05.16
2010年5月16日 1時間40分
昨日、急遽横浜に行った。妻の命令である。
異変はその前日、金曜日に起きた。この日は瑛汰の幼稚園の参観日で、横浜に住む次女は旦那と一緒に幼稚園に行った。
それはいいのだが、幼稚園は父兄用の椅子を用意せず、ために次女は立ちっぱなしで瑛汰を見守り続けた。
次女はいま妊婦である。出産予定日は6月。我々男には理解するすべもないのだが、この時期、立ちっぱなしは辛いらしい。夕刻、妻に
「出血し始めた」
と泣きついてきたらしい。「らしい」とは、私は妻から聞かされる立場だからである。
次女のせり出したお腹を見ても椅子を用意しなかった幼稚園も幼稚園だが、自ら自分の体を守らなかった次女にも非がある。が、まあ、たいしたことはあるまいとたかをくくっていた。
妻が異様に盛り上がった。
「それはね、お腹の赤ちゃんが怒ってるのよ、っていってやったわよ」
そんなことをいっても、次女の体調に何のプラスもないと思うのだが、妻は一大事業を成し遂げたかのような勢いであった。
「赤ちゃんが怒ってんのよ、大事にされてないって」
この程度の錯乱は放っておくのが私の処世訓である。
ところが、自体は徐々に放っておけない方向に進む。
「明日(土曜日)朝から、お医者さんに行くんだって。結果次第では横浜に行くからね。お父さんも用意しておいてよ」
私の意見を聞くでもない。すでに結論は出されている。私は専属運転手として
「ああ」
というばかりである。
女心と秋の空
という。女の思いはひとつところにとどまっていない。
「もう行く。明日、行く。行くからね」
前の様子見から、様子を見なくても行くに変わるのに、さて、1時間もかかっただろうか。こうして昨日早朝、時計で確かめると午前8時10分、私は妻の専属運転手として横浜に向かった。
「俺、土日はみっちりギターの練習をしたかったんだけど」
などという繰り言は、口にしても喧嘩の種になるだけである。私は黙ってハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。
首都高がやや混み、横浜の我が家に着いたのは10時半を回っていた。
結論を急ごう。次女は、まあ普通だった。お腹は盛大に張り出していたが、ゴールデンウイーク中に比べれば、遙かに元気である。これなら、わざわざ駆けつけなくても、と思ってしまうほど普通だった。
違ったのは瑛汰である。到着した私に
「ボス!」
と駆け寄ったなり、離れようとしない。ソファに座る私にまとわりつき、背中に登り、肩に座る。
「ボス、立って!」
午前中は、瑛汰が通っている公文の塾に同行した。瑛汰はドリルをやり、パズルで遊び、紙芝居を見て、と、ひょっとしたら充実した時間を過ごしていたが、まあ、私には感心がない。その間、「吉里吉里人」を読み継いでいただけである。
戻って昼食。近くの神社ではお祭りをやっている。縁日がでている。瑛汰と2人でひやかしに出かけ、リンゴ飴、お好み焼き、くじで当てたピストル、同じくくじで当てたビニール製の刀、それに瑛汰が袋を破ってしまったがためにやむなく買わざるを得なくなった綿飴を戦利品に、縁日から引き上げる。戻って、ピストルと刀での遊びに付き合わされたことはいうまでもない。とにかく私は、瑛汰のピストルで殺されてしまった……。
2人で入浴、夕食、歯磨きをして、2人で就寝したのは午後8時。朝まで抱き合って寝ていた。私としては、できれば瑛汰ではない相手と朝まで抱き合って眠っていたいのだが、現実は優しくない。
瑛汰もストレスがたまっていたのだろう。母親はお腹がせり出して動けない。父親も4、5日前に腰痛になり、瑛汰と遊べない日が続いている。家で遊び相手を見いだしたのは久しぶりだったのである。まあ、仕方ないか。
というわけで今日、昼食をすませて桐生に戻った。
昼食を取りながら、
「ボス、食べたら桐生に帰るからね」
という私に、瑛汰は
「ダメ。瑛汰、ボスと昼寝する」
といって聞かない。そこまでいうのなら、寝かしつけて桐生に向かうか、とベッドにはいると、
「瑛汰、眠たくない」
「じゃあ、ボス、帰るぞ!」
「うん、いいよ」
瑛汰の心も秋の空か。丸1日のボスとの密着で、そこそこ満足してくれたらしい。
帰りは快適だった。まったく渋滞のない高速道路をひた走り、所要時間1時間40分は、過去1年で最短の記録である。計算をすると、この間の平均時速は84km。一般道を含めての平均だ。さて、高速での平均はどの程度だったのだろう?
今日も、パトカーにも見つからなかった無事に感謝する。