10.01
2007年10月1日 F1とは
昨日、富士スピードウェイで開かれたFIA F1 世界選手権フジテレビジョン日本グランプリレースというヤツの決勝戦を観戦しに行ってきた。本日は、そのレポートである。
F1とは:人様にいただくものである
「日曜日、空いてます?」
知人から電話を受けたのは、確か先週の火曜日だった。
「うん、休みだから、別に予定はないけど」
正直に答えた。
「F1のS席があるんだけど、行きません?」
車は嫌いではない。F1も、時折テレビでは見る。だが、現場に行こうと思ったことはない。富士スピードウェイ。遠いではないか。何を好き好んで。でも、S席?
「そうなんです。レースカーが最高速を出す直線コースに面している最高席です」
乗った。足代だけは自前というが、なーに、それは些細なことである。最高の席には世界中のVIPが集まるに相違ない。私がその一員としてレースを観戦するのは、自らの存在を確認する絶好の機会ではないか! 断る理由はない!!
かくして私は昨日午前8時半、頂き物のチケット(なんと、7万1000円!!!)を握りしめ、小雨降る中を、一路富士スピードウェイを目指した。出発は8時半。
F1とは:靴下の穴に突然気が付くことである
14万人もの人が集まる決勝戦は、会場の混乱を避けるため、それぞれのチケットにアクセス種別が刷り込まれている。私の、いただきき物のチケットは鉄道で、指定駅は新富士。ここからシャトルバスで会場に向かう。
新富士に行くには、こだまを利用するしかない。午前9時半品川発のこだまで、チケットをくれた知人と落ち合った。彼は東京駅からの乗車である。
横の席に座り、リラックスして靴を脱いだ。その時気が付いてしまったのだ、靴下の穴に。右のかかとのあたりがすり切れて薄くなり、地肌が透けて見えるではないか! 嫌な気分になり、左も確認した。こちらも同じようにかかとの部分が薄くなり、穴が空く一歩手前である。しかも、靴を履いても薄くなった部分が見えてしまう。
気分が悪い。だが、替えの靴下は持参していない。
「新富士に着いたら新しい靴下を買って履き替えよう」
新富士に着いた。靴下を売っているような店は皆無だった。大きくなる胸騒ぎを抱えながら、シャトルバスに吸い込まれた。
F1とは:登山である
シャトルバスは快調に東名高速を飛ばした。所要時間は70分の予定である。正午前には到着する。正午からはアトラクションが始まる予定だ。
「着いたら、タバコ、トイレ、昼飯だね」
臨席の知人と雑談をしているうちにバスは高速を降り、田舎道に分け入った。
「あと10分ぐらいだよね」
その時である。バスが止まった。前方を見る。バスが止まっている、その向こうにもバス、そしてバス、バス、バス……。会場に向かうバスが、何故か大渋滞を起こしているのだ。
それでも、最初は落ち着いたものだった。このバスは主催者が用意したものである。そう遠くないうちに渋滞は解消され、バスは会場に滑り込むに違いない。なにしろ、動けなくなっているバスには、すでに金を払ってF1を見に来ている客が満載なのだ。
30分ほどたった。バスは200mほど進んだだけだった。降りて歩き出す人たちが現れた。それでも大半は、間もなく動き出すはずのバスにとどまった。私たちもとどまり続けた。ところが、静かだった車内に運転手の声が響いた。
「バスが降車場に入れない事態が続いています。このままでは決勝戦の開始に間に合わない事態も考えられます。会場のゲートまでは、ここから3kmほどです」
乗客の落ち着きが崩れた。一斉にバスを降り始めた。そりゃあそうだ。私はチケットをいただいた組みだが、ほとんどの人たちF1のレースを楽しむために自前で金を払っている。ひょっとしたら、そのために7万1000円を投じているのだ。決勝戦が見られなくなったら、カネをどぶに捨てたようなものである。あわてるのは当然なのである。
