2008
07.30

2008年7月30日 続シリーズ夏・その8 泥棒の国

らかす日誌

歳は取りたくない。だから、今朝の朝日新聞3面に広告が出た「老化を止める7つの科学」(NHK出版)などにはすぐに目がいく。

「老化は避けられないという“常識”を覆す工学的アプローチ」

なんていうキャッチコピーを読むと、買ってみようかな、と思う。2835円という価格を見て、どうしようかと迷いはするが。

ま、それは私だけではあるまい。誰しも顔の皺が増え、肌のつやが衰え、体が硬くなって動きが鈍くなるのは、出来れば避けたいはずだ。
といくら念じても、自然の摂理は私を例外扱いしてくれない。そして、時折ドキリとする。加齢を現実のものと思い知らされる。

昨日の朝、いつものように髭を剃っていた。洗面台の前に立ち、1月31日の日誌でご紹介した「ジレット フュージョン5+1 パワー」のスイッチを入れ、顔の表面をなぞる。動かしているのは、「ジレット フュージョン5+1 パワー」を持つ右手、肌を伸ばして剃りやすくする左手、それに「ジレット フュージョン5+1 パワー」の刃に肌があたる角度を調整するための首、程度である。あとは、2本の足ですっくと立っているだけだ。慣れた姿勢である。どこにも無理な力は入っていない。

「ん?」

不快感が思わぬ場所から発生した。一連の作業にほとんど関与してないである。腰に鈍い痛みが走ったのだ。
そりゃまあ、私はあまり腰が強い方ではない。「グルメに行くばい!」の「第46回 :番外編12 ラスベガス(上)」「第47回 :番外編13 ラスベガス(下)」でご紹介したような、悲喜劇も体験した。
でも、立っているだけで腰に来るか? そんなんじゃ、寝てるしかなくなるじゃないか。寝たっきりの暮らしは退屈だぞ。仕事も出来ないぞ。私のQOL(Quality of Life)はどうなる!

いいたいことは数々ある。だが、私がいったところで、変化をきたしたのは私の体である。私を除けば誰も関心を持たない。いうだけ無駄である。無言で、この体と折り合いをつけて生きていくしかない。
それに、動けないほどの痛みでもない。腰に不快感がある程度だ。ま、少しばかり動きづらいが、たいしたことはあるまい。時とともに不快感は薄らぐはずだ。そう考えて会社に出た。

午前中はそれほどでもなかった。だが、昼食をすませたころから不快感が強まった。特に、立ったり座ったりが辛い。まあ、それでも時間との勝負だ……。
ふと思いついた。不思議なことに、私の会社にはヘルスキーパー室というのがあり、マッサージ師が常駐している。利用したというヤツがいたなあ。
私も使ってみることにした。社内のホームページで調べると、完全予約制で40分1000円とある。ま、この不快感と手を切れるのなら、1000円は高くはあるまい。

15時の予約が取れた。地下2階にあるヘルスキーパー室に出向いた。

「どうされました?」

この人は、もう初老に足を踏み込んでいるのだろうか? そんな男性が出てきた。

「いや、ちょっと腰がおかしくなりまして」

 「そうですか。では、皺になったら困るものはそちらで脱いで頂いて、このベッドに載ってください」

ストリップを薦めるマッサージ師というのも珍しい。ま、私が若い、ナイスボディーの姉ちゃんだったら理解できないこともないが。
おじさん、私の裸を見てどうする? それも趣味の問題か?

「いや、シャツもズボンも皺になってもいいですから」

こうして40分の施術が始まった。

私は俯せである。彼の指は私の背筋に添って指圧していく。なかなか気持ちがいい。

「あー、凝ってますね。これは凄い。お辛いでしょう? ここ、ここですよね」

彼の指が集中的に責め始めたのは、私が「おかしくなった」といった腰ではない。肩である。彼の指は首筋から肩、肩胛骨の縁、背筋と、なかなかつぼにはまったところを責めてくる。私の頸椎が変形していることは、「2007年12月6日 ボーっ」で書いた。そのため、首の付け根から背筋、両肩に書けて酷い凝りがある。時折、痺れたりもする。
あーっ、気持ちいい!

