2011
01.28

2011年1月28日 情けない

らかす日誌

いや、実に情けないことになってしまった。

腰痛が再発した。ヘルニアによる左脚の痺れに加えて腰の痛み。
いまや、我が自律移動能力は累卵の危うきにある。

異常を感じ取ったのは、昨夜10時前後だった。その時私は、桐生市内の韓国料理店、MATSUYAにいた。市内の有力者、O氏の誘いに乗ったのである。

「大道ちゃん、今日誘ってたっけ?」

午後5時前に電話が来た。

「そういえば、誘われていたような気もするね」

こうして飲み会がセットされた。私の、週1回のギター教室の終了後である。

MATSUYAは数ヶ月前、この2人で訪れたことがある。極めて上質な店であるとの風評を聞き、

「ちと高そうだね」

と財布の心配をしながら2人で足を向けた。数ヶ月前のことだ。
ん? O氏って桐生の有力者ではなかったのかって? はい、有力者ですよ。でも、私の友人になるような有力者って、その程度のものなのです。

その日は、パーティの予約が入っているとかで、店に入れてもらえなかった。まあ、これは思いつきで足を運んだ我々の落ち度である。店の人の話を聞けば、我々の人相風体を怪しんで入店を拒否したのではないらしい。素直に引き下がった。

というわけで、昨日が初めての入店であった。

店内は、10人ほど座れそうな大きなテーブルが2つと、板張りの小上がりで出来ていた。小上がりにはテーブルが6つ並べてある。

「どっちにする?」

O氏がいった。
見ると、テーブルには先客がある。それぞれのテーブルに2人ずつだが、先客は先客だ。オヤジが2人、

 「御免なさい」

と同じテーブルに座るのは気が引けた。そんなわけで小上がりに上がり、向かって右側の奥のテーブルに陣取った。それが後の苦しみの元になるとは、私は全く考えていない。

そんな場所だから、当然あぐらをかく。その姿勢で、酒を飲み、焼き肉を食い、チゲ料理を堪能した。蔘鷄湯(サンゲタン)を食べたいと思ったが、3500円のこの料理は前日までの予約が必要だという。

「6時間煮込まなくてはいけないので」

たどたどしい日本語で説明したシェフは、ひょっとしたら本場の人か? ひょっとしたら、日本人相手の演技か?

まあ、それはいい。私の腰には関係がない。

有力者だけあって、年明け以降新年会に追われていたO氏は、

 「たまには大道ちゃんと飲まないとストレスがたまっちゃって」

と私を誘った。なぜかは不明だが、私は愛されているらしい。
席について3時間、己の出処進退、これからの彼の商売の展開、桐生の先行き、飲み食いしながら語り続けた。私も飲み、食い、適当に相づちを打ちながら時を過ごした。

「さて、引き上げますか」

と腰を上げようとしたとき、腰に、親しみのある異変を感じた。重い。突っ張る。痛み始める前兆である。

腰の痛みに一番いいのは安静である。自宅に着くとすぐに布団に入った。なーに、一晩寝れば元に戻るさ。いや、戻ってもらわねば困る。腰の薬は飲み続けている。今日も寝る前に飲んだではないか。目が覚めれば、左足のしびれだけに戻ってるさ。

 

目が覚めた。戻ってはいなかった。腰を伸ばすのが辛いほどの痛みが居座っていた。
郵便受けから新聞を取り、目を通す。目覚めて2階から起きてきた妻女に、

「風呂を沸かしてくれ」

と頼んだ。

 「腰の痛みが戻ってきた」

 

25分、腰湯をした。薬を飲んだ。腰にホッカイロを2個あてた。ソトレスレスチェアで読書をした。

 「いかん。ちょっと医者に行ってくるわ」

と自宅を出たのは9時半頃である。車のハンドルを握りながら、

「仕事をどうする?」

などという詰まらないことは全く思い浮かべなかった。いまは腰の痛みだけが人生のすべてである。それに比べれば、仕事なんぞは羽毛の如く軽い。私の度量は、何の疑いも持たずにそう思い込めるほど広い。

 