あわてたのは有料組みだけではなかった。いただき組の私もバスを降りた。知人と2人、小雨降る田舎道を、富士スピードウェイ目指して歩き始めたのである。
進むほどに、歩道を歩く人たちが増えた。恋人同士なのか、仲良くカッパを着て歩く2人組、脇目もふらずに歩を進める1人組、子供を乗せたバギーを押す家族連れ。時折、道ばたで子供に放尿をさせるパパの姿もあった。
私と知人は、その中に混じったオヤジ2人組だった。
道はずっと上り坂である。
「ねえ、これって山登りだよねえ。でも、山登りって、何十年ぶりかなあ……」
歩いた。最初は冗談を言うゆとりもあったのだが……。
F1とは:汗である
この日関東地方は、最高気温が確か20度を下回った。私が歩いたのは高地である。気温はそれよりずっと低かったに違いない。
だが、登山は体力を使う。普段使わない足の筋肉を酷使する。おまけに、レースに遅れてなるものかと気がはやるから早足になる。
ご記憶だろうか? 私は人後に落ちない汗っかきである。汗っかきとは、人より少ない運動量で大量の発汗を見る人種である。その汗っかきが登山を始めると、やがて大量の汗が体の芯から噴き出してくるのは冷徹な論理の貫徹である。
汗が噴き出し始めた。ハンカチで首筋、額の汗をぬぐった。ジャケットを脱いだ。シャツのボタンを2つ目まで外した。腕をまくった。
汗が噴き出し続けた。
30分ほど歩き、ゲートに着いた。なるほど言葉とは恐ろしいものである。ゲートとは入り口に過ぎないことをこの日ほど思い知らされたことはない。レースコースは富士スピードウエイのゲートの遙か先にあった。そこに至るのは、同じように上り坂である。そして、さらに悪いことに、私の目指すS席は、コースの反対側にあった。目測の距離、約3km。歩いた。雨合羽を来た連中と体を摺り合わせながら必死で歩いた。
午後1時15分、レース開始のわずか15分前、自分の席にたどり着いた。体はほてっていた。シャツは、噴き出した汗と、レインコートを着た客と接触した際にもたらされた雨水で、グショグショだった。脱いで絞れば、水滴がほとばしり出たはずである。
F1とは:風邪との戦いである
さすがにS席である。ここだけは屋根がある。降り止まぬ雨の中では、何よりも嬉しい設備だ。屋根のない席にたむろする群衆に対して優越感すら感じる。来てよかった!
席に腰を下ろし、まだだった昼食にカツカレーを調達し、我々はレースの開始を待った。出場するレーシングカーが目の前に整列し、開始時間を待っている。すでにエンジンは始動し、甲高い音を響かせている。刻一刻迫るスタートに、心躍る瞬間である。
私の心も震えようとした。ところが、震えたのは心だけではなかった。体全体が震え始めた。
そう、私のシャツは汗と雨でグシャグシャの状態だった。歩行をやめた体は熱の発生量が減る。いつしか、濡れたシャツが奪い取る熱量が上回る。
私は寒さに震えだしたのである。
このような事態を想定する力量がなかった私が、着替えのシャツなどを準備しているはずがない。いま身につけられるのは、グシャグシャに濡れたシャツとコットンのジャケットだけなのだ。グシャグシャに濡れたシャツの上からジャケットを着るのはいかにも具合が悪い。
スタートの瞬間は目がコースに釘付けになった。周回を始めたレースカーを追い掛けた。が、5周、6周するうちに興奮も収まり、代わって寒さが戻ってきた。いかん、このままでは風邪を引く。
スタンドを離れ、F1グッヅを売る店が並ぶ一画に歩を運んだ。何か着るものが欲しい。
着るものは確かにあった。半袖のTシャツが4900円。高い! 目をむいた。それに半袖のTシャツでは、寒さを凌のに役に立ちそうもない。
いいものがあった。厚手のジャンパーである。よし、これにしよう。濡れたシャツを脱ぎ、このジャンパーを身につけよう。値札を見た。3万1000円。
その瞬間、私は風邪をひく決心をした。風邪をひいても3万1000円はかからない!