「そこね。うん、頸椎が変形してるんだって。だから、まあ、慢性病みたいなものなのよ」

 「そうですか。あの○○さんが同じ症状で手術されたのはご存じですか?」

 「ああ、知ってますよ。うまく行ったんで彼、人にも手術を薦めてるんだってね」

「はい。でもね、頸椎を手術する場合は、整形外科じゃなくて脳外科の方がいいらしいですよ。場所が場所ですからねえ」

 「ああ、そうなんだ。なるほどねえ」

こいつは記憶しておかなくちゃ。
彼の手はまだ首筋から背筋、肩を行ったり来たりしている。もう7,8分になる。

「いやあ、本当に凝ってる。このあたりはいかがですか?」

気持ちいい。確かに気持ちはいい。だが、である。今日の問題は肩ではない。

「あのー、今日はそっちではなくて腰なんだけど。肩の方は別のマッサージに通ってるんで」

 「あー、そうでした。腰ですよね、腰」

彼の手がやっと腰に降りた。押す。さする。

「ははあ、これはたいしたことはありませんね。足の痺れもないでしょ? うん、これはたいしたことありません。大丈夫です」

いや、たいしたことはないとは思っている。でも、立ったり座ったりするのが少し辛いのでここに来ているのである。大枚1000円も握りしめて。できれば、この不快感を軽くして欲しいんだけど……。そこ、そこ。そこをもっと強く押してくれないかなあ。
だが、ともすれば彼の指は、また私の肩に戻ろうとするのである。
たいしたことないと思えば軽く済まし、客が頼みもしないのに、より重症部分に手を出したくなる。なにか、それってプロのプライドか?

 「はい、今回はこれまでということで」

マッサージの心地よさにうたた寝をしていたのかも知れない。彼の突然の発言で我に返った。

「ああ、どうもありがとう。はい、これ1000円ね」

「腰はたいしたことはないですよ。まあ、不快感が残っているうちはあまり無理をしないようにしてもらった方がいいでしょうけど」

その声に送られて自分の席に戻った。彼はとうとう、私の腰には関心を持ってくれなかった。昨日はそんな日だった。
えっ、マッサージに効果はあったかって?

以下、事実のみを書く。
昨日、会社にいる間は、腰の不快感は相変わらず居座り続けた。軽くなった実感は皆無だった。
自宅に戻って腰に湿布を貼った。
今朝、布団から起きあがるにのやや不自由した。
犬の散歩の途中、慣例に従って公園で10分ほどストレッチをした。腰については次の2点である。
まず、腰を軸にして上半身を出来るだけ右に倒す。10数える。次に左に倒す。10数える。
次は足を組む。右足を上にして組んだ場合、右股の外側に左手の肘をつけ、左手を突っ張って上半身を出来るだけ右に回す。腰が悲鳴を上げそうなるまで。終われば足を組み替え、上半身を左に回す。
食事をしてシャワーを浴び、髭を剃っていま会社にいる。
腰? 心なしか、昨日よりは楽だ。マッサージがよかったのか、湿布が効いたのか、ストレッチが最大の効果を生んだのか、は不明だ。ま、楽になったんだからそんなことはどうでもいいのかもしれないが……。

 

貧しさは悲しいものである。だが、よくよく考えてみれば利点がないわけでもない。家貧しゅうして孝子出ず、などという高尚なことではない。私がいいたいのはもっと身近なことだ。
貧しさの利点はもったいない精神が、体にも心にも染みこむことである。これから食糧危機の時代が来るそうだ。そうなっても、三つ子の魂を忘れない私は生き残り組にいるはずである。

ハワイに向かう飛行機の中で繰り返し襲ってくる嘔吐感から私を守ったのは、もったいない精神だった。
一度口から入れたもの、胃に収めたものを吐き出してなるものか。胃に収まっているのは、やがては我が血となり肉となるものなのだ。 これを嘔吐用の袋に吐き戻すことほどもったいないことはない。いけない。そんなもったいないことをすれば、私は神を汚すことになる! ともすれば胃から逆流して食道に、口腔に上ってこようとするものを、私は必死で押しとどめた……。

ホノルル国際空港に到着したのは、現地時間の真夜中だった。私が乗っていたのは、ほぼ数秒で燃料タンクが満タンになるレーシングカーではない。太平洋を飛び渡るジェット機である。給油にはかなりの時間がかかる。それを知った私は1も2もなくタラップを駆け下りた。一刻も早く美味い空気が吸いたかった。

再び飛行機に乗り込んだ。軽い嘔吐感は続いたが、数時間の後、最初の目的地サンフランシスコ空港に無事到着した。もったいない精神に守られた私はアメリカ大陸の大地を踏みしめた。空港ビルを出ると、8月とは思えないひんやりとした空気が迎えてくれた。

さて、ここでサンフランシスコを一言で表現してみたい。
渡米前、私のイメージにあるこの町は、コニー・フランシス(Connie Francis)の「思い出のサンフランシスコ」だった。

I left my heart in SanFrancisco.

と始まるこの曲が私の頭に植え付けたイメージは、美しい町だった。
あるいは、ゴールデンゲートブリッジも、このイメージを強化したかも知れない。

齢を重ねたあとで持ったイメージは2つある。
1つ目は、何故か、サンフランシスコ=H氏である。そう、デジキャスでともに働き、不思議なことにいまだに交友関係が続いているH氏である。
彼に会うまで、私はサンフランシスコの短縮形は「シスコ」であると信じて疑わなかった。その私を、H氏はバカにした。

