01.28
2012年1月28日 違和感
さて、「1968」である。
「1968」は、1970年前後に異様に盛り上がった学生運動を、歴史軸の中に据えようという試みである。私の青春時代が歴史の中の一項目として書き加えられる。
我が青春とは、いや、私が青春時代を過ごした時代とはどのような時代であったのか。どうして私たちは、闇雲に世の権威、権力に突っかかって傷ついたのか。
それを分析するという。
何しろ私は、入学式の日から学生運動に直面した。式場に学生運動家たちが押し入ってきたのである。青いヘルメットをかぶった「反帝学評」の30人ほどであった。
「入学式粉砕!」
を叫ぶ彼らは、演壇にいた教授たちを押しのけ、マイクを握ってアジ演説を始めた。彼らが何をいったのか、今となってはまったく記憶にない。が、その時起きたことは鮮明に覚えている。
新入生たちが、
「帰れ! 帰れ!」
の大合唱を始めたのだ。俺たちは晴れて大学に入学することができた。その栄えある式を、何の権利があって壊すんだ? とっとと出ていけ!
というのだろう。
「おうおう、俺は、どうやらアホウの大集団と同級生になってしまったようだな」
私は、その大合唱を苦々しく聞いていた。
「いいじゃん。入学式なんて、たかが儀式だろ? それがけしからんという主張があるのなら、まず聞いてみてはどうだ? 旧態然として粛々とした儀式より、よほど面白いじゃないか。時代の息吹に触れることができるじゃないか」
私は、非常に素直にそう考えた。大多数の怒号に和することなく、小さな瞳を精一杯広げて演壇を見ていた。これが俺たちの時代じゃないか。
4月10日前後から始まった新学期は、2週間もすると全学バリケードストライキに突入、授業なんてまったく行われなかった。
まあ、授業なんてどうでもいい。私は、私が学びたいことがあるから大学生になった。
授業がないということは、1日24時間、すべての時間が自由になるということだ。私は、自分の勉強を始めた。
デカルト、カント、ショーペンハウエルの著作をひもとき始めた。
「マルクスの哲学、経済学を理解するには、それに先立つこの3人の哲学を理解する必要がある」
という叔父の言葉に従った。
いやはや、哲学書というのはページをめくるのも億劫になる書物である。確かに日本語で書かれているのだが、さて、いったい何が書かれているのやら、皆目見当がつかない。目が活字を追っているのは確かなのだが、頭の中には何も入ってこない。当然、何も残らない。ただただ目が疲れ、時間を空費し、脳がマーボー豆腐のようにグチャグチャになるだけである。難行苦行とは、このようなことをいう。
が、やめなかった。分かるかどうかは無視して、とにかく活字を追った。闇雲に努力をすれば、いつかは最終ページにたどり着く。
読み終えた。が、いったい俺は、何を読んだんだ? 頭の中をどんなに探し回っても、デカルト、カント、ショーペンハウエルの、言葉の一つも残ってないぞ!
てな無駄なことをやり続けた。
何故か?
私は、貧富の差をなくしたかった。なくすために、何をしたらいいのかを知りたかった。自分がどういう人間になれば、そのような大事業の一端を担えるのかを探りたかった。
貧しく育ったことが、私をそう思う人間にしたのだと思う。
ひと言で言えば、私は革命を起こしたかった。
今となっては赤面せずには書けないことだが、当時の私は真面目にそう思っていたのである。
という私が「1968」を読んで、40数年前に思いを馳せる。
著者の小熊君は、我々の叛乱の背景を3つあげ、検証するとしている。
1)高度成長は、都市への人口集中と農村の過疎化、進学率の急上昇、既存の革新政党の体制内化などをもたらしていた。また、ベトナム戦争も最盛期を迎えていた。これらが若者たちに影響を及ぼした。
2)叛乱の担い手となった団塊の世代は、幼少期には高度成長以前の社会に育ちながら、青年期には高度成長の爛熟期生きていた。このギャップ、それに直面した戸惑いが叛乱の背景にある。
3)日本が高度成長で発展途上国から先進国に変貌していく中で、当時の若者たちは、戦争、貧困、飢餓といった近代的不幸とは次元が違う、いわば現代的不幸に直面していた。現代的不幸とは。アイデンティティの不安、未来への閉塞感、生の実感の欠落などをいう。
なるほど、私の世代とは、そのような世代なのか。とは思う。が、私の中では、モヤモヤとした違和感が立ち上がる。
1)はその通りであろう。だが、2)はどうか。
私は自力で大学生活を送った。親元からの仕送りには無縁である。アルバイトで、生活費と授業料、本代、そしてほとんど機会はなかったが、デート費用を稼がねばならなかった。高度成長の爛熟期を生きているという感覚は皆無であった。
「へえ、日本も豊かになったのかな」
と感じたのは、1974年秋、就職して三重県津市に赴任してからである。学生気分が抜けず、時間を見つけては三重大学のキャンパス、校門前の喫茶店に足を運んだ。驚いたことに、三重大学の駐車場は車で満杯、車が溢れていた。私の通った大学のキャンパスで車を見かけることは希だったのである。
つまり、私は貧しいままに学生時代を過ごした。貧しい時代と高度成長期のギャップなど、私の中に生まれるはずがなかった。
最大の違和感は3)である。
我々が、現代的不幸に直面していたって?