「あれ、大道さん、今日も牽引ですか?」

整形外科医が、いつものようににこやかに話しかけてきた。

「いや、それが痛みが再発しまして」

前夜、あぐらをかいて酒を飲んだことが原因ではないか。そんな自己診断を交えながら、症状を説明した。

「あー、やっちゃいましたか。うん、それが一番いけない姿勢なのね。あ、また元に戻っちゃったね。しょうがない。また最初から始めましょう。しょうがないね」

にこやかな医師が、にこやかにいった。私は、とてもにこやかに話す気分ではなかったが、つられてにこやかにいってしまった。

「まあ、頑張りますわ」

いま、朝に比べれば、腰は幾分楽になった。だから、日誌も書けている。が、まだ椅子から立つのが辛い。呼吸を整えて腰を伸ばさないと歩き始められない。
実に情けないことである。

 

実は、26日水曜日にも情けない思いをした。
この日、私は桐生で、私的な送別会を催した。前橋にいる後輩が、2月1日付けで大阪に転勤する。通常なら、県下の全員が集まって送別会が開かれる。組織の常識である。ところが、彼の送別会は開かれなかった。送別会の開催が検討された痕跡もない。

「だったら、俺が送別してやる。桐生までおいで。鰻でも食おう」

私はそんな性格である。

彼はまだ30代。仕事に対する意欲、使命感は強烈なものがある。それが時として、上に立つ者への攻撃として現れることがあるが、それは若気の至りと甘受すべきところである。
上に立つ者への攻撃と見せかけながら、よく聞いていると、上に立つ者へのすりよりであり、媚びへつらいであった、という卑しい心根を持つ人びとを社内で見てきた私には、彼の潔さは心地よい。

ところが、心地よく思わなかった上が前橋にいたらしい。彼は徹底的に仕事から外された。それでも、彼のことだから仕事はする。それは採用される。ところが、会話がない。どうやら、上に立つ者たちからしかとされ続けたらしい。

「それで、僕、鬱病になっちゃいまして」

と彼の口から聞いたのは年末のことだった。

 「産業医にも相談してたんですが、それでか、僕、2月1日付けで大阪に転勤になりました。公表はまだ先ですけど」

職場内での虐め。それによる鬱病の発症。彼はそう訴えた。
もちろん、それをそのまま信じるほど私はウブではない。誰しも、自分が悪かったとは思いたくないものである。鬱病の発症だって、本人側にその大半の原因があることだってある。

「実は、いまの職場での鬱病は僕だけじゃないんですよね。前橋にいるアルバイトの女の子がやっぱり鬱病になって、12月半ばでやめるんですよ」

と彼は言葉を継いだ。
同じ職場で、同じ時期に鬱病患者が2人? ここまで来ると、職場の管理職のせいではないかと考えるのが普通である。
そして、12月にやめたアルバイトの女性の送別会も、2月1日で大阪に行く彼の送別会も、とうとう開かれなかった。
原因を作った者どもが、犬の子を追い散らすように厄介者を外に出す。
私は、彼の言葉を信じた。

 「いや、職場長に、鬱病で医者にかかっていると話したんですよ。そうしたら、君は充分仕事が出来ない状態なんだからといって、給料を減らされました」

唖然とした。私がかつて奉職し、いまも定年後再雇用制度で世話になっている会社は、そこまで腐ってしまったのか。

 

かつて、同僚が突然、産休を取るといいだしたことがある。男性にも産休を認めるべきだという世論が盛り上がり、私の会社でも男性の産休制度が出来たころだ。

「だからね、せっかく制度が出来たんだから、それを使おうと思いまして。子育ては妻だけでは大変ですから」

という彼を、全員が引き留めた。

 「やめろ。制度は出来ても、上のヤツらは変わっていない。君が産休をとったら、『あいつ、おかしいんじゃないか?』って、低い査定をしかねないヤツらがいっぱいいる。君のためにならないから、産休は取るな」

それだけなら、単なるサラリーマンの会話である。だが、私の職場はサラリーマンの集まりではなかった。

 「ね、育児をする必要があるんなら、いくらでも仕事は休んでいい。その分の仕事は僕たちが引き受ける。勤務表も出勤したことにする。そうやって、ぼくらが君の育児を支えるから、産休を取るのは思いとどまれ」

