2013
01.03

2013年1月3日 まずは

らかす日誌

皆様、明けましておめでとうございます。
めでたい人も、めでたくない人もいらっしゃるとは思いますが、まあ、これは世間にならった恒例のご挨拶ということでご勘弁願います。

とはいえ、桐生の元旦の空には雲一つなく、胸一杯に大気を充たしたくなるすがすがしい年明けでした。続く2日も快晴の夜明け。桐生の人にだけは、何やらいいことがある年なのかもしれません。

なのに、私も桐生市民のはずなのに、どうも調子が狂い始めたのは今日3日。それは後の話として……。

瑛汰の一家は年末29日の午後11時半頃到着した。車からまず璃子を屋内に運び、続いて瑛汰を運んで寝かしつけ、次女の旦那とビールを数本飲んで寝たのであります。

30日、瑛汰と璃子は朝からエネルギー全開。最近、ボスへの愛に目覚めた璃子が、何かにつけて瑛汰と張り合い、

「ボス~」

と寄ってくる。璃子にボスを占領された瑛汰は面白くなく、ブーたれるしだいで、まあ、平和な年末風家でありました。
この日はお約束通り、昼食はこんどうでウナギ。瑛汰は大人1人前を平らげ、

「もっと食べたい!」

瑛汰、このウナギ、2900円もするって知ってるのか?
帰りにマリー・ポールでショートケーキを購入。これは璃子の

「苺のケーキが食べたい」

というリクエストに応えたものである。

31日は、全員で佐野のアウトレットへ。私に必要な物は何もないのだが、妻女殿は久々の外出、それもアウトレットでの買い物で、陶器を購入された。
私はといえば、妻女殿、次女夫婦が買い物をする間、瑛汰と璃子の飼育係である。やむなく、アウトレットで唯一玩具のあるレゴショップへ。
璃子は、ピンクの腕時計がいたく気に入り、お買い上げ。負けじと瑛汰は、スターウォーズのレゴをご購入。もちろん、支払いは私である。

璃子はボスに買ってもらった腕時計がすっかり気に入ったようで、腕に巻いてご満悦だ。

「璃子たん、可愛い時計だね」

 「うん」

 「いま何時?」

 「1時」

ちなみに、午後3時半に聞いても、午後5時に聞いても、

「1時」

という回答しか璃子からは戻ってこない。璃子の時計は1時で止まっているらしい。

そして、元日。朝食の前に全員で屠蘇をなめる。生まれて始めて屠蘇を味わった瑛汰は

「うーっ、辛い!」

同様の璃子は

「美味しい!」

璃子は飲んべえになるのか。

朝食を終えて伊勢崎のスマークへ。ここ、毎年元日に餅つき大会をやる。瑛汰と璃子に餅つきをさせようというのが両親の思いだ。私は付き添い兼2人の飼育係を仰せつかる。

スマークには大きな書店がある。餅つき大会が始まるまでは、この本屋さんで時間をつぶすのも、すっかり恒例行事である。当然、瑛汰も璃子も、本をお買い上げになる。
財布をポケットから取り出し、

「そういえば、2人には今朝、お年玉をやったんだなあ」

と、私がふと考えたことを知る者は誰もいない。
が、私は、瑛汰と璃子に、望まれるままに本を買い与えられる幸せに浸る。

帰りに、元日から営業していたラーメン屋で昼食。

帰宅後しばらくすると、啓樹一家がやってきた。こちらは、長女の旦那の実家である高崎からの転戦である。

「ボス、おめでと」

 「ボス、%@#*^」

啓樹と嵩悟に新年の挨拶を受ける。

思い立ち、啓樹と瑛汰を連れ、メガ・ドンキへ。そう、桐生にはメガ・ドンキがあるのです。目的は飛び道具の取得。
数年前、やはりメガ・ドンキで買ったライフルがすでに壊れ、それでもやってくるたびに啓樹も瑛汰もこれで遊ぶ。だったら、新しいもの、もう少しいいものを買ってやろうというのが目的だったのだが。
なかった。銃器類は、ほとんどなかった。やむなく、それぞれが

「これがいい」

という数百円のピストルを買い与えて自宅に戻ると、長男夫婦が到着していた。家族全員が集まるのは久々のことである。大人が8人に子供が4人。いま住んでいる家は150平方メートル強あるのだが、これだけの人数が集まると狭い。

