2017年9月29日 選挙ねえ

らかす日誌

少し仕事がたて込んで、でも、夜は映画鑑賞に当てるという基礎的習慣は堅固に守るため、ややタイミングがずれた。

選挙である。衆議院が解散され、メディアは選挙一色に塗り立てられた。みんなは、そんなに選挙のことを知りたがっているのかね?

民進党である。民進党が自殺しちゃった。まあ、箸にも棒にもかけようがない政党だったので痛くもかゆくもないが、公の政党が自殺するなんて、日本の歴史にあったのかね?

党首の前原というにやけた男は、自分のアイデアのすばらしさに酔っているのかもしれない。

「いまの自問党政権にNOを突きつけるにはこの手しかない。こんな上策を思いつく私は天才ではないか」

なんて、自己満足に浸っているのかもしれない。

確かに、いまの民進党では自民党にかないっこない。あの政党は民主党として政権を取ったときがピークで、でもピークに上り詰めた瞬間に全ての馬脚をあからさまにしてしまった。要は、大学までは優等生だったかもしれないが、大学を出た後は何の勉強もせず、ただただ大学キャンパスで身につけた知識だけで世を仕切ろうとした。そんなつまらない人間の集まりであった。あえていえば、自民党が小泉元首相らの尽力もあって自らこけてくれたおかげで政権の座についただけである。党名を民進党に変えたからといって、本質が変わるはずはない。

そんな体たらくに輪をかけたのが、卑しい連