どこかのリストラ主義者、リストラしか経営をよくする手法はないと思い込んでいる馬鹿どもから見たら、とんでもない話だろう。だが、人は会社の都合のために生きているのではない。人が生きるために会社という組織を使うのである。
私は、このような会社で人生の多くの時間を過ごせたことを誇りに思う。このとき、

「ぼくらが支える」

といった仲間の一人として偉くならなかったのは別の話である。人としての温かい心を持っていては偉くなれないものらしい。

その会社がここまで腐るか。
だから、桐生で彼の送別会を催した。話を聞いて、前橋で2人が

「私も行く!」

と手を挙てくれた。人間、まだまだ捨てたものではない。腐った組織の中でも美しく咲く花がある。

こんどうで鰻を食べ、ラピニエル・ユキで2次会をした。
私のタクシーチケットで前橋まで帰れ、という私に彼は従わず、

「会社に請求して、大道さんにご迷惑がかかってはいけませんから」

と言い張り、とうとうJRの最終で帰ることになった。タクシーで駅まで送った。タクシーを出る。

「元気でやれよ」

と握手をする。しながら、こみ上げてくるものがあった。

えっ、俺が、こんなこみ上げ方する? おいおい、それって、映画の見過ぎ? 小説の読み過ぎ? こんな時には涙が必要だ、ってか? 俺、いつの間に演技派に転向した?

いろいろなことを考えたが、こみ上げるものは止まらない。
私は、彼を抱きしめていた。

いや、あのー、お間違えいただいては心外なのですが、私はいまだもってヘテロセクシュアルであります。同性に対してよこしまな思いを持ったことは一度もございません。恐らく、死ぬまでないと思います。

抱きしめながら、なぜか嗚咽していた。涙が頬を伝う。

「ごめんな。俺たちが何も出来なかったから、変な会社になっちゃった。おかげで、お前に嫌な思いをさせる。本当にごめんな」

ほかに何をいったか記憶にない。

おいおい、鬼の目にも涙っていうけど、こんなところで俺が泣く? そりゃあないだろ? 格好悪いぜ!

と重いながら、しばらく涙は止まらなかった。

ねえ、私をドラマに出してくれません? 目薬がなくても涙の演技が出来ると思いますぜ。

と言うふうに彼を送り出した。駅前で、人前で涙。情けない話である。
いや、ひょっとしたら、情けがありすぎる話か。

 

にしてもだ。
菅君、あんた、情けない!

スタンダード・アンド・プアーズが日本国債の格付けを下げたことを問われて、朝日新聞によれば

「そういうことに疎いんでちょっと、改めて」

と口走ってしまったあんた。一夜明けたら、

「本会議が終わってすぐきたから、その、格下げの情報は、聞いていないと、そういう意味でその情報に疎いという意味で言ったんで」

だって。
あんた、国語の成績、そんなに悪かったんか?
「そういうこと」って、この文脈の中では国債格付けを指すとしか解釈できないだろ? 格付けが下がった情報、なんて答案用紙に書いて○をもらう生徒っているのか?

しかも、だ。国会での不出来な答弁はこう続く。

「私としてはですね、財務大臣の時代には特にギリシャの問題などで、いろんな国の国債の格付けを含めてですね、いろんな問題があり、かなり緊張した場面もありました。ですからそういう点では格付けの持っている意味というのは、私なりに相当程度わかっているつもりです」

そうだよな。あんたは、確かサミットに出かけてギリシャ問題を聞かされ、帰国したら熱に浮かされたように消費税率引き上げを言い始めたよね。
ギリシャと日本の財政状態の違い、特に、国内債で資金を集めているのか、国債を海外で発行しているのかの違いを知らず、いまの日本の景気の現状で増税したらどのような事態が起きるかに思いを馳せることもなく、挙げ句は

「一に雇用、二に雇用、三に雇用」

なんて、政府の力で雇用が生み出せるかの如き空理空論を口走ってしまうあんたの経済センスなんて、もう誰も信用してないのよ。

こんなんが首相。
ああ、情けない。