「狭いなあ」

と独り言を言うと、長女が

「我が家は巨人系だから、これからどんどん狭くなるよ」

将来、家族全員が集まるには、どこかの宴会場を借りねばならないのか。

瑛汰一家が午後8時過ぎに帰る。その後も飲み続け、啓樹と就寝。

2日、朝食を済ませて長男夫妻が去る。昼食後、啓樹一家とスマーク。

「俺、昨日もいったんだけど、前橋のけやきウォークにしない?」

と提案するも、

「いってみたいお店がスマークに入ってるの」

と長女に一蹴される。私の地元であるにも関わらず、私には主導権が一切ない。
長女一家が昨年購入した新車に乗せていただき、スマークへ。やっぱりスマークには本屋があり、啓樹も嵩悟も本をお買い上げであった。
うん、啓樹にも嵩悟にもお年玉は渡してあったが、やっぱり、開かれたのは私の財布であった。

そして今日3日、啓樹一家が朝食を済ませて四日市への長旅に出た。
我が家に、やっと静けさが戻った。

 

と思っていた。
が、そんな贅沢は許されないことを知ったのは、間もなくだった。

事務室でパソコンに向かい、年末年始に撮り貯めた映画の整理に取りかかった。が、何やら隣室がうるさい。事務所の隣室は私の寝室である。
何事ならんと顔を出すと、妻女殿が障子を取り外しておられた。すでに、骨を残すのみである。

「何してるんだ?」

 「張り替えるの」

啓樹と瑛汰がそろった元日の夜、我が寝室は修羅場となった。主犯格は啓樹と瑛汰。従犯は璃子と嵩悟である。師範は瑛汰のパパ、ではなかったか。

子供たちが押し入れに上る。下に布団を分厚く並べておき、

「ボス、押し入れからジャンプすると楽しいんだよ!」

4人が次々と高難度のジャンプを繰り返す。まあ、それはいい。

「いいよ、啓樹、瑛汰、どうせ破れてるんだから、もっと破っていいよ」

誰が発したかふめいのその声に障子を見ると、確かに穴だらけである。おっ、啓樹がパンチをふるって、また穴が一つ増えた。

「何してるんだ、お前たち!」

というボスが、

「どうせ破るんなら、こうやるんだ!」

より大きな穴ができた。
酔いの勢いもある。が、まあ、人間には基本的なところで破壊願望というものもあるのだ。世の女どもの怒りを表す図に、皿、茶碗を投げて割る図があるのは人間性の発露である。
だから、ま、年に1回、公に認められたところで障子をびりびりにするのも、まあ、ありか。

ということで、我が寝室にある4枚の障子が穴だらけの惨状にあったのは事実である。が、まあ、数日はこのままでいいではないか。5日、6日の連休に張り替えよう。私はそう思っていた。

「嫌なの。早く綺麗にしたいの。外からも見えるし」

おいおい、今日はまだ3が日のうちだぞ。それに、子供たちが返っていたばかりだ。ゆっくりしてもいいではないか?

「始めちゃったんだから」

そう、すでに骨だけになった障子はいかにも寒々しい。

「余計なことを」

 「ゆとりがない神経質女め」

と腹は立つが、確かにここまで事態が進めば、もう後戻りはできない。

仕方なく、骨だけになった障子を外に運び出し、水をかけてノリを溶かし、綺麗にした。正月の水は、骨にしみるほど冷たかった。

「飯食ってから障子紙買ってくるから」

そう、障子紙のストックもないのに、妻女殿は作業をお始めになっちゃったのである。無茶苦茶だ。

思えば、幸先がいいと思われた今年が変身し始めたのはこのあたりからであった。

昼食までにはまだ時間があった。

「じゃあ、あれも済ませておくか」

せっかく動かし始めた体である。やることがあれば、この勢いでやるしかない。
あれ、というのは、ウッドデッキのそばに置いてあった踏み台である。

「ボス、あのさ、あのウッドデッキのところにある木の台ね、あれ、乗ったら割れちゃったんだ」

とは、元日に来た啓樹がレポートしたところである。割れた? 要領を得ず、見に行った。2×6材を釘止めしただけの台が、確かにウッドデッキのそばにあった。その台を構成する板の1枚が粉々に砕けている。

「ああ、腐ったんだ」

別に必要もない台だ。いずれ解体してゴミに出そうと思っていた。うん、解体するなら、体を動かし始めたいましかない。
金槌を持ち出し、解体を始めた。頑丈にしようと思って使ったのだろう。長さが10cm前後もある釘が次々と姿を現す。