アイデンティティ? そんな言葉は知りもしなかった。自分が自分であり、他とは違っていることは当然であった。俺って何なんだ? などと考えたことは一度もない。
未来への閉塞感? 生い立ちが貧しかったからね。いまよりいい暮らしは絶対にできると思っていたよ。何しろ、大学生になったんだもの。貧しさから確実に這い出せると思っていた。
大学3年の終わりに結婚したとき、
「まともに就職できなかったら、体を使う。トラックの運転手をしてでも妻子は養っていく」
って思ってたもの。大卒のメンツなんてかなぐり捨てれば、いくらでも暮らしていく道はあった。未来への閉塞感などはなかった。
生の実感の欠落? それって、何? 朝起きてまず小便をして、腹が減ったなと思う。生きている実感とはそのようなものだろう。
アルバイトして、本を読んで、飯を食って、出して、寝る。残念なことに、「女を抱いて」という時間はなかったが、いずれそのような時も来ると思いつつ日々を過ごす。その中に、
「俺って、本当に生きてる?」
などという思いが忍び込むことは全くない。
それが、私の学生時代であった。そのような暮らしをしながら、街頭デモに参加し、クラス討議に顔を出し、下宿で友人と革命論議にふける。
そんな私からすると、小熊先生の分析の前提が、
「ちょいとずれてるんじゃないの?」
と考えざるを得ないのだ。それで1970年前後の学生の叛乱を読み解けるのか?
お断りしておく。私は新左翼の一員ではあったとは思う。が、組織に属したことはない。ヘルメットをかぶり、タオルで口元を隠してデモに出たことはあるが、ゲバ棒を持ったことはない。ましてや、乱闘の当事者になったことなどないのである。
生来の臆病さもあるだろう。だが、人に対して暴力を振るうことに意味が見いだせなかった。目の前の機動隊員に殴りかかったって世の中が変わるわけではない。
高校時代の友人が、鉈を持って乱闘現場に駆け込んだところに居合わせたこともある。高校時代はシャイな男であった。彼とは何度も議論したが、私には彼の論理についていくことができなかった。
小熊先生はいうかも知れない。
あんたは、学生叛乱の中心にはいなかった。せいぜいが、その周辺をうろついていただけだ。あなたは時代を背負っていない。私の考察の対象にそのような人は含まれない。
あるいは。
あなたは感性が鈍い。世の中の変化を鋭く感じ取るセンサーが欠けている。時代を感じ取れなかったあなたにクレームをつけていただきたくない。
まあ、そうかもしれない。だが、である。
小熊先生は、自ら作った前提の検証として
「僕は今まで生きているということを感じたことがなかった。それは何故生きているのか分からないからだ。だからいつ死んでもいいと思っている。それ故、未来の展望も生まれてこず、生きている意味もなくなっている。ヘルメットをかぶり、ゲバ棒を持つことによって死に直面する。その時、何らかの形で生の感情があるだろう。そして漠然とした生についての認識をつかみ得るだろう」
などという当時の証言を積み上げ、こうした現代的不幸によるアパシーが、学生たちを、国家権力の具体的な暴力装置である機動隊に立ち向かわせた、とおっしゃる。
さて、本当にそうなのか。だとすれば、1970年前後には神経過敏な学生、言い換えれば少し狂った学生が日本に大量に生まれたのであろうか。どうしてあの時代だけ、そんな若者が大量発生したのか? 狂った若者が新しい時代の扉を押し開いた明治維新との違いは何なのか?
あの時代、日本だけでなく、フランスでもドイツでもアメリカでも韓国でも、学生が街頭で、キャンパスで叛乱を起こした。日本だけの、しかも、多分ごく一部の学生を分析するだけで、世界で同時に起きた学生叛乱を読み解くことができるのか?
この本、本日ただいままでに、上巻の302ページまで進んだ。疑問を持ちつつ、だが面白く読み進んでいる。
関心をお持ちの方は是非ご一読を。というには、やっぱり高くて重いな、この本。