2015
10.15

2015年10月15日 来た!

らかす日誌

日本郵政を相手取った騒ぎから一夜明けた今朝、私は問題の郵便物の追跡ページを開き、情報を最新にすべくリロードした。

「!」

桐生郵便局 持ち出し中

「えっ! 見つかったの? 無事に桐生に届いて、こんなに早い時間から配送中なの?!」

であれば、あの郵便物が何処に行ったか分からない、という昨日の騒ぎは何だったのか。

川越西郵便局から電話が来たのは午前10時半頃である。

「はい、大変ご迷惑をおかけして申し訳なかったのですが、今朝、桐生局の方に無事お届けしましたので」

それは、今朝Webで見て確認し、驚いた。

「では、大変ご迷惑をおかけしましたが、間もなくお手元にお届けできると思いますので」

ちょっと待ってくれ。昨日、あれほど探して見つからなかった郵便物が、どうして今朝になると突然現れて、しかも桐生まで届いているなんて事があるの? 何があったか説明して欲しいんだが。

「いや、その、あのあと見つかったということでして……」

いや、見つかったのは分かっている。だから桐生まで来てるんだよね。知りたいのは、いったいどういう訳で行方不明になって、なぜ今朝になって突然現れたのかということなんだけど。

「はい、実は郵便番号を読み間違えまして、他の局に送られていたという次第でして……」

待ってくれ。郵便番号というのは、いまは機械で読み取るんじゃないの? しかも、あの郵便物に書かれている宛名は手書きじゃなくてコンピュータで印刷してある。そんなものを、どうして機械が読み間違えるかね。

「それが、TSUTAYAさんの郵便物については、機械は使わないわけでして……」

ああ、そうなの。だったら、仕分け作業をした人が郵便番号を読み間違えた訳ね。

「はい、誠に申し訳なく、今後は絶対に間違いが起きないようにくれぐれも注意して作業をいたしますので、今回の件は、本当に申し訳ありませんでした」

まあ、それじゃあ仕方がない。人間って、必ず間違いをしでかすからね。いや、了解しました。原因がはっきりしたのなら、もういいよ。

「はい、ありがとうございます。誠に申し訳ありませんでした」

ということで一件落着した。
私は職業的なクレーマーではない。訳のわからないことが起きて、起こした当事者が説明能力がないことに苛立ったのである。原因が分かって、それが人為的ミスであることがはっきりすれば、あとは何の遺恨もない。何をやっても間違うことのない人間ほど面白くないものはない。人為的ミスであってホッとした私であった、ということである。

その郵便物、どういう訳か、今日は午前11時前に我が家に着いていた。知ったのは、昼過ぎに昼食をとる為自宅に戻ってからである。
訳ありの郵便物だけに、最優先で配達したらしい。次回以降も最優先で配達してくれればありがたいのだが、多分、今回限りだろうなあ。


にしても、だ。
人間の真価って、芥川賞を取ると格段に跳ね上がるのだろうか?
今日の朝日新聞の夕刊を眺めていて不思議な気分になった。

芥川賞が欲しくて欲しくて、あちこちに陳情文を書きまくりながら、結局は受賞できなかった太宰治が戦前に暮らしていた東京・杉並区の下宿が取り壊されるらしい。地元に「荻窪の歴史文化を育てる会」というのができて、もったいないから残せ、という運動が起きているという記事なのだが、その一番最後に

「又吉さん参加」

という見出しがあって、7行の記事が続いていた。9月14日に育てる会が開いたイベントに、芥川賞をとったお笑い芸人、又吉直樹がゲスト参加した、という短い文章だ。
この見出しで、私は

「ふむ」

と考え込んだ。
ま、確かに又吉は芥川賞を取った。私は選考委員ではないし、受賞した小説も読んでいないのだが、芥川賞を取ると、人間の価値が跳ね上がるのか?

恐らく、彼がお笑い芸人のままで芥川賞受賞を逃していたとしたら、このイベントに呼ばれもしなかったろうし、呼ばれてゲスト参加していても、新聞記事になることはなかったろう。

だが、である。芥川賞を取ろうが取るまいが、又吉は又吉であり、又吉本人の価値はちっとも変わらないはずだ。とすると、育てる会も朝日新聞も、評価して尊重しているのは、又吉という人間ではないことになりはしないか? 大事なのは又吉ではなく、「芥川賞受賞作家」という肩書きであるということではないか?

ひとりの人間が、なまじ大きいといわれる賞を取ったが故に、変わらぬ己と受賞作家の2つに分裂させられてしまう。これってストレスじゃないか? 大きすぎる肩書きに、ちっぽけな自分は振り回されてしまわないか? いずれは

「I am the Greatest」

などという妄想にとらわれるのではないか?

いや、そもそも芥川賞受賞作家って、そんなビッグネームか?
恐らく私は、読書家の末端にかろうじてぶら下がっているとは思うのだが、それでも最近の芥川賞受賞作はさっぱり読んでいない。受賞作が掲載された文言春秋は必ず買って受賞作を読むのを習慣とした時期もあったが、飽きた。

だって、ちっとも面白くないんだもの!

田中なにがしという最近受賞した作家の文章はどこかの新聞で読んだが、実に粗雑であった。こんなどうしようもない文章を書く自称作家の作品が受賞作?

あれやこれやの理由で、芥川賞にはまったく関心が持てなくなった。考えてみれば、私、芥川賞受賞作家を何人知っているのだろう? あなたは何人知ってる?

まあ、文藝春秋社が、本を売るための話題づくりを狙って作った賞である。受賞者を記憶する必要など許ないといえばないのだが。
という最近の世相を鑑みれば、

又吉=芥川賞

という等式は、何年ぐらいの寿命があるのだろうなあ。

いずれにしても、人をその人自身ではなく、肩書きで測る育てる会も朝日新聞も、どこか大もとのところで大きな勘違いをしている。
こんな奴らが守れっていう太宰のいた下宿屋? 壊しちゃえ、壊しちゃえ!