「ふえーっ、危ないな、これ」

と思って立ち上がりかけたときだった。意図したわけでもないのに、右足が釘の突っ立った板の上に行った。

「いかん!」

と思ったときはもう遅い。右足の、親指と人差し指の付け根付近に鈍い痛みを感じた。

「やっちゃった!」

古釘を踏み抜いた。
古釘を踏み抜くのは危険である。長年風雨にさらされて錆びていることに加え、どんな細菌が付着しているかしれたものではない。

「けーっ、正月から古釘を踏み抜くのかよ」

患部に指を当てて強く押す。できるだけ血を出して、患部を洗浄するためである。次は水で洗うことだ。屋内に入り、洗面所で洗った。

「おい、消毒薬を出してくれ」

洗いながら妻女殿に声をかけた。

「どうしたの?」

 「釘を踏み抜いてしまった」

 「消毒薬? ないわよ。買わなくちゃと思っていたんだけど、まだ買ってない。でも、傷バンだったらあるから」

いや、これは傷バンを貼っておけば済むという怪我ではないのである。じゃあ、びっこを弾きながらでも消毒薬を買いにいくか、と考えていたときだった。

「何で踏み抜くのよ。靴はいてたんでしょ? どうして踏み抜くの? 何やってたの?」

63歳になって、私はできるだけ声を荒げたくないと思っている。だが、この対応には、思わず声を荒げてしまった。

「あのな、いま急がなくちゃならない救急治療をしてるんだよ。そんなときに、消毒薬はない、何で釘なんか踏み抜くなんて聞くか? そんなことを説明している暇はないんだ、バカタレ!」

我が剣幕に恐れをなしたのか、妻女殿は、

「前のおばちゃんに消毒薬借りてくるわ」

とそそくさと出かけた。間もなく、消毒薬を携えた戻ってきた。釘を踏み抜いたのだから、患部には深めの穴があいている。消毒薬はできるだけ奥まで入れなければ目的を達することはできない。患部の穴をできるだけ開き、消毒液を流し込む。

「が、なんで患部に黒い部分があるんだ?」

流し込みながら思った。患部は肉の塊である。通常ピンク色をしている。その一部が黒い。おかしい。釘と一緒に、クズになった木片が入ったか?
患部にピンセットを差し込むと、黒い塊が取れてきた。やっぱりそうだったらしい。改めて消毒液を流し込む。おえて、とりあえず傷バンを貼った。

昼食を済ませ、障子紙を買いに行ったついでに、ドラッグストアに寄り、消毒液を買い求めた。しかし、消毒液だけでいいのか? 医者なら、必ず抗生物質を出すはずだ。と思い、聞いてみた。

「抗生物質って、処方箋なしでは買えないの?」

ダメだとの返事。仕方なく、炎症を抑える塗り薬を求め、帰宅、改めて患部を治療した。

「抗生物質を買おうと思ったんだが、処方箋がないと買えないんだそうだ。仕方なく、この薬を買ってきた」

治療をしながら、妻女殿にそう伝えた。

「抗生物質? あるわよ」

医者にもらったまま飲まずにいてある抗生物質があるという。

だったら、早く言わんかい!

 

終えて、障子の張り替えに移った。買い求めてきたのは、ノリではなく、アイロンで張ることができるという障子紙だ。恐らく、熱で溶けるカプセルにノリを詰め、紙に塗布してあるのだろう。面白い。

障子紙は、張った後で余分な部分を切り取る作業が伴う。定規を当て、カッターナイフで切り込みを入れ、余分な部分をはぎ取る。

障子にあてた定規を左手で押さえ、右手に持ったカッターナイフを引く。ノリを使わないから紙が乾いている。カッターナイフがさくさく動く。だから、事故が起きたのだろうか?
右手に持ったカッターナイフを定規に沿って滑らせる先に、どうしたわけか、左手の親指があった。本来、あってはならないものである。だから右手は、何も障害物がないことを前提に作業を続ける。思わぬとところに障害物があっても、勢いに乗った右手はすぐには止まれない。

「痛てっ!」

と指を引っ込めたときはすでに遅く、左手親指の爪の先の肉が長さ5mm、深さ3mmほどに渡ってぱっくり割れ、血がにじみ出していた。
洗面所で血を洗い流し、親指の根本を輪ゴムで縛って止血、傷バンを貼ったのは言うまでもない。ま、傷バンで済む程度の傷だからたいしたことはないが、なにせ、真っ白な障子紙を張る作業の真っ最中である。作業が一時中断したのはいうまでもない。

血で新しい障子紙を汚さないよう注意しながら作業を終えたとき、すでに午後4時を回っていた。何か、1日働いた気分だ。
でも、世の中広しといえども、正月の3日から障子の張り替えをする家庭が、いったいどれだけあるのか? そんな作業に追い込まれる亭主が何人いるのか?

元旦の空は幸先いいと思った。その思いが、早くも3日に裏切られるとは思ってもみなかった。

今年の私、いったいどんな運命に直面するのか?
平穏無事だけの人生はつまらないが、多事多難な人生は願い下げである。適当にドキドキはらはらがある1年であって欲しいと願っている。

皆様、今年もよろしくお願いします。