2013
05.23

2013年5月23日 愛車

らかす日誌

が、やっと今日夕方、車検から戻った。あわせてボーディのコーティングもお願いしていたので、戻った車は新車並みの輝きを放っている。これなら、少なくともあと6年は乗れる。

「貴女がいなくて寂しかった。よくぞ戻ってきてくれた!」

車にだけでなく、あの娘ににもそう言葉をかけたいのだが、辛いことに戻ってきてくれない。ために、愛の言葉もつぶやけない……。

車検で車を預けている間、代車として使わせてもらったのは、マツダのデミオ、それも、ずいぶん古い箱形のデミオだった。車検の見積期間中に貸してもらった日産のマーチが余りにできの悪い車で、

「ほかのにして」

とお願いした結果だ。

月曜から今日まで4日間乗った。一言で評価すれば、

なかなかの優れもの

であった。
無論、我が愛車と比べるまでもなく、不満は数限りなくある。
ボディの作りがヤワで、走っている間、どこかがガタピシいう。
FFの癖が強すぎる。
足回りが固すぎる、というより、バネがほとんど動いていない。ために乗り心地は最悪である。
エンジンは軽く回るのだが、力がない。
シートとペダルのレイアウトがおかしい。ために、アクセルを調整する右足が常にシートから浮き、疲れる。
……。

なのに、何故私は優れものと評価するのか。

シートが素晴らしい。
しっかりと腰の周りを包んでくれるシートである。運転中、どんなにハンドルを切ろうと腰がふらつくことがない。これは、特筆ものだ。マツダの車は、これほど優れたシートを採用しているのか。
もっとも、不満は残る。
腰回りは100点満点をあげてもいいのだが、背もたれがひどい。コストダウンのためか、背が低いのである。このため、私のような胴長人間が座ると、肩胛骨から上は支えてくれるものがない。腰が安定しているから我慢もできるが、これが肩胛骨部分までしっかり支えてくれるシートだったら、120点をあげたところである。
それでも、総合点では70点をあげたいシートだった。

日産自動車の方、できることならマツダを見習っていただきたい。

 

今朝の日本経済新聞は社会面トップで、駅員や乗務員に対する乗客の暴力が止まらないことを報じた。酒を飲んだアホが、駅員や車掌に殴りかかる。大手私鉄16社で昨年度、231件に上った。
嘆息するしかない話である。

私は、この手の話が大嫌いだ。というか、このような暴力の振るい方をする人間を、心の底から軽蔑する。暴力の背景に差別意識が透けて見えるのである。

私の推測によると、暴力を振るったオヤジどもは、気の小さな連中である。会社では上役にペコペコし、同僚には気を使う。しかし、そのような自分は仮の姿で、方便で卑屈に振る舞っていると信じ込んでおり、実像の自分はもっと評価されて然るべきだと、根拠もなく思い込んでいる。

こういう類の人間は、だから、自分より下にいると思う人間には居丈高に振る舞う。普段、自分を抑圧していい子ぶっている分だけ、居丈高さは募る。

相手が部下であれば、居丈高になりすぎれば社内に悪口が広がりかねない。そう、こういうオヤジどもは、緻密な計算をするのだ。だから、威を示すのもほどほどでとめる。
だが、それでは、上役にペコペコし、同僚に気を使って貯まりに貯まった憤懣の行き所がない。場合によっては、これに、妻にバカにされる憤懣も加わる。これはどこかで吐き出すしかない。

そういう内圧が、酒で抑圧が下がって爆発する。相手は、自分より下にいると、ヤツが勝手に思い込んでいる人々である。

「俺さまが誰だかわかっているのか? ふざけるな! バカにするな!!」

自分は客だという意識が、鉄道会社の従業員に対する優越感になり、何をしても許されると酒の勢いで即断する。あとは、日頃の憤懣を、体を使って爆発させるだけである。
それが、このような事件ではないか。

数年前のことだ。
私が務めていた(いまも、契約社員ではあるが務めている)会社の後輩が、タクシーの運転手を殴って事件になった。
なんでも、銀座で酒を飲み、外に出てタクシーを拾おうとしたのだという。ところが、なかなか止まらない。そのうち、目の前で客を降ろすタクシーがいた。

「やっと捕まえられた」

と思ったのかどうか、ヤツはそのタクシーの座席に体を滑り込ませた。ところが、運転手が

「お客さん、悪いんだけど、ここじゃ乗っけられないんだよね」

といった。それでカッと来たヤツは、

「ふざけんな!」

と運転手の顔面を殴りつけた……。

東京の経験がない方には分かり難いかもしれない。説明する。
東京・銀座には、タクシーが客を拾ってはいけない区域がある。そこで客を乗せた運転手は、通報されれば処分を受ける。車の流れをスムーズにするための方策だ。

もうおわかりだろう。このアホ後輩がタクシーを止めようとしたところは、客を拾ってはいけない場所だった。だから、なかなか、というか、どんなに手を挙げてもタクシーが止まらなかった。
だが、そんな場所でも、客を降ろすことはできる。その車に乗り込んだのが、このアホだったわけだ。

話を聞いて、私は激怒した。

「そんなヤツ、懲戒免職にしろ!」

と叫んだほどだ。
もちろん、私にはその権限はなく、ヤツはノウノウと会社に生き残った。

「何という会社だ」

と私が嘆息したのはいうまでもない。

私が怒ったのは、ヤツの暴力行為に差別意識を読み取ったからである。
ヤツは、気が小さい男である。同時に、自分は優秀であると思い込んでいるタイプだ。優秀である分、事細かに計算し、策略を巡らす。故に、常に自分の処遇が不満で、何とかして上に上りたいと、上司へのごますりは欠かさない。ゴマをするのと同時に上司に告げるのは、同僚、先輩の悪口である。
ある日のことだ。

 「大道君、あいつがこんなことを言ってたぞ」

そう、上司にいわれたこともあった。私にそれを告げるぐらいだから、この上司は優秀で、ヤツの口先に乗るはずもない。いずれにしろ、私は、ヤツの悪口の対象であったらしい。

それでも、酔った席でも、ヤツが私に殴りかかることはなかった。嫌いでも、バカにしていても、同じ会社の社員なら殴りかかることはなく、ヘラヘラとつまらぬ話をする。
そんなヤツが、なぜタクシーの運転手を殴りつけたのか。相手がタクシーの運転手なら殴りつけてもいいと思ったから、としか考えられない。
なぜ私は殴らず、タクシーの運転手なら手が出るのか? タクシー運転手に比べれば、自分は遥か高みにいると日頃から思い、タクシー運転手を蔑んでいたからに違いないのだ。蔑まれるべきはこのアホの方であるのだが。

現代は、憤懣やストレスがたまる時代である。通りすがりに肩が触れあっただけで相手をにらみつける不躾な輩も結構いる。そのイライラは、どこかで吐き出さねば病んでしまうのかもしれない。

だが、問題は吐き出し方である。
自分が優位に立てると判断した相手にイライラをぶつける人間を、私は下種(げす)と呼ぶ。

鉄道員も、タクシーの運転手も、そういえば我が妻女殿も、私は殴ったことがない。
そんな自分を誇りに思わねばならない時代は、どこかが病んでいる。