スタンドに戻り、コットンのジャケットを着込んだ。濡れそぼったシャツとコットンのジャケットで、私は風邪と闘う決心を固めた。
F1とは:官能の音である
話はレースの開始時まで戻る。
スタートラインのすぐ前に、メルセデス・ベンツCLK63 AMG LHDがいる。先導車だ。そのうしろにF1マシン22台がずらりと並び、スタートを待つ。それぞれがアクセルをふかす。22台のエンジンが吠える。耳をふさぎたくなる騒音だ。
ヒューンでもない。キーンでもない。表現しようがない鋭い金属音が ユニゾンを奏でる。S席の屋根に反響した音の束が全身を包み込み、体を振動させる。鼓膜が破裂しそうだ。
F1の音。
すぐに、脳のどこかが、この騒音と気脈を通じ始める。そうだよ、この音だよ、俺が聞きたかったのは。あのときの女の発する声でかき立てられる興奮と似ていないこともない。快感物質が吐き出され、気分が高揚する。行けー、もっと行けー。
女性の子宮を揺さぶる音でもあるのかもしれない。女性の観客が多かったのである。どこかで初めてこの音を聞き、子宮が震えた人たちではあるまいか。
F1マシンの発する音は、官能をかき立てるといわれる。
私も確かに、官能を揺さぶられた。高い金を払って不便な土地に足を運ぶ人が数多くいるのも、頷ける。
しかし、たかが機械の発する音に感じてしまう男女。人間とは、案外単純な生き物である。
F1とは:メルセデス・ベンツである
レースは、マクラーレン・メルセデスのルイス・ハミルトンがチェッカーフラッグを受けた。ポールポジションからの順当な勝ちだった。が、そのことを言っているのではない。
レースは雨にたたられ、先導車であるメルセデス・ベンツCLK63 AMG LHDが19周目までセイフティカーとして先頭を走った。それが、何とも格好良かったのである。このレースの主役にも見えた。
レースに勝つためにすべてをはぎ取られ、お化けマシンと化したF1レーサーの前を、町中で見かけるのと同じメルセデス・ベンツCLK63 AMG LHDが駆け抜ける。直線コースでは、恐らく250kmを超す速度を出し、第一コーナーにさしかかると、ポンピングブレーキを駆使しながらヘアピンカーブを駆け抜ける。見慣れたベンツが、怪物どもを従えて駆け抜ける。ライオンやピューマ、熊やゴリラを従えて森の中を疾駆する子鹿のバンビである。
「あのベンツ、格好いいねえ。欲しくなったなぁ」
思わず口走った。隣にいた知人がすぐさま対応した。
「あれ、1300万円します」
すぐに考えをかえた。
私はベンツが嫌いである。
たとえ好きだとしても、1300万円は払えない。従って、好きにならないにこしたことはない。
F1とは:九十九折(つずらおり)である
ルイス・ハミルトンのマクラーレン・メルセデスが終始首位を守り、レースは最終盤を迎えた。知人がいった。
「もう勝負はついたみたいだから、帰りませんか。帰りの足もあるし」
彼は、私以上に震えながらレースをみていた。彼の震えは興奮によるものではない。純粋に寒さによるものであった。
「そうしましょうか」
彼とはこれからも長くつき合わねばならない。そうしなければ、7万1000円のチケットは2度と手に入らない。
2人でスタンドを出て、バス乗り場に急いだ。第一コーナーの当たりまで来たとき、ハミルトンがチェッカーフラッグを受けたという場内放送があった。
道は混んでいた。我々と同じ考えの人たちもいた。ハミルトンがチェッカーフラッグを受けたのを見てバス乗り場に足を向けた人たちも数多くいた。第一コーナーの観客席は、我々がいたS席よりもバス乗り場に近いのである。
場内の案内に従い、傘をさしながらバス乗り場に急いだ。
新富士に向かうバスの乗り場は51番である。51番乗り場は、スタンドからは最も遠いところにあった。51番の表示が出ているポールに向かった。
列ができている。ポールから列をたどり始めた。列の最後尾を探すためだ。隣には52番乗り場があり、その隣は53番乗り場。それぞれに長い列ができているため、どれが51番の列なのか、見ただけではわからないのである。ここが列の最後尾という表示もない。
列をたどってまっすぐ歩いた。しばらく歩くと、列は180度向きを変えていた。仕方なく元の方向に戻る。すると、再び列は180度回転し、延々と伸びている。九十九折状態なのである。
やっと最後尾にたどり着いた。あとは並んで順番を待つだけだ。時に、3時40分。それが長い長い戦いの始まりであった。
