08.05
2015年8月5日 気楽に
今朝目が覚めたら、8時を大きく過ぎていた。
「えっ、66歳になって8時半まで目が覚めない?」
若い方にはおわかりいただけないかも知れないが、寝るのも体力である。加齢で体力が衰えると、睡眠時間がだんだん短くなる。7時間も8時間も眠り続けることが難しい。
私がその事実に気がついたのは3、4年前だった。そのころ、何時に眠りについても、朝の4時半か5時には目が覚めた。もういちど眠ろうとしてもどうしても寝付けないから、やむなく起きる。それなのに、昼間は眠くて仕方がない。
「よし、昨日は睡眠時間が短かったから、今日は早めに寝付けるだろう」
そう思って布団に入っても、前日と同じくなかなか眠りは訪れない。いつの間にか時計は1時を回り2時に近づく。やっと夢を見ると、やっぱり5時になるとパッチリと、あくまで小さめ、細めの目が開いてしまう。
という時期を通り過ぎ、まあ、最近はそこまでのことはなくなったが、それでも睡眠時間は、せいぜい6時間から7時間というところである。いつもは11時頃布団に入り、読書を始める。眠気が訪れるのが12時頃で、それからスタンドの明かりを消す。眠りにつくのは12時半頃だろうか。なのに、いつも6時、6時半、遅くても7時には目が覚める。8時過ぎまで寝ているというのは希有なことなのだ。
俺、若返ったか?
そういえば、昨夜は面白い読書をした。
「もう年はとれない」(ダニエル・フリードマン著、創元推理文庫)
主人公は87歳、いや話の途中で88歳になる元軍人、元刑事のユダヤ系アメリカ人だ。第2次大戦中ナチスに捕らわれ、リンチを受ける。そのリンチを主導したナチス軍人に復讐しようと一時は追い回したが、死亡を確認したので、最近はあまり思い出さなくなっていた。
「最後にお前に会いたい」
といってきたのは、当時の戦友である。あまり好きなヤツではない。あのくたばりぞこないに会う気はまったくしなかったが、長年連れ添った愛妻に
「会ってきた方がいいわよ」
と言われると、どうしても反抗できない。恐妻家として渋々出かけたのだが、その男はとんでもないことをしゃべった。
「お前に詫びねばならん。実は戦争が終わってすぐ、あのナチス軍人を逃がしたんだ」
検問中に、あの男がメルセデス・ベンツを運転して検問所を通り抜けようとした。トランクに重いものを入れているらしく、車は後部が下がっていた。見てすぐにあの男だと分かった。ヤツは金の延べ棒をトランクに積み込み、脱出の最中だった。
それなのに、俺は、金の延べ棒を1本もらった。それであいつを見逃したやった。申し訳ない。
昔の仲間は、そういって目の前で事切れた。
死んだはずのナチス軍人が生きてるんだと? 金の延べ棒をドイツから持ち出したんだと? 賄賂を受け取って逃がしたんだと?!
復讐と金目当てで、87歳のご老人による捜索が始まる。
かつては、ダーティハリーなみに、357マグナムにモノを言わせて数多くの事件を解決してきた。脳髄を吹き飛ばしたのも1人や2人ではない。無論、腕っ節だって自信があった。
が、87歳。医者の処方で血液さらさらの薬を服用している。体をちょっとぶつけると内出血してそれがなかなか止まらず、ぶつけたところは紫色に腫れ上がる。最近、物忘れも始まった。歩幅は狭くなるし、目も霞みがちだ。
しかし、だ。俺を半殺しにしたナチ野郎、見つけずにはおくか! それに、金の延べ棒が手に入れば、いやでいやでたまらない介護施設に入ることもなくなる。大きな屋敷を買い、専門の介護職員を雇って住み込ませればいい。
やってやる……。
これまでヒーローは沢山いた。だが、87歳、目前に棺桶が見え始め、体が自由に動かないばかりか、記憶まで定かではなくなったヒーローというのは、前代未聞ではないか?
そして、この爺さんの周りで次々に人が殺され始める。金と関係があるのか? 犯人は?
てなストーリーだが、この爺さん、何ともハードボイルドで格好いいのだ。
その、昔の戦友の葬儀に、これもまたイヤイヤ出かけたじいさんは、教会の中でタバコを吸おうとする。すぐに牧師が
「ここは禁煙です」
と注意すると、だ。
「遠慮なく他人に面倒をかけられるのは、年をとる三つの楽しみのうちの一つだ」
と言い放ち、
「あとの二つは煙草を吸うことと、自分が相手をどう思うか本人に言ってやることだ。三つのうち少なくとも二つができない場所へは、ぜったいに行かない」
ああ、私もこんなジジイになりたい、と布団の中で引き込まれていたら、いつの間にか時間が過ぎ去っていたのである。
おかげで、読了した。
おかげで朝寝をした。
というわけで8時過ぎまで白河夜船であった。
自宅兼職場で働くサラリーマンならではの平日の贅沢である。
昨夕、息子に電話をした。
「今仕事中だから、あとでこっちからかける」
仕方なく、ビールを楽しみ、終えて食事に取りかかっていると、電話が来た。
「で、何の用事?」
えっ、何の用事? 何の用事……。何の用事だったのだろう……?
「忘れた」
本当に、頭から綺麗さっぱり、電話をした用件が抜け落ちていた。
「ま、忘れる程度だから、たいしたことではないだろう。思い出したらまた電話をするわ」
しばらく雑談をしたあと、そういって電話を切った。
だが、何の用事だったのだろう? 30分ほど考えたが出てこない。ま、思い出さないのなら、それはそれでいいわ、と思っていたら、いつの間にか、そんな忘却事件があったことすら綺麗さっぱりと忘れた。
それなのに、である。今日の夕、昨日と同じように食卓で晩酌にエビスビールを飲んでいたら、突然、明瞭に思い出したのだ。それで、電話をした。昨夕と同じように
「あとでこっちからかける」
と切られ、しばらくしてかかってきた。
「今日は何?」
「おう、思い出したんだわ、昨日の用件。それも、忘れたことすら忘れてたのに、突然思い出した」
息子に聞きたかったのは、焼酎についてであった。
昨日、酒を飲まない知人から焼酎を1本もらった。
「私ももらったんですが、呑まないものですから、大道さん、いかがですか?」
喜んでいただいた。「赤霧島」とあった。
霧島は、確か宮崎県の芋焼酎である。その程度の知識はあった。だが、「赤」がつく霧島は知らない。普通の霧島は安い酒で、普通は1升瓶で買う。ところがこの「赤」は720ml瓶だ。それだけでも、
「何だか高そう」
という気がする私は、凡人である。
で、最近の酒については、私より息子の方が詳しいので、
「これ、どんな酒?」
と聞きたかったのである。
わずか30分ほどで、自分が聞きたかった、知りたかったことを綺麗さっぱり忘れる。
忘れたことも忘れていたのに、丸1日後に突然思い出す。
さて、66歳の私は、どちらの事実を重要視すべきだろうか?
なんだか、「もう年はとれない」のじいさんに、少し近づいているような気がする今日の私である。