02.15
2010年2月15日 指
数日前から、左手人差し指がこわばっている。意識しなければ何でもないのだが、ふと曲げ伸ばしをしてみると、第2間接が腫れているかのように、曲げると違和感がある。
「ありゃ、歳をとるってこういうことかな。そのうち、ほかの指の関節も同じようになって、やがて曲げ伸ばしが不自由になるのか?」
ま、そんな歳かもしれない。完全に不自由になるまでの残り時間はいかほどあるのか? そう思っていた。
いや、違うんじゃない?
ふと気がついたのは、昨日、ギターを練習しているときだ。現在の練習曲、Diamond Headの リードパートの練習を繰り返しているのだが、左手人差し指で1弦から3弦までの第5フレットを左手人差し指で押さえ続けて弾くところがある。軽く押さえていてはビビッた音が出るので、強く押さえる。それでも音がビビルと、全身の力を左手人差し指に集中して押さえる。
「そんな練習が続いている。ひょっとしたら筋肉疲労?」
寄る年波のせいか、それとも筋肉疲労か。我が左手人差し指の違和感は、そのうち結論が出るはずだ。前者であればさらに悪化する。後者であればやがて違和感はなくなる。
できれば、後者であってほしいと願う私は、まだ実年齢と添い寝できていないか。
すっきりしない天気が続く。朝から仕事があったので、夕方歩こうと思っていたら雨。本日の散歩は中止。
にしても、である。我が天下のNHK総合放送はいつからスポーツチャンネルに衣替えしたのか? 朝からオリンピック一色である。
そりゃあねえ、かつてのようにアマスポーツの祭典で、見たいという人がそれほどいないのならなら公共放送がやることもまだ理解できるが、いまやオリンピックは金を費やした方が勝ちという、プロスポーツ以上のプロの祭典に成り果てている。運営費だってほとんどはスポンサーから徴収しているわけだし、すべてが商業ベースで進んでいるのだ。だったら、高い放映権料を払って公共放送がやる意味はない。すべて民放でやってもらおうじゃないか、ぐらいの判断はできないのかね。けばい姉ちゃんを画面に登場させ、話の仕方、表現の仕方が小学3年生以下でしかない元選手を解説委員に使うのも、まるで民放的な手法。あんな画面を見ていると、コマーシャルが入った方がすっきりするのだが。
とは、テレビを見ながら昼食、夕食をとった私のつぶやきである。つぶやいているのは、まだ私だけかな?
桐生は明日も雨らしい。車を洗うタイミングがつかめず、我が愛車は目下泥だらけの状態だ。