51番バスの出現は間欠的だった。来たと思うと、3、4台が続く。それが終わると、20分、30分何も起きない。列は前に進まない。
1時間が過ぎた。列に並んで、まだ100mも進んでいない。日が暮れ始めた。バスが3、4台来る。列が少し進む。嬉しい。
「人間って、どん底に落ちると、ほんのちょっとしたことに無上の喜びと幸せを見いだす存在なんだね」
待つ。歩く。それ以外にやることがない。妙に哲学的になる。
あるところまで進む。早く次の折返し点に到達したいと思う。折り返点に行き着く。次の折返し点を望み見る。早くあそこまで歩きたい。が、列は遅々として進まない。隣の52番乗り場には次々とバスが着く。列は間断なく進む。我々の列は止まったままだ。
「これって、配車の仕方が悪いんだよね。どうして52番ばかりにバスがくるわけ? こっちに回せばいいじゃない」
次ぎにきたバスも52番で止まる。51番には1台もバスがいない。暴動が起きないのが不思議なほどだ。
午後6時を過ぎた。日は完全に落ちた。我々は、やっと最後の直線の列に到達した。これまで2時間20分。立ち続けたせいか腰が痛む。早くバスのシートに座りたい。が、バスは来ない。後ろを見ると、列は私が並んだときより遥かに長くなっている。
「みんな今日中に家にたどり着けるのかねえ?」
51番バス停を見やる。空っぽである。
「51番ってさ、一番先っぽにあるじゃない。これって面白くないねえ。もっと向こうの方のバス停だったら、出発するとほかのバス停の前をずーっととおるじゃない。51番、52番、53番で待ってる奴らを見て、あーあ、かわいそう、って優越感に浸れるよね。われわれの51番では、バスに乗っても通り過ぎるバス停がない。面白くないなあ」
人を乗せたバスが我々の前を通り過ぎた。乗っていた3、4人が我々に向かって手を振った。優越感に浸っていたに違いない。人間とは同じようなことを考える。私は凡人の1人にすぎない。
バスが3台来た。周囲から拍手がわき起こった。テロリストと人質の間ではヘルシンキ症候群が生まれる(「シネマらかす #28 : ダイ・ハード - 万歳!アナログ男 」をご参照ください)。長くバスを待ち続ける乗客には、富士スピードウェイ症候群が発生する。なかなか姿を現さないバスに苛立つ一方で、姿を現したバスには、まるで自分1人のために60人乗りのバスが来てくれたかのような、心からの親愛感を感じてしまう。
思わず知らず、私も両手を力強く打ち合わせて拍手をしていた……。
F1とは:テレビで見るに如くはない
6時40分にバスに乗り込んだ。待つこと3時間。2人は押しも押されもせぬ中年である。これまでに10km近く歩いている。疲れた。
8時に新富士駅に着いた。このままこだまに乗ったのでは車中で暴れだしそうである。とりあえず、駅ビルで腹を満たすことにした。
A hungry man is an angry man.
という常識に従ったのである。
ビールを頼み、焼き鳥、おでん、モツ煮込み、桜えび、焼きそば、日本酒……。
「ごめんね、日曜日だっていうのに、えらいことに巻き込んでしまって」
「いやいや、こんなことでもないと、生のF1なんて一生見ることがないでしょう。それなりに楽しみましたよ」
「でもさあ、確かにお化けマシンの排気音とか、あのとてつもないスピードとか、確かに生じゃないと味わえないということはよくわかったけど、F1見るのなら、絶対テレビだね」
「どうして?」
「だって、生で見ていた今日、どの車がトップで、どの車がどべなのか、途中から全く分からなくなってさ。とにかく、すごいスピードで次々とマシンが右から左へ吹っ飛んでいく。 いま吹っ飛んでいったマシンは何番手? なんて全く分からないもん。俺たちの席からはクラッシュも見えなかったし。テレビなら絶対見えるでしょ?」
F1とは:Formula Oneの略である
公式規格の最高の排気量を持つ車(GENIUS ENGLISH-JAPANESE DICTIONARYより)。
新富士駅で、9時10分発のこだまを待った。待つ間に、のぞみが2台、通り過ぎた。
「すごいよね。車で雨の中、いま通り過ぎたのぞみより遥かに速く走るんだもんね。ドライバーがとてつもない金を持っていくのも当然だよな」
我々中年二人も、F1の持つ暴力的な卑猥さに、少し心を奪われたようだ。
でも、観戦はテレビがいい!
自宅に戻った。10時半を過ぎていた。エビスビールを1本のみ、布団に入った。すぐに寝入った。
昨日は、運動量過多であった。 おかげで、今日は眠い!