09.26
2017年9月26日 永井荷風その後
はい、読みました。読了しました。
読み終えて、
「でも、墨東奇譚はそこそこ面白かった」
というのが、とりあえずの永井荷風の感想であります。
中年というより老年(この人、51歳なのですが、当時の男はこんな年で老いさらばえるのか、という感じです)の作家と、時には身を売って暮らしを立てるカフェの女給の話で、あっけらかんとした女給に、何ともいえない味があります。荷風さん、この手の、学もプライドもないものの、芯がしっかりしている女性が好みだったんですかね。
それはそれとして、より面白く読んだのが、
「作後贅言」
という題名で、小説が終わった後にくっついた、作者による解説のような、エッセイのような不思議な文章です。昭和11年11月の脱稿とあり、そのころの世相がくっきりと写し取られているのです。
例えばこんな一節があります。
「われわれ東京の庶民が満州の野に風雲の起つた事を知ったのは其の前の年、昭和五六年の間であつた。たしかその年の秋の頃、わたくしは招魂社境内の銀杏の樹に三日ほどつゞいて雀合戦のあつたことをきいて、その最終の朝麹町の女達と共に之を見に行ったことがあつた。その又前の年の夏には、赤坂見附の壕に、深更人の定まつた後、大きな蝦蟇が現れ悲痛な声を揚げて泣くという噂が立ち、或新聞の如きは蝦蟇を捕へた人に金参百円の賞を贈るという広告を出した」
それに、こんな一節も。
「霞ヶ関の義挙が世を震動させたのは柳まつりの翌月であつた。わたしは丁度其夕、銀座通を歩いてゐたので、このことを報道する号外の中では読売新聞のものが最も早く、朝日新聞がこれについだことを目撃した。時候がよく、日曜日に当たつてゐたので、其銀座通はおびただゞしい人出であつたが電信柱に貼付けられた号外を見ても群衆は何等特別の表情を現さぬばかりか、一語のこれについて談話をするものもなく、唯露店の商人が休みもなく兵器の玩具に螺旋をかけ、水出しのピストルを乱射してゐるばかりであった」
これ、満州事変と五・一五事件が起きたときの街の反応である。そうか、満州の野で浮雲急を告げても、日本国内では雀が喧嘩をしているとか、蝦蟇が鳴いているとか、国民の関心はそんなところに向いていたか。メディアまでがそれを煽っていたのか。
霞ヶ関と言えば銀座からは目と鼻の先である。そんなところでまなじりを決した海軍の青年将校達が銃を振り回して首相らを暗殺し、警察官1万人が動員されて警戒に当たっていたというのに、銀座では水鉄砲売りが人気を博していたのか。
どちらも、その後の日本の歴史を大きく変えた事件である。学校で学んだときは
「日本中大騒ぎをしたんだろうな」
と漠然と思っていたが、いやはや、大騒ぎどころか、雀合戦に蝦蟇の鳴き声、水鉄砲とは。
歴史がきしみながら曲がり角を曲がっても、それを感じ取る人はほとんどおらず、のんべんだらりとした暮らしが続いていたのであるか。
とすれば、である。
いまこの時、私がパソコンに向かってこの文章を書いており、あなたは会社で上司に叱責されて腐っており、小学校からは子どもたちが連れだって下校しており、高校のグラウンドでは準備体操を終えた野球部員がシートノックのためにグラウンドに散らばり始めており、上司の叱責に腐っていたあなたは
「そうだ、今日はあいつと飲むんだった。店に予約をして置かなくっちゃ」
と携帯電話を取りだしている。
そんないまこの時に、歴史はひっそりと、大きな曲がり角を曲がっているのかもしれない。
はい、冒頭奇譚はそんなことを考えさせてくれました。
で、選挙である。
自民党に圧倒的多数を与え続けるのは、どう見ても危ないと、私は思う。国民ときちんと向き合わず、言葉の勢いだけで全てを乗り切ろうとする安倍政権にはそろそろ御退陣いただきたい。
そのためには、野党が踏ん張らねばならぬ。だが、踏ん張りそうな野党は、小池百合子の「希望の党」だけという現状に、ため息しか出ない私である。
小池に吹く風に乗ろうとうごめく素人たちと脱党者たちが作る新しい政党。矜持もへったくれも何もない有象無象の寄り集まりが、日本を危機から救えるか?
そこにしか望みの繋ぎようがないといういまの日本を何に例えたらよかろうか?
ん? トランプを選ばざるを得なかったアメリカよりましだろうって?
そうかもなあ……。