02.01
2016年2月1日 ドレスコード
柄にもなく、ファッションの話を書く。
まだ大学生の時である。私は所用があって、住まっていた福岡から大阪へ出かけた。訪ねた先で数日お世話になり、戻る途上の大阪駅であった。
「あのう、どこまで行かはります?」
振り返ると、同年代の男性がズタ袋を下げて立っている。髪は、当時の流行で伸び放題。Gパンに、さほど美しくもないジャンパー姿。おまけにサングラスである。おいおい、もう日も暮れて、やがて夜だぜ。
と観察した私の内心は
「ハア?」
であった。
大阪駅のコンコース。心が時めくほどの美女に声をかけられたのなら、喜んで天国まで駆け上がって見せよう。だけど、こんな薄汚い男に声をかけられてどうする?
「いや、これから岩国に行くんだけど」
大阪に行くと福岡を出るとき、友人に頼まれたのである。
「だったら、帰りに岩国に寄ってくれないかな」
当時、岩国に「ホビット」という喫茶店があった。米軍基地のある岩国で、
「戦争は嫌だ」
と思ったにしろ、思わないにしろ、軍を脱走する兵隊がいた。そういう、まあ、学生言葉で言えば
「反戦米兵」
を支援するために、ベトナムに平和を市民連合(ベ平連)がつくった喫茶店である。
「そこにさあ、今度アメリカから弁護士が来るんだわ。この弁護士、新婚らしくて、奥さんも一緒なんだって。それはいいんだけど、アメリカ人の夫婦って、その気になると人目もはばからずにパカパカやり始めるんだってさ。それはやっぱりまずいから、奴らの個室をつくろうってことになって、間仕切りをつくる工事をするらしいんだけど、手伝ってくれないか?」
それが、熱心な活動であった彼から私への依頼のすべてであった。
「そんな! 間仕切りなんかいらないよ。人前でもパカパカ始めるんなら、始まったら金を取って観客を入れればいい。喫茶店は儲かるし、観客も喜ぶし、そいつらだってまんざらでもないかも知れないし」
といえるほどの知恵は、当時の私には、逆立ちしてもなかった。知恵がなければ、こういうしかない。
「わかった。寄ってくるわ」
それが、いまの、というか昔からずっとというか、とにかく我が妻女殿との初対面につながるとは知らぬ私は、気楽に引き受けたのである。
というわけで、大工仕事のために岩国に行こうという私に、その薄汚い男は声をかけたのだ。
「はあ、岩国でっか。一緒に連れてってもらえません?」
あのう、初対面なんだけど。
それなのに、どうしてあんたと岩国まで同行しなきゃいけない?
「いやあ、わて、目ェが悪いんですわ。そいでサングラスしてるんですけど、だから、誰かに連れてってもらわんといかんのです」
はあ、夜のサングラスはそのような事であったか。だけど、何で俺が?
「頼んますわ。もちろん、電車賃は自分で出しますよって」
20才を過ぎたばかりの私はお人好しであった。ここまで頼まれて断る言葉を持ちあわせていなかった。
「はあ、そんならご一緒しましょうか」
夜行列車に乗り、ビールと酒を間にボツボツと話し始めた。彼は、
「マヤリモのドン」
と自己紹介した。
うそー! そんな名前あるはずないジャン!
「いや、私はこれで通してるんですわ」
はあ、さようでっか。
「私、いまでもあまり見えんのですが、あと1,2年すると完全に失明する、と医者にいわれてます。そやさかい、見えんようになる前にあちこち見ておこうと思うて旅してるんですわ」
若さとバカさは紙一重である。あれほど警戒し不審に思ったのに、ボツボツと言葉を交わすうちに、何だか彼と出会うのが運命であったような気がしてきた。乗り込む前に買った酒とビールが底をつく頃には、まるで百年の知己のようになった2人であった。
その勢いで聞いた。
「だけど、大阪駅のコンコースといったら、沢山の人が通るじゃないですか。その中からどうして私に声をかけたんですか?」
彼は
「何と不思議なことを聞くものよ」
とでもいわんばかりの顔をして答えてくれた。
「そんなん、簡単ですわ。あんた、私と同じような格好をしてはった。だから、一目で信用できる、思たんです。スーツ着てネクタイを下げた連中は体制の回しもんです。信用できません」
ン? ということは、私もマヤリモのドンと同じく薄汚い男であった?
マヤリモのドンとは、岩国で数日一緒に過ごした。その後ふらりと出て行き、以後、何の音信もない。だが、その出会いだけはいまでもはっきり覚えている。
そうか、スーツを着てネクタイをするということは、体制の回し者になるということか。
自分と同じ格好をしている連中は信用できるのか。
あれからもう45年がたった。そしてわかったことがある。
ファッションとは、自分の願望をかたちにしたものである。
自分がどのような姿で見られたいかをかたちとして表すのが、個々人が選択するファッションである。
シャネルやグッチを身につけて恥じない連中は、シャネルやグッチを当然のこととして身に纏う階級の一員として自分を見てもらいたいと願う。預金残高がマイナスになっても、その道を進む。
ピアスを身につける連中は、ピアスで身を飾る連中と徒党を組む。
どぎつい化粧をする女は、ヤクザまがいの男とくっつく。
そうなのである。
ファッションとは、自分が仲間に入れてほしいと思うグループに向けたラブレターなのだ。私もあなたたちの仲間であることを認めてください、という懇願なのである。
20歳をわずかばかり過ぎただけでそれに気がついていたマヤリモのドンは偉い。この歳になるまで気がつかなかった私は鈍い。
ところで、マヤリモのドン、って何なんだ?
「あ、それ簡単よ。あの人、きっと森山さんっていうんだわ。それをひっくり返してマヤリモ。ドンはドンでしょ」
反戦喫茶「ホビット」で知り合った、まだ高校生だった女の子が軽やかに言い切った。なるほど、そのようなものか。
そんなことにも気がつかない私は、昔から鈍かったのか。
あの娘も、いまや60代である。どれほど慧眼のばあちゃんになっていることやら。私は相変わらずの鈍くささで66歳まで生きてきたが。
それにしてもマヤリモのドン。今ごろ何処でどうしているのか。目はとっくの昔に見えなくなっているはずだよなあ……。
という昔話に終始した本日の私であった。