「いやだなあ、大道さん。向こうじゃ誰もシスコなんていわないよ」

私はむっとして言い返した。

「じゃあ、何というんだよ」

 「サンフランですよ、サンフラン。サンフランというんです」

サンフラン? なんか間の抜けた呼び方である。日本人がパリで乞食になったら

「3フラン」

 「3フラン」

と街角で叫ぶのかも知れない。
でも、あの美しい町がサンフラン? 嘘だろ、と言いかけて思い出した。H氏はかつて、カリフォルニアで働いたことがあるのだ。現地に住んでいたのだ。だとしたら、ホントにサンフラン、なんていうのか?
あいつ、俺のことからからってんじゃないか? 私はいまだに、サンフランという呼び方になじめない。

次は長じてあの町を訪れた時のことだ。

「大道さん、あの旗、見えます? 何の旗だと思います?」

彼が指さす方を見ると、ビルの窓から複数のパステルカラーを組み合わせた旗が突き出ている。パステルカラー。子ども向きの色である。思わず聞いた。

「何か、サンリオと関係ある? あそこにサンリオのショップがあるとか?」

彼は小馬鹿にしたような表情をした。

「あれはレインボーフラッグっていうんです。ゲイのシンボルなんですよ。サンフランシスコってそんな町ですから」

サンフランシスコ=ゲイ。これが2つ目のイメージだ。

だが、初めて彼の地を訪れた中学3年生の私は、もっと強烈な印象を持った。サンフランシスコとは泥棒の町である。

宿舎は市内のYMCAだった。といっても西城秀樹が歌った、あの曲ではない。Young Men’s Christian Associationという、キリスト教精神を大切にする団体が運営する宿泊所である。事件はここで起きた。到着した日か、次の日だったと記憶する。

「あれーっ、誰かこの部屋に入った?」

素っ頓狂な声が隣の部屋から聞こえてきた。アメリカ・サンフランシスコの宿泊施設に響く日本語。いまのように、世界のどこに行こうと日本人が溢れかえっている時代ではない。特殊な日本人しか国境線を越えなかった時代の話である。となると、これは派米少年10人の誰かが発したものに違いない。

廊下に出てみた。派米少年仲間のA君(これは頭文字ではない。名前を失念したのでアルファベットの最初の文字をあてているに過ぎない)が怪訝な顔をしている。

「どうしたの?」

 「いや、部屋に戻ったら俺の荷物がひっくり返っていてさ。出かける時にはキチンと整理していたはずなんだけど、トランクの蓋は開いているし、中身は床に散らばってるし……」

私たちは、公式行事(が何であったかは、いまとなっては不明)から戻ったところだった。

「おい、それって泥棒じゃないか? 何かなくなっている物はない?」

 「それが、ほらキヤノンからもらったカメラが見あたらないんだ」

 「もっと捜してみろよ。せも、きっと泥棒だぜ」

といいながら、自分の荷物が心配になった。隣の部屋に泥棒が入った。だとすれば、私の部屋が無事である保証はない。だけど、部屋の中は荒らされた様子はなかったが。
私を含む全員が、自分の荷物を点検した。幸いというべきか、可哀想にというべきか、荒らされたのはA君の部屋だけだった。なくなったのはカメラだけだった。
A君には、出かける時に施錠をしたという記憶がなかった。恐らく、泥棒君はすべての部屋のドアのノブを回してみて、スッと空いた部屋に入り込んだのだろう。侵入して家捜ししたら、金目のものはカメラだけだった。彼が入り込んだのは、そんな旅行者の部屋だった。ひょっとしたら

「チッ!」

と舌打ちしながら、仕方なくカメラを持ち出したのではなかったか。
なにしろ、盗まれたキヤノンデミは、当時1万円少々だった。1ドル=360円時代だから、ドルに換算すると30ドル弱である。それに、日本製カメラが、

「安かろう悪かろう」

から

「安くて良い」

に変わったのは、1965年以降だと何かで読んだ。我々10人の渡米は、その前だったのである。
泥棒君は冒したリスクに見合う獲物を手に入れたのかどうか。

にしてもなあ。アメリカとは当時、世界で最も豊かな国だった。そのアメリカにも泥棒がいる。しかも、その泥棒君は一流ホテルを狙わず、どちらかといえば低所得者が利用する YMCAの宿泊施設に侵入した。
恐らく、泥棒君も貧しかったのだ。彼の服装で一流ホテルを徘徊すれば、不審者としてつまみ出される。仕事が出来ない。だが、YMCAなら目立つこともあるまい。そう考えたのではないか。
悲しく、滑稽な話だ。アメリカは、大変に豊かな人々と、大変に貧しい人々が同居する国である。それはいまもって変わっていない。我が国がアメリカのコピーになりませんように。

もちろん、中学3年生の私がそんなことまで思いつくはずがない。

アメリカは泥棒の国だ。ヤツらは私の持ち物を狙っている。隙を見せてはいけない。我が資産には常に目を光らせていないと危ない。
私も、金目のものはカメラ程度しか持っていない。だだ、A君と違うのは、叔父が貸してくれた自称高級カメラを持っていることである。これを盗まれたら、叔父は狂い死にをするかも知れない。
これからアメリカで過ごす日々を無事過ごすには、大統領警護官並みの注意力が必要だと自分に言い聞かせたのである。