした。私との相違点である。
先ほどは若い方が1人で問い合わせに行った。手荷物は、残った年長さんが見ていた。今回は2人とも動く。彼らは手荷物を取ると、小走りでどこかに消えた。
(余談)
彼らは、私に手荷物の番を頼むという選択をしなかった。動揺が極に達して、そのようなことを思いつくゆとりがなかったのか。それとも、私の人相風体から、信用するに値しないと判断したのか。願わくば前者であって欲しい。
それから5分後、表示が変わった。11時半の出発である。
あの2人は、どこかに行ったまま帰ってこない。
間もなく搭乗が始まった。
あの2人は、どこかに行ったまま帰ってこない。
座席に座り、シートベルトを締めた。20人乗りほどの小さな飛行機である。
あの2人は、どこかに行ったまま現れない。
スチュワーデスがドアを閉めようとした。
あの2人は、どこかに行ったままである。
私に同胞愛が芽生えた。
「ドアを閉めるのはちょっと待って欲しい。この飛行機に乗るはずの日本人が2人、まだ乗っていない。待ってやってもらえまいか」
(余談)
勿論、英語で伝えたのである。だが、どのような英語であったのか……。いま再現できないということは、かなり問題含みの英語であったことは確かなようだが、なあに、先を読んでいただけばお分かりいただけるように、何とか通じていたようなのである。こけの一念、岩をも通す、か。
ロスで乗り継ぐ客が多いので、待てないというつれない返事が返ってきた。
「そこを何とか。せめて5分」
腕時計を見ていたスチュワーデスが、5分間待つことを承知してくれた。
5分後。
あの2人は、どこかに行ったままだった。
ドアがロックされ、飛行機はロサンゼルスの空港を目指して飛び立った。
彼らはとうとう現れなかった。
乗るはずだった日本行きの便に間に合わなかったことは間違いない。あのあと、彼らはどうしたんだろう?
(本音)
しかしまあ、ここまでの間の悪さ、ドジな判断、ずっこけちゃった結果、を目の前にすると、厚い同情心が沸き起こるというより、「バーカ」といって笑いたい心境になるのは、果たして私だけでありましょうか?
予定通り、ロサンゼルスからメキシコシティに飛び、無事到着した。
手荷物チェックのカウンターに進んだ。色の黒い、多分幾分か黒人の血が混じった審査官が、トランクを開けろと言う。中の荷物を調べるという。背は高からず低からずで、やせた審査官である。
私には、隠すべきものは何もない。常に生身の勝負である。素直にトランクを開けた。
審査官は、トランクに手を突っ込み、あれやこれやと調べ始めた。旅行中のトランクである。スーツやカッターシャツ、洗面用具などに混じって、汚れて、まだ洗濯していない下着も、当然ある。審査官とは、なかなか大変な仕事である。
やがて、彼は言った。
“What is this?”
見ると、私が日本から持ってきたフグひれである。熱くした日本酒に浸してひれ酒をつくるものである。各地でお世話になる日本人へのおみやげに用意したものだ。
(余談)
おみやげの選択には頭を使った。
経験者に相談した。なるほど、と思えるアイデアはなかった。自分で考えるしかない。
考えて、考えて、考えた末に行き着いたのが、「フグひれ」だった。理想的なおみやげだと思えた。
今や、世界のほとんどで、ちょっと大きな都会なら、日本のものはだいたい手に入る。日本酒だって例外ではない。
でも、「フグひれ」を売っている外国の町があるという話は聞いたことがない。希少性→喜ばれる、の図式にぴったりである。
加えて、小さい。軽い。10枚、3000円分をパックしても、縦横5cm、厚さ2cm程度である。重さは感じないほど軽い。嵩張らずに軽いものは持ち運びにしごく便利である。
思いついて私は、自らの発想の妙に満足した。
日本橋高島屋に出かけた。20パック買った。買って、大きな欠点があることに気が付いた。
小さいのである。小さいのは持ち運ぶ際のメリットではあるが、小さいと、ありがたみが薄れるのではないか?
想像して欲しい。
「これ、おみやげです」
って手渡されたものが、縦横5cm、厚さ2cm、重さは感じないほど軽いものであったら、何となく馬鹿にされたような気にならないか?
