2013
04.14

2013年4月14日 定数是正

らかす日誌

何やら国会で、衆議院の定数を是正する法案が成立しそうである。
選挙区によって1票の重みに差があるのは憲法違反という判決が相次ぎ、流石に政府も動かざるを得なくなったのである。放っておけば、先の衆議院選挙を無効とするという判決もあったが、不思議なことに、そんな定数の不均衡状況をほったらかしにしたまま総選挙に打って出た野田ドジョウの責任を問う声は聞こえない。
世間とは、物忘れの名人が集まっている場所らしい。

いや、ドジョウの旧悪を暴き立てたくて今日の日誌を書き始めたわけではない。
私にはそもそも、衆議院の定数を変えようという議論が、よくわからないのだ。今のままで何が悪い?

16件の違憲訴訟に、16件の違憲判決が出た事への違和感は、先に書いた。いまの国会の動きは、それを受けたものだろう。衆議院小選挙区の定数を5減らし、選挙区間の1票の格差を2倍以内、確か1.988倍に抑えるのだという。
そんなことに意味があるのかね?

だって、これまでだって格差は2倍少々なのだ。それをわずかに修正して2倍弱にして、何がどう変わるというのだ? これまで1/2.3の価値しかない1票の選挙区に住んでいた人たちは、1/1.988の価値になったら喜ばねばならないのか?

少し考えただけで、選挙区とはすこぶるやっかいなものだとわかる。全国の人口がずーっと1億2000万人のままで、みんなが生まれ故郷を絶対に離れず、産まれた土地で教育を受け、就職し、結婚して正確に2人ずつ子供を産み、その土地で死ぬ世の中であれば、多分、限りなく平等に近い1票の価値が実現できる。しかし、みんな勝手に故郷にいたり飛び出したりする。みんな勝手に子供を作ったり作らなかったりする。みんな勝手に死んだりする。
そんな流動的な世の中で、1票の価値を平等にできるわけがない。

だから裁判所は、許容できるのは2倍まで、という基準を示した。1票の価値の変動幅はその範囲内に抑えるべきである、というのも教条主義であるように思える。そもそも、右へ倣え、の判決しかかけない裁判所は、いったいどんな判断基準で「2倍」という数字をしめしたのか。1.5倍ではいけないのか。3倍ではいけないのか。
2倍なんて、何となくという数字に過ぎないのである。

しかも、だ。1票の格差というのは、田舎の票が重く、都会の票が軽くなっている現象である。では、重い1票をいただいている分、田舎は政治的に恵まれているか? 都会のインフラは手入れがされないのに、田舎の道は車も通らない片道2車線の広々とした道になっているか?

「こんなんなら、都会にいたら損をする。田舎に戻って政治の恩恵をいっぱい受けようじゃないか」

という連中が現れたか?
田舎は、重い1票を持っているはずなのに、人口減に悩み、商店街のシャッター街化に苦しみ、急速に進む高齢化に、

「うちの町はジジババしかいない」

と自嘲するのである。
そんな現実が横たわる中で、なぜ衆議院の定数是正が喫緊の課題になるのか。
私には、どうしても理解できない。

先日、ある新聞で、

「こうすればいい」

という提言があった。
なんでも、小選挙区をやめ、全部を比例代表制にする。そうすれば1票の格差がなくなるだけでなく、小選挙区で出る大量の死に票も限りなく少なくなる。これは一石二鳥の明暗であると自賛していた。

呆れてものがいえなくなった。
これでは、政治から人の顔が消える。有権者が選ぶのは政党でしかない。地域と国政の結びつきもゼロとなる。おらが村の代表を国会に送り出すことなどできない。

無論、国会議員とは一部の代表ではなく、全体の代表であるという建前はある。だが、国会議員全部が地域のくびきを離れてしまったとき、国政の問題として解決を図らねばならない地域の問題は何処が責任を持って解決に当たるのか?
国とは、詰まるところ人の集まりであり、地域の寄せ集めである。そこから完璧に離れてしまった政治家はいったい何をするのだろう。

いや、こういう考え方もできる。道州制を一日も早く導入し、いま国政の問題となっている地域の問題は道州で対処する。国会は、外交と防衛など国の基本問題に特化する。なるほど、確かにそれなら理屈は通る。だが、そのためにはまず道州制を実現する。次いで、国会議員を100人程度にまで減らす。基本問題だけを審議するのならその程度の人数で充分である。そうした抜本改革がなくてはいけない。

ま、それをやっても、地域代表議員が道州の議員になって、地元に道路を造った、橋を造ったと自慢するのだろうが。

話を元に戻す。
衆議院定数の是正とは、いったい何を目的にして行うのか?
1票の格差が是正されたら、我々の暮らしはよくなるのか?
それは、本当に民主主義を健全に育てるためにやらなければならないことなのか?
そもそも、1億2000万人も国民がいる国で、代議制民主主義とは機能するシステムなのか?

そうした議論、実質的な長所、短所をあげつらう抜本的な問題意識がない定数是正は、教科書に書いてあることを絶対視する学校優等生(学校内でしか優等生でない)の、自己満足を求める動きにしか見えないのである。

 

今日は野点(のだて)にお招きにあずかった。招いてくれたのは、桐生市の元有力者O氏である。
野点といっても、屋内の茶席で抹茶をいただくのであるが、私、こんな改まった席に出たことがない。いや、実は昨年も招かれたから、出たことがないのではなく、そのような席でのマナーを全く知らないといった方が正確である。

ために、正座はせず。
茶碗と取り上げ、どちらに何回回すこともなく、そのまま口に運び、

「やっぱ、これも三口で飲むのかなあ? それにしてはけっこうな量だな」

と重いながら、グビグビと茶を飲む。
どうやら、飲み終えたら茶碗を褒めるのが習わしらしい(ほかの人がそうしてた)が、自慢じゃないが、茶碗を褒める語彙なんて、持ち合わせがない。
たまたま、金箔を貼ったはで目の茶碗が綿に出てきたので、ふと思いつき、

「これ、太閤さんが使ったような茶碗ですなあ」

といってみたが、ちっとも受けなかった。太閤さんの金好みを俺は知ってるぞ、というつもりだったのだが。

が、中に入っていた茶は美味かった。昨年は確か、

「おかわりできます?」

と所望して、この席で茶を2杯飲んだのだが、今年は1杯でやめておいた。

私みたいな無知蒙昧な田舎者を、O氏はどうして茶席なんかに招いてくれるのか。笑いものにするしか使い道がないと思うのだが……。
わからん。