12.21
2009年12月21日 泣きっ面
ずいぶんご無沙汰した。年の瀬、思いのほか仕事がたまったためである。お許しいただきたい。
先週金曜日、仕事で東京に出た。東京に出たら知り合いと旧交を温める。温めたあとは、横浜・鶴見の我が家、いや、いまでは次女一家の家で寝る。それは既定のコースである。今回も、定まったコースを走り抜けた。
土曜日、7時頃目覚めた。まだ誰も起きていない。若者たちは朝寝である。いや、歳をとると目が早く覚めるといった方が正確か。
1人で新聞を読んでいた。やがて皆が起き出した。
「瑛汰、降りてこないの?」
次女が3階に向けて声をかけた。次女と瑛汰は3階で寝ていたらしい。
「ボス、いるよ」
トン、トン、トン。体重の軽い生き物が階段を下りる音がした。別に急ぐ風でもない。ゆっくり、慎重に階段を下りてくる。やがて戸口から
「ボス!」
と、可愛い声がした。瑛汰である。
「おう、瑛汰、お早う」
と来れば、瑛汰は私の膝に飛び乗ってくる、のがこれまでだった。
土曜日の瑛汰は、少し違った。来ない。目で私を追いながら、私に近寄らない。
「瑛汰、何を恥ずかしがってるの?」
娘がいった。瑛汰、恥じらいを知る時期にさしかかったらしい。
朝食を済ませ、瑛汰とLEGOで遊び、9時半を過ぎた。
「お父さん、今日はどうするの?」
「ああ、帰るが、その前にラゾーナに行かないか? 瑛汰にクリスマスプレゼントを買わなくちゃいけないし」
10時前に家を出た。これから娘の車でラゾーナに向かう。
娘のフィットに乗ろうとして、異変に気がついた。左の後輪がひしゃげている。
「おい、パンクしてるぞ」
このような状況で、娘は無能力である。何をしたらいいのかの知識が皆無なのだ。私がやるしかない。パンク—スペアタイヤと取り替え—ガソリンスタンドでパンク修理。私には確かなプランがある。これも年の功なのだろうか?
フィットのトランクを開けた。スペアタイヤは普通トランクに積んである。ところが、ない。スペアタイヤがどこにもない。
「おい、この車、スペアタイヤはどこに積んでるんだ?」
即座に答えが返ってきた。
「知らないわよ、そんなの」
悪かった。このような不毛な会話を引き起こしたのは、車の所有者ならスペアタイヤの在処ぐらい知っているはずだという私の先入観だった。
我が不明に恥じ入った。
が、恥じているばかりでは修理ができない。取扱説明書でパンクの項を見た。何でも、パンクの際はパンク修理材を使えとある。それはトランクの片隅に収納されているとあった。
再びトランクを開けた。片隅を見る。カバーをはずすと、それらしきものがあった。
「ふーん、フィットって、スペア積まないんだ。変わりにパンク修理材? それでどれだけコストダウンできるのかねえ。パンクぐらいならいいが、タイヤがバーストしたらどうするつもりだろう? 訴えられるぞ」
ホンダの経営戦略にまで思いを及ぼしながら、取扱説明書に従ってパンクしたタイヤの空気を抜き、修理材を注入した。最中に、タイヤに刺さったねじを見つけ、抜いた。
さて、修理材はすべてタイヤに注ぎ込んだ。でも、タイヤはぺったんこのままだ。そうか、パンク修理材ではタイヤは膨らまないんだ。さて、どうする?
取扱説明書によると、コンプレッサーで空気を入れろとある。コンプレッサー? そんなもん、このうちにあったか? 私の記憶によれば、ない。
「おい、自転車の空気入れを持ってこい」
かなり大変な作業だが、コンプレッサーがなければ人力でやるしかない。
娘が命じられた品を持ってきた。この器具で、何とか空気をタイヤに入れようと試みた。どう試みても、入らなかった。口が合わないのである。
おいおい、ホンダさん、これ以上どうしろってか? いまからコンプレッサーを買いに行けってか? 買いに行くにも、肝心の車が動かせなくては、何ともならないじゃあないの。どうしてくれる?
