2015
08.02

2015年8月2日 エアコン洗浄

らかす日誌

暑い! 暑い!! 暑い!!!
何度書いても、暑いものは暑い。

それなのに、である。そんな熱い日をわざわざ選んで、ダイニングルームのエアコンを洗浄した。

「何か臭うんだけど」

という訴えが妻女殿からなされたのは、もう一月以上前のことである。
我が妻女殿は暮らしに不具合があっても、その不具合を己で取り去ろうとはあまりなさらない。訴えれば、誰かが何とかしてくれると信じていらっしゃる。本人にその自覚はあまりないが、幸せな方である。
そして、そのしわ寄せは、おおむねの場合、私に来る。

というわけで、訴えられた私は直ちにamazonで探して、エアコン洗浄液を買い求めた。すぐに荷物は我が家にやってきた。

ところが。

「臭うけど、最初だけで、それが過ぎると何ともないから、当分いいわ」

かくしてせっかく買い求めた洗浄液は、下駄箱の片隅に仕舞い込まれた。そのまま、私も忘れかけていたのである。

ところが今日。
別物もを探す目的で下駄箱を開けたら、ふと洗浄液が目についた。

「ああ、そういえばエアコンの洗浄はしてなかったな」

そう思ったことも忘れてダイニングルームに座って、ふとエアコンを見上げた。
ふと、と、ふと、がぶつかると、両方がふと結びついてしまう。あなたにも、そんな経験があるんじゃないですか?

というわけで、

「今日はエアコンを洗浄する」

朝食を終えた私は、そう宣言してしまったのである。


使い方を読むと、まずエアコンをOFFにし、念のためにコンセントからプラグを抜く。その上でフィルターをはずし、むきだしになったフィンに液を吹きかけるとある。

この暑い日にエアコンを切る。かなりの決断が必要な作業である。が、ここまで来たのだ。今日やらねば、この夏はとうとうやらずじまいになる懸念もある。

まず、ダイニングルームに続くリビングルームのエアコンの設定温度を24℃に下げた。作業中、リビングのエアコンで少しでも涼を貪ろうという魂胆である。

ここまで環境を整えた上で、むきだしになったエアコンのフィンに液を吹きかけた。
おお、これは見事である。吹きかけたところから薄茶色の液体がしたたり落ちて来るではないか。洗浄液の働きでフィンにこびりついていた汚れが剥がれ落ち、液と一緒に落ちてくるのである。

良かった。さもあろうと、エアコンの下には、ゴミ袋を解体したビニールをテープで貼り付けておいた。その上に、茶色の液体がたらりたらりと落ちていく。

汚れは、フィンだけについているのではない。その周りのプラスチック製の筐体の汚れが目立つ部分に吹きかけると、その汚れもみるみる溶けて流れ出す。

「えーい、ついでだ」

ペーパータオルを取り出した私は、筐体をゴシゴシとこすり始めた。取れる、取れる、真っ黒な汚れがみるみる取れる!

仕上げは、一緒にamazonで取り寄せたスプレー器具で水を吹き付ける。洗浄液を洗い落とすためである。こうして、かれこれ1時間ほども作業をしただろうか。

「乾くまで、そう、午前中はこのままにしておくように」

妻女殿にそうお伝えして、私は流れ落ちる汗をぬぐい、ぬぐっただけでは汗が止まらないため、とうとう汗だらけになった下着まで脱いで洗濯機に入れ、濡れタオルで上半身をぬぐい、ついでに蛇口のしたに頭をさらして頭部の汗を水で洗い流した。

暑い日に作業をして汗をかく。酔狂なヤツだとご覧になる方もいらっしゃるかも知れない。
だが、我が家は熱中症対策を徹底しておる。従って、屋内で過ごすかぎり、連日の猛暑日にもかかわらず、まず汗をかかないのだ。汗をかかずに過ごす夏は、何となく体に悪そうな気がする。あえて作業に挑むのはそのためである。
といいながら、平日は大汗を流しながら車で移動しているのではあるが……。

あ、洗浄を終えたエアコンを昼過ぎに再稼働した。何となく、臭いが薄らいだような気がした。

で、作業を終えた私は、久々に数学に取り組んだ。現在の課題は「図形」。
この図形というヤツ、昔から苦手で、「三角形の五心」の項で1問だけ解いて、長い間放っておいた。長時間腕組みして考え込み、それでも解けずに解答を盗み見るのがいやだったからだ。
今日も難渋したが、それでも8問解けた。で、取り組みながら思う。

「俺、高校の時、こんな難しい勉強をしてたか?」

三角形の五心が何であるかも、いまの私は定かではない。参考書によると、重心、内心、外心、垂心、傍心、なのだそうだ。
言われてみれば、重心、内心、外心までは、ひょっとしたらあったかも知れない、程度の記憶である。で、垂心、傍心となると

「そんなもん、勉強したか?」

私、数学の高校過程を終えることができるだろうか?
参考書と問題集は沢山買ってしまったのだが。


少し古くなるが、2022年の冬季五輪が北京で開かれることが決まった。

「えっ、また北京? あんな人権弾圧、環境汚染の国で? 茶色い雪の上で滑るのか?」

だが、立候補したのが北京とカザフスタンのアルマトイの2都市だけだったというのだから、まあ、北京でも仕方あるまい。

そう思い直すと、何となく、スポーツ界も良き方向に向かっているのではないか? と思えてきた。

このところのスポーツ界で目につくのは、金である。キンではない。カネである。

国際サッカー連盟が金まみれの体質であることがあからさまになってあまり日がたたない。そりゃあ、あれだけの観客を集め、世界各国からあれだけのテレビ放映権料をせしめれば、連盟の金庫には金が唸っているはずである。その金を管理する連中が金まみれになるのは、腹の減ったネコをわざわざ鰹節の保管庫に放り込むのと同じである。

だが、金まみれの体質は、国際オリンピック委員会だって同じである。いや、サッカーよりもっとひどいかも知れない。万事が金の力で動く仕組みを作り上げたのは、オリンピックの方が先ではなかったか?

だから、オリンピック開催地に名乗りを上げる国、都市には、それなりの金の計算があるはずだ。それが、どうにも収支計算が合わなくなった。
2022年の開催地に2都市しか手を挙げなかったのはそのためではないか?
つまり、金の収支計算が成り立たなくて、手を挙げたくても挙げられない、

「俺んとこ、そこまでの金はないぜ!」

と、まっとうな判断をする国、都市が大多数になったのではないか?
とすれば(という論理の進め方、自分で前提を置いて、その前提が正しければというやりかたは、実は極めてよろしくないのだが)、北京での冬季オリンピックの開催は、歓迎すべきことである。

ひるがえれば、TOKYO。どんな思惑で2020年のオリンピックを開くことにしたのかね? 北京、ロンドンの5倍以上も金をかけてメインスタジアムをつくろうとするなど、やっぱり日本はいまだに金まみれの薄汚い国なのか?

ああ、情けない。
いっても仕方がないけど、何も変わらないけど、TOKYO五輪には、いまだに心から反対する私である。