2008
09.21

2008年9月21日 8割

らかす日誌

腰は8割方回復したように思う。椅子に座るのがさほど苦痛ではなくなった。痛み止め、並びに座薬の効果か。はたまた、マッサージがよかったのか。それとも、何もせずとも治る時期に来ていたのか。そのあたりは判然としない。判然としなくても、腰の痛みが解消すれば、それはそれでよいことである。
みんな、ありがとー!

残りの2割は、意外な場所に出た。お尻から大腿部の後ろにかけて、何かよく分からない張りがあるのである。これまでの腰痛の回復過程ではなかった感覚だ。筋肉が凝っているというのでもない。表現しにくいが、なにやらプラスチックの板でも中に入っているような感覚なのだ。歩いていて、なんだかそのあたりが突っ張り、自然な歩みが乱される。
が、まあ、それまでの腰の痛みに比べたら月とスッポンほどの差がある違和感だ。時を待てばそれもなくなると思うが。

よって、全快祝いはまだしていない。朝起き抜けの腰の柔軟体操は必要不可欠である。全快したと認定できれば、腰の周りに筋肉強化に努め、腰痛再発を防ごうと思う。

また1日空いた。まとめて書く。

9月20日
目覚めても、腰の痛みはずいぶん楽になった。犬の散歩を済ませ、新聞にざっと目を通して朝食の準備にかかる。
考えてみれば、ルンルンの独身生活にはいって、朝食を自分の手で作るのは2度目である。ピシッと決めたい。

みそ汁は必需品である。冷蔵庫を開けたら、取り置きのダシが紛失していた。娘が処分したらしい。仕方なく、煮干しでダシを取る。
前夜から分かっていれば、鍋に水を張って頭を取った煮干しを10数尾つけ込んでおくところである。ところが、取り置きのダシがないことに気がついたのは朝になってからだ。仕方なく、10分ほど煮干しをつけ込んだ。
この間に、具を決めなければならない。さて、どうしよう?
簡略に行くことにした。ネギである。長ネギを3cmほどの長さに切りそろえ、これを具とした。煮込んだ長ネギは美味しいものである。そろそろ勢いをつけて食べないと悪くなりそうなこともあった。これに冷凍保存の揚げを加えれば、立派なみそ汁になる。

さて、メインディッシュは何にしよう?
焼き魚では、16日の繰り返しでしかない。よし、今朝は腰も軽いことだし、野菜炒めでも作るか。
冷蔵庫を開けて使える野菜を見繕う。キャベツはある。ピーマンもクシャクシャになったのが1個だけあった。ま、食べて食べられないことはないだろう。人参も相当色がどす黒くなり、身も柔らかくなっているが、こいつも皮を剥けば何とかなる。うん、タマネギがあった。こいつはまだ元気ばりばりだ。半分だけ使ってやれ。もやし、ニラも欲しいところだが、ないものは仕方がない。豚肉は冷蔵庫にあったはずだ。2切れ取り出して食べやすいサイズに切った。ニンニク1片をみじん切りにした。

フライパンにキャノーラ油を入れる。弱火で加熱しながら、ニンニクを入れて香りを付ける。この油に塩を入れる。こうすることで、全体に塩味が回る。
まず豚肉を炒め、色が変わったら火が通り難いものから入れて炒める。私は、キャベツ、人参、ピーマン、タマネギの順で入れた。全体に火が通ったら黒胡椒をたっぷりふりかける。さらに、フライパンの端の方から醤油を少量注ぎ、全体をざっとかき混ぜる。これで完成である。

食卓に上ったのは、冷蔵庫で保管したご飯をレンジで温めたもの、みそ汁、野菜炒め。栄養バランスもなかなかよろしい。これで十分である。

朝食を済まし、念のため腰湯。その後次女と瑛汰を迎えに行き、昼食は作り置きのカレー。瑛汰昼寝の後、3人で妻の病室へ。思えば、入院後初めての見舞いか。

夜、長男夫婦来る。土曜日にお袋を見舞いに行くと殊勝なことを言っておきながら、遊びに忙しかったらしい。見舞いはキャンセル、我が家に来て夕食に鍋を作る。考えてみれば、息子の奥さんが作った料理を初めて食べた。息子も手伝っていたが。

