2016
03.16

2016年3月16日 退院

らかす日誌

本日、妻女殿が前橋日赤をご退院なされた。

「えっ、お前のかあちゃん、入院してたの? 聞いてないぜ!」

とおっしゃるのもむべなるかな、である。私がご報告していなかったのだから、皆様にそれが知れるわけがない。

いやまあ、膠原病という終生の友をお持ちになっている妻女殿であるから、いつ入院されても、お坊さんをお呼びになっても(かあちゃん、ゴメン!)、それほど不思議ではないのかも知れぬ。膠原病を原因とする入院なら、数週間から数ヶ月はかかることが多い。
が、今回はそのような長期間の入院ではなかった。入院されたのは昨15日、そして今日は早くも退院だから、わずか1日の入院であった。

白内障

である。その手術を受けられたのだ。そして私は、入退院の足として、2日にわたってひたすら車を運転したのである。

白内障とは、眼球においてレンズの役割を果たす水晶体が濁ってしまう病である。手元の虫眼鏡が、取り扱いが乱暴であるために沢山の傷がついてしまえば、レンズを通した映像は見えにくくなる。カメラのレンズには細心の注意を払ってゴミや傷を避けるのは、美しい映像を撮影するために必須である。

そのレンズが濁ってしまったために、ものが見えにくくなるのが白内障だ。治療は手術しかない。濁ってしまった水晶体を吸い出し、代わりに人工の水晶体を入れてやる。こうしてレンズが透明度を取り戻せば、ものがよく見えるようになる、というわけだ。
誰しも、40歳前後からは多かれ少なかれ、水晶体に濁りが出始めるそうである。私と同い年の同僚も先日、白内障の手術を受けた。我が妻女殿は私より1歳だけ年下だから、白内障になってもおかしくはない。加えて膠原病の治療をもう30年も受け、沢山の薬を飲み続けているから、まあ、発症はやむを得ないのであろう。

だが、だ。
白内障の手術とは、眼球の一部を切り裂くものである。谷崎潤一郎の「春琴抄」の佐助は、春琴への愛のために自らの目に針を突き刺した。

「えーっ、いくら惚れたとはいえ、自分の目を針で刺す?!」

そこまでの覚悟を求められるのが愛であるとすれば、私は誰も愛したことがないのかも知れないという世界だ。そいうえば、

「私、春琴になりたいのよね」

という女性を酒を飲んだことがあったなあ。彼女、ひょっとしたら、

「あんた、私の佐助になりなさいよ」

といいたかったのか? オー、怖!

ま、それはそれとして、白内障の手術は部分麻酔で行われるらしい。だから、眼球にメスが入る痛みは感じないものの、手術の様をすべて我が身で見ることになる。
んー、とてもではないが、気の弱い私には耐えられそうにない。できれば、白内障の手術を受ける前に棺桶に入りたい。

で、昨日は午前7時過ぎに自宅を出て、8時20分前後に前橋日赤に着いた。入院の手続きなどがあり、病院を出たのは9時半頃である。

「午後1時には戻ってきてください」

どのような理由からかは不明だが、私は手術に立ち会わねばならないらしい。

「俺が立ち会ったって糞の役にも立たないがなあ」

と訝りはしたものの、まあ、患者の夫である以上、病院の命令には背けない。いつものようにけやきウォークで時間をつぶし、12時半頃には病院に戻った。

手術は午後からで、妻女殿の順番は3番。始まったのは午後2時過ぎだった。

「どうされます? 手術室の前でお待ちになりますか? いや、ここ(入院病棟の食堂での会話である)で待っていただいてもよろしいのですが」

はあ? 何処にいてもいいのなら、どうして私は病院にいなくてはならないんだ? と当然の疑問を抱いたが、話がここまで進めば今さら

「じゃあ、私、桐生に戻ります」

ともいえない。食堂で読書をしながら待った。

手術を終えて妻女殿が病室に戻られたのは2時過ぎだった。手術を受けた右目はガーゼで覆われていた。

「何かやることあるか?」

「別にないわ」

という短い会話で、昨日は病院を引き上げた。


本日の退院時刻は正午である。午前11時半頃に着いた。すでに右目のガーゼは取り去られ、

「何か、世の中が明るくなったわ」

とは妻女殿のお言葉である。はあ、白内障の手術とはそのようなものであるか。

身体の不具合の1つが消え去ろうとしているためであろうか(目の状態が安定するまでには、しばらく時間がかかるそうだ)、夜に入っても妻女殿のハイテンションは続いている。

「字幕付きの映画、『キャバレー』を見てみたの。字幕もはっきり読めるのよ」

これまでは字幕を読まずに映画をごらんになっていたらしい。まあ、せっかく字幕が読めないのなら、その状態を続けて英語をマスターしたら? とも思ったが、そんなことを言い出せるはずがない。

「あ、そ。それはよかったね」

我が家の夫婦の会話とはその程度のものである。


四日市の啓樹から電話があった。

「ボス、僕さあ、この間のテストで、クラスだけじゃなく、学年でも1番だったわ」

何かの共通テストで、算数、国語ともに100点だったのだという。まあ、平均点100点なら1番になるのは当然である。

「啓樹、それはよかったな。ボスも嬉しいわ。6年になっても中学生になっても、1番をキープしろよ」

「うん、わかった。あのさあ、僕さ、中学になったら生徒会長を狙うわ」

この脳天気さ、啓樹はいったい誰に似たのか?

「啓樹、ママはいるか?」

「いるよ」

「じゃあ、呼んで」

「はい、何?」

と長女。

「自分の子供の学校の成績がいいと、親としても気持ちいいだろう? 俺もそんな思いができる親になりたかった」

……。

「あ、そう。ゴメンね」

啓樹の弟、嵩悟は、最近始めたピアノがたいそう肌にあったようだ。

「次は22日がレッスンなの」

恐がりで、あのドラえもんも

「怖くて見れない!」

というヘタレではあるが、その代わりに特別な才能を授かった?

であればいいと願う、ヘタレの私であった。