2012
01.09

2012年1月9日 明日から平日

らかす日誌

新年早々の3連休が今日で終わった。といっても、年明け早々は、たいして仕事はない。実感では、年末からの連休に今日で一区切りがついたというところである。

心のどこかではそう思っているのだが、しかし、この3連休、なかなか忙しかった。

まず7日は、よせばいいのに仕事に出かけた。4、5,6日の平日は休みと同じように過ごしながら、土曜日は働く。私の仕事は融通無碍である。いや、仕事ではなく、私が融通無碍であるということか。

8日は終日ブルーレイ・ディスクの整理に追われた。年末から年明けにかけて撮り貯めたものがうずたかく積み重なった。この手のものは、時間があるときに整理をしておかないと大変なことになる。

というわけで、連休最終日の今日は朝からギターの練習をしようと思い決めていた。
年末の29日に啓樹がやってきて、啓樹一家が去ったのが5日朝。この間、ほとんどギターに触っていない。楽器の練習とは、1日サボると3日分後退するという。誰が言ったか知らないが、まあ、上達するには日々コツコツやるしかないのが楽器である。それが1週間以上サボってしまった。もともとたいして弾けないギターだから、そろそろ根性を入れて練習しないと、先行き不安である。

なのに、朝、2回の寝室から降りてきた我が妻殿は声が出なかった。700年も生きている魔女のようなしわがれ声を絞り出している。何度も聞き直して、やっと判った。

「風邪ひいちゃった」

持病のため免疫抑制剤の服用が欠かせない我が妻殿は、従って感染症に弱い。本人もそれは理解していて、あまり人混みに出ない。それなのに、風邪をひいた。
確かに、年末から年始にかけて、我が家は人混みであった。その中で風邪をひいていたのは、四日市から来た嵩悟(しゅうご)と、3日にやってきた長男である。嵩悟はこちらに来て熱まで出てしまい、休日当番医を訪ねたほどであった。
そのどちらかが感染源であるのに違いない。

「じゃあ、朝飯買ってくるわ」

最初から私が朝食を作る状況なら、準備もできる。が、8時近くになって突然

「風邪ひいちゃった」

では、何ともならない。これから準備を始めるには空腹過ぎる。すぐに着替えて、24時間営業のスーパーまで車を走らせ、大トロ巻きと海苔巻き、いなり、インスタントみそ汁、それにのど飴を買ってきた。

我が妻女殿は大トロ巻きを1本食べただけで、2回の寝室に引っ込んだ。病んだときには水分と睡眠をたっぷり取る。それが鉄則である。

鉄則はいいのだが、このような環境下では、ギターの練習などできないことはご理解いただけよう。恋とか愛とかの問題ではない。一介の同居人として、もう一人の同居人が健康を回復するために取る睡眠を妨害する行為を避けるのは、人としての常識である。

薬屋が開くのを待って、喉スプレー、ビックスドロップ、桃の缶詰、ミカンの缶詰、お茶などを買ってきた。

「昼飯、どうする?」

部屋に届けた際に聞くと

「食欲ない。どっかで食べてきて」

昼食に出かけるときに、

「何か食べたいものはないか?」

と聞くと、

「昨日食べたデコポンが美味しかった。買ってきて」

デコポン1個、258円。命令に従って私が買い出しに出向く。これは、我が妻殿が平常時でも病で伏せっているときでも変わらない我が家の慣習である。

妻殿は眠り続けた。
夕方、私が湯船を洗い、風呂をたてた。夕食も私が作った。もう少し妻殿の病状が軽ければ外に食べに行くこともできたが、今日は仕方がない。メニューは野菜炒めと湯豆腐である。高齢者向けの健康食という表現もできる。

 「おい、降りてこい。俺が作るから、とにかく、湯豆腐ぐらい食え。それに、ダイニングに座っていてもらわないと、必要な物がどこにあるのか判らないんだ」

ボサボサの頭で降りてきた我が妻殿は、だが、多少は回復したらしい。声は多少出るようになっていた。700歳の魔女が300歳ぐらいに若返ったといえばご理解いただけようか。

「よく寝たわ」

といいながら野菜炒めに箸をのばし、湯豆腐を食べ、腹を満たしてもうろうろする妻女殿に

「食べ終えたら消えろ。あとは俺がやる」

と冷たく言い放ったのは、私である。それでもうろうろする。昼間寝過ぎて、眠気がないのだろうか。

「だったら、居間で映画でも見てろ」

というと、何故か2回に寝室に引っ込んだ。私の提案に従うのがよほど嫌いらしい。

食器、調理器具を洗い、カウンターを綺麗にして私の仕事は終わった。

 

しかし、まあ。年明けからこれかい。
老夫婦とは、新年のめでたさを言祝ぐ時間も、年々奪われるものらしい。

さあ、明日から平日である。夜の妻女殿の姿からみると、恐らく、我が家にも明日から平日が訪れてくれるはずである。

しかし、野田政権、いつまでもつのかね。
野田政権の誕生で判ったこと。
レトリックで変えることができる現実はない。
いや、ドジョウが自分で思い込んでいるほどのレトリックではないからかも知れないが、とにかく、ドジョウには何も変える力がない。彼が目指す方向に違和感を憶える私にとっては、ドジョウがその程度のレトリックしか使えないことが幸いである。