これはいかん。また考えた。考えて、付け足すことにした。絞り立てのポン酢の瓶詰めと、八女茶である。
20パックの「フグひれ」は嵩張らずに軽かった。ポン酢20本は、嵩張って重かった。お茶は、双方の中間であった。
かくして、私は思いスーツケースを引きずって旅に出た。
そのフグひれをさして、これは何かと問われた。困った。
英語でフグって? ひれってなんて言う? しかも干したものだし……。考えた末、
“It’s a part of dried fish. We, Japanese, drink Japanese sake with it in.”
この英語が、その時私が言ったとおりなのかどうか、英語として正確なのかどうか、自信はない。が、まあ、このようなことを言った。
審査官は、えーい、面倒だ、ここは読者サービスとして、すべて日本語に翻訳してお伝えしよう。
審査官は、
「これは食べ物であろう。我が国では、食べ物の持ち込みは禁じておる」
とおっしゃった。
なんと、これは、香港、イギリス、アメリカを経由してはるばるメキシコにまでやってきた由緒正しいフグひれである。他の国で持ち込めたものが、この国には持ち込めないのか?
それにそもそも、こいつは食い物ではない。断じて食い物ではない。フグひれをかじりながら酒を飲むヤツはいない。フグひれをおかずにご飯を食べるヤツもいない。唯一の使い道は、熱く熱した日本酒に入れてフグ酒にすることだけである。これが何で食べ物であろうか。
てなことを、英語で言った。いや、言おうと試みた。言ったつもりである。本当にいえたかどうか、自信はない。
何度か押し問答をした。しかし、悲しいことに、英語は私の母国語ではない。それどころか、かの審査官にとっても母国語ではない。
2人のうちの1人が、恐らく生まれて初めて見たものについて、そのものがメキシコで言う「食べ物」に該当するかどうかを、食べ物とは何かの厳密な定義も含めて、双方にとって外国語でしかない言語で論じあう。
うまくいくはずがない。
やがて、審査官は言った。
“Come this way. ”
酒場で、初対面の隣の客と口角泡をとばして議論をしていたら、突然、
「表に出ろ!」
と凄まれたようなものである。もっと悪いことに、この審査官、私がメキシコに入国できるかできないか、の全権を持っているのである。酒場の客なら、
「やだよ」
といえても、ここは従わないわけにはいかない。
スーツケースの蓋を閉じ、審査官の後に従った。彼は、別室に私を誘った。
男同士で個室だと!
と、いまなら書ける。その時は、書けなかった。言えなかった。思いも寄らなかった。
何しろ私は、初めてきた異国で、日本語が通じない国で、私の存在を知る人が1人もいない国で、我が生殺与奪の権を持つ審査官に別室に連れ込まれたのである。
「生きてここを出られるか?」
とビビッたとしても仕方がない。そして現に、我が心の5分の1ぐらいは、恐怖に戦いたのである。
審査官は、しつこい男であった。別室に移ってからも、「フグひれ」論争を仕掛けてきた。反論した。相変わらず、お互いにとって外国語である英語を使った、実に中途半端な議論である。あるところまで行くと、お互いに追及も、弁明もできなくなってしまう。言語能力の問題である。
私は、切れた。これからお世話になる方々には申し訳ないが、「フグひれ」をここで放棄する決心をした。「フグひれ」を差し上げられなくても、ここメキシコでの顛末をお話しすれば、理解していただけるであろう。
“OK. You take them. And I will go. ”
私は、決然と言い放った。審査官の態度が急変したのは、この瞬間だった。
“Oh, you don’t have to. Let me think……, OK, You can go.”
なぜか分からないが、突然私を解放する気になったらしい。このチャンスを逃す手はない。
“I can go? Oh, thank you. And goodbye.”
と立ち去ろうとした。その時、かの審査官は、実に困った顔をした。
“Ahh, please wait for a moment.”
何を! 待てだと! ふざけんじゃねえやい!
“Why? You said I could go. So I will go. Bye.”
が、審査官は離さない。
“Yes, I said you could go. But……、”
しかし、だと! しかしもへったくれもあるか! 俺は行くぞ!
“I will go.”
その瞬間である。私は、
“But”
に込められた深遠なる意味を悟ったのである。
(蘊蓄)
このように、瞬時に悟りに至ることを「頓悟」という。そうではなく、修行を積み重ねて徐々に悟りに至ることを「漸悟」という。
私は言った。
“How much?”
“……”
“20 dollars, OK?”
“……”
“30?”
“……”
“50?”
“You are a good man.”
かくして私はgood manのお墨付きをいただき、50ドルが私の財布から、かの審査官の財布に移った。私は空港を出た。
私は、生まれて初めて、メキシコシティの土地を踏んだ。