05.14
2010年5月14日 もてなし
仕事の途中、桐生の老舗書店「シロキヤ書店」に立ち寄った。妻が注文していた本を引き取りに行ったのである。
「お父さん、この本ほしい」
と妻が新聞を持ってきたのはもう1ヶ月ほど前のことだ。別に、私が彼女の誕生に責任がある男性ではないのだが、いつの間にか私の呼称はそうなっている。
活字に敬意というものをまったく持たず、カバーや表紙、ページが折り曲がっても平気。本を大事にせず、隙あらば私の本を処分して書棚をすっきりさせたいという、私とは正反対の性格を持つ妻にしては珍しいことであった。
見ると、絵本である。
「はじまりの日」
ボブ・ディランが書いたらしい。何でも、名曲、Forever Youngを 絵本にしたものだという。が、私にはまったく関心がない。
「どうするんだ、こんな本を買って」
口をついて、そんな言葉が出た。妻は、釣り上げられた河豚のように膨らんで去った。
それでおしまいと思っていた。が、諦めの悪い奴である。いや、行動力があるといった方がいいかもしれない。2週間ほど前、
「シロキヤ書店に頼んでおいたから」
突然宣言された。私に、アマゾンで買ってもらおうと思ったらやってくれなかった。そこで、自ら電話をかけて注文したらしい。
パソコンという現代文明の機器は使えない妻も、ひと昔前の文明の機器は使いこなせる。というか、妻が受話器を握りしめている時間は、私が電話を使っている時間の10倍ほどある。我が家の通信費の大半は妻が使っている。
「本が来たっていうの。都合のいいときに取ってきてくれる?」
といわれたのは昨夕のことだ。
今日午後、シロキヤ書店の駐車場に車を入れ、店内に入った。この書店は店内にはいるとすぐ右側にカウンターがある。
「大道ですが、頼んでいた本が入ったと連絡をもらったのですが」
カウンターの内側にいたおじいちゃんが、注文で取り寄せた本を置く棚を見る。探しあぐねている。
「絵本なんですけどね」
おじいちゃんの困惑ぶりを見て、ヒントを差し上げた。
「絵本? 絵本なら2階かな?」
おじいちゃんは店内電話を取り上げて、2階に電話をした。
「うん、大道さんが注文された絵本なんだけど、そっちにある? あ、ある。はいはい」
電話を置いたおじいちゃんは私に行った。
「2階に置いておりますので、そちらへ」
おいおい、たかが絵本かもしれないが、俺は客だぞ。あんたが2階に行って持ってくるのが普通じゃないの? 客に、階段を上って取りに行けってか?! そもそも、客に一番負担が少ない1階のカウンターに何故置いておかない?
喉まで出かかった言葉をぐっと抑えた。私は人格者なのである。こんなところでおじいちゃんを怒鳴りあげるのは私のスタイルではない。
「階段を上がったらすぐのところにカウンターがありますから」
何度かこの書店には足を運んでいる。2階が児童書と参考書の売り場であることも知っていれば、カウンターのありかも承知している。
階段を上がった。カウンターに着いた。
誰もいない。???
フロアを見回した。一番奥のデスクにお兄ちゃんが座っている。このフロアに、ほかの店員の姿は見えない。
おいおい、下からの電話で、これから客が2階にあがってくることは分かってんだろ? どうして注文の本を用意してカウンターの内側で待っていない?
「すいません。注文した本を受け取りに来たんだけど」
大きな声を出した。
「あ、はい」
お兄ちゃんは棚から絵本を取り出し、私のところに歩いてきた。ここは走ってもいいところだと思うが、それも口にしなかった。
「で、いくらかな?」
財布を取り出した。思っても見なかった返事を聞いた。
「いえ、お支払いは1階のカウンターでお願いします」
…………。
ということはあれか? 客である俺は、店内での本運び、荷物運びにこき使われたということか? あんたら、それでよく商売やってんな!
商売の極意とは、客をもてなし、気持ちよく金を出させることである。本来自分のするべきことを客に肩代わりさせて楽することではない。
こんな商売してると、いくら老舗とはいえ、つぶれるぞ! この店、いつ来ても客の姿はまばらじゃないか。教科書販売の利権だけで食っていくとはどういう了見だ?!
そう怒鳴りたかったが、私は人格者である。静かに財布を取り出し、1000円札を2枚渡して320円のお釣りをもらい、車に戻った。
けっ、田舎本屋が!
そんな言葉が頭の中をグルグルと走り回っていたことはいうまでもない。
だめ、だーめ、そんなに考えちゃ。
書店の人は、あなたのお腹を見て、
「この人、運動不足。階段の上り下りでお腹を0.0000001mmでも引っ込めてもらうのが最大のサービスだと考えたんじゃないの? いい店だよ」
そう考えて怒りを抑えてはみたが……。
絵本を携えて自宅に戻った。妻はソファーで横になり、何か映画を見ていた。
「取ってきたぞ」
絵本を妻の上に放った。ありがとう、という言葉を期待した。思っても見なかった言葉を聞いた。
「えっ、土曜日に取りに行くから車で連れて行ってっていったじゃない!」
こうなれば売り言葉に買い言葉だ。
「お前が取ってきてくれというから取ってきたんじゃないか。土曜日に行くなんて聞いてない!」
なんでこんなことで言い争いをしなければならないのか?
不思議な夫婦である。
もっとも、その1人は私であるのだが。