怒りが心頭から発しようとしたとき、ふと思いついた。
「パンクは、自宅の車庫で発見するものとは限らない。人家のない山道でも、高速道路上でもパンクはするものだ。だとすれば、修理の必需品であるコンプレッサーも、車に用意してあるのではないか?」
大変に論理的な推理である。私は己の推理に従い、再びトランクをのぞき込んだ。あった、コンプレッサーが。トランクの片隅、先ほどまでパンク修理材があった場所の奥に、恥ずかしそうに鎮座していた。
念のためにガソリンスタンドに立ち寄り、パンクを修理してラゾーナに赴いた。瑛汰にLEGOと粘土を買い、さて桐生に戻ろうかと思ったら、もう11時半。そういえば2人目を身ごもって間もない次女は、食事作りが苦になると聞いていた。
「おい、昼飯を食うか?」
と声をかけたのは私だが、精算したのは次女だった。ややちぐはぐな結果だが、まあ、長年親をやっていると、時にはこのようなこともある。
「ボス、帰っちゃだめ」
という瑛汰をなだめて京浜東北線に乗り、上野から銀座線で浅草へ。このタイミングなら、3時過ぎには桐生に帰り着ける。切符売り場に並んだ。
「新桐生」
私はいつものように発注した。ところが、駅員はいつものような返事を返さなかった。
「すいません。人身事故がありまして、運行がストップしています。切符もお売りすることができません」
一難去って、また一難。ん? だとすると、私は桐生に戻れない?
「復旧の見通しは?」
「いま現場検証中ということなのでわかりません。少なくとも30分以上はかかるかと」
さて、東京から桐生に向かうには、いくつかのルートがある。浅草から東武線を使うのが最も簡便だ。が、新幹線で高崎まで行き、両毛線で桐生に至る。あるいは新幹線で小山まで行き、同じく両毛線で桐生にたどり着く。
その程度の知識はあった。では、そうするか?
その時、私がいたのは浅草である。浅草から東京駅に出るには、再び銀座線と京浜東北線、あるいは山手線を乗り継ぐしかない。
面倒になった。ひょっとしたら前夜、旧交を温めすぎたせいかもしれない。
「まあ、いいや。急ぐ旅でもないし」
喫茶店に入って本を読んだ。40分後、切符売り場に戻ると、切符は売り出されていた。15時40分発だった。まだ1時間ある。
改札し、ホームに出てベンチで本を読み継いだ。
「お前な、こんな寒いホームで何時間待ってると思うんだ! 早く電車を走らせろ!」
駅の女性事務員に向かって罵声を張り上げるジジイがいた。私はこのようなジジイを好まない。別に、その女性事務員がダイヤの乱れを引き起こしたわけではない。引き起こしたのは、どこかの駅で電車に身を投げた不幸な人である。この女性事務員には、いっさい責任がない。また、この女性事務員に怒鳴っても、すぐに電車が来て動き出すわけもない。
おい、ジジイ、その程度の理屈もわからないのか? 寒いんだったらホームを出て、電車が動くまで冬眠してろ!
といいたかったが、絡まれると面倒なのでやめた。
浅草駅を15時40分発の電車が出たのは、16時ちょうど。桐生には18時前に着いた。何だか、疲れた。
自宅にたどり着き、風呂に入って、定例の「刑事コロンボ」を見ながらビールで晩酌、飯を食った。それでも疲労感が抜けない。何と長い一日であったことか。
映画を見る気にも、ギターの練習をする気にもならない。22時には布団に入った。疲れたときは、横になって本を読むに限る。もっとも、横になる時間が長すぎると腰が痛むのが私の年齢ではあるが。
この疲労感は、旧交を温めすぎたためなのか、それとも予期せぬハプニングが2つも重なったためなのか。
答えが出ないうちに寝入った。
おいおい、今日は日誌がなかなか更新できなかった言い訳の日誌か? まあ、そう指摘されたも、あながちはずれではない。
ついでに付言する。昨日更新できなかったのは、日曜日であるにもかかわらず、年末までに仕上げなければならない仕事に追われていたためである。
まあ、それも前日の余波と言えないこともないが。
今のところ、突発事故がない限り、今年の仕事は遅くとも24日には仕上げる予定である。健気にも、そのあとは連日日誌を更新しようと思っている。
ということで、長のご無沙汰をお許しいただければ幸いに思う。許して、ね!