そして21日
6時40分に起床。犬の散歩の後、新聞に目を通す。
朝食は、
ジャガイモのみそ汁。例によって、冷凍の揚げと刻んだネギを加えるから、これで十分。
メインディッシュは冷凍保存されている鰺の開きの半身。
ほかにないかと冷蔵庫を探したが、めぼしいものはない。
なにしろ、自分で買い物をしたものを保存してるのではないから、使い勝手が極めて悪い。名古屋で1人暮らしの時は、1週間の朝食メニューを考えながら買い物をしていたから、こんなことはなかった。今回は、いかにも中途半端な独身生活である。
と思いながら引っかき回していたら、納豆が1つ出てきた。こいつを採用。あわせて、野沢菜の漬け物を切って食卓に。これだ足りなきゃ、海苔でも出すか。

というわけで、食卓に並んだのは
ご飯
 鰺の開き半身
 みそ汁
 納豆
 野沢菜

である。豪華絢爛とはいかないが、まずまでではなかろうか?

朝の腰湯はなし。腰は全治とまでは行かないが、それほど心配しなくてもよくなった。
次女と瑛汰を迎えに行こうと思っていると、妻から電話。今日帰宅するという。
えっ、帰宅?

「日曜だから、看護婦さんに外出許可を頼んでるの。許可が出たらまた電話するから」

感嘆した。そういえば、妻は入院のプロである。なにしろ、膠原病の症状が悪化して半年ばかり入院したのが、もう15年ばかり前。それを皮切りに、右大腿骨骨折で入院、左大腿骨骨折で入院、さらに腎生検で入院と繰り返し、今回が5回目の入院である。通算で1年前後の病院生活ではなかろうか。
これほど経験を積むと、病院は妻の第2の故郷に近くなる。病院がいかなる機構で動いているか、どのような論理で入院患者が管理されているか、説明されなくともお見通しなのだ。
土日は医師の数も減り、たいした治療行為は行われない。症状が安定していれば、外出は許可されるはずである。
以上が、私が推測する妻の論理である。で、その論理に従って、看護婦に外出許可を申し出た。

妻の論理の正しさは、間もなく実証された。

「これから点滴して、それが終わったら外出していいと言われたので、11頃迎えに来て」

独身生活を謳歌するはずの私は、再び私設運転手となった。次女と瑛汰を乗せて済生会横浜市東部病院に向かった。

自宅に戻る途中、近くのイトーヨーカ堂で買い出しである。このメンバーだと、私は瑛汰の飼育係となる。隣のヤマダ電機に瑛汰を連れて行き、しばらく遊ばせた後イトーヨーカ堂に戻る。瑛汰は、鰯とサンマのハンバーグを試食する。聞くところによると、瑛汰はデパ地下での試食が趣味らしい。今日は1格下げてスーパーでのご試食である。だからだろうか、彼が味に感動した時に発する

「美味い!」

 「美味しい!」

という言葉は聞かれなかった。たいした味ではなかったのだろう。よって、このハンバーグはお買いあげなし。
という次第なので、妻と次女がいったい何を仕入れたのか、私はとんと分からない。明朝冷蔵庫を開けて、さて、朝食をどうしようか? と呆然とするかも知れないが。まっ、いいか。そんなこともあろうかと、インスタント焼きそばを買ってあるから!

自宅に戻った妻は台所に座りっぱなしであった。昼食を作り、瑛汰と次女が昼寝をしても台所に座り、昼寝もせずには夕食を作った。入院中の患者の行動とはとても思えない。ひょっとして、入院すべきは、入院中の母に働かせて昼寝を決め込んだ次女かも知れない。

酒抜きの夕食。午後8時までに病室に戻らねばならぬ妻と次女・瑛汰を車で送るためである。華麗なる独身生活を謳歌しようと思っても、現実はなかなかそれを許さない。いつになったら私設運転手の立場を抜け出せるのだろう?

送り終わって自宅に戻り、一人っきりでエビスビールを1本。
食後のビール? ビールは空きっ腹に飲むから美味い。たっぷりと食事を取った後の腹に流し込むのは、美味を求める我が信条に反する。
だが、これが、私設運転手の現実である。

ルンルンの独身生活はいつやってくるのか?

まだまだ独身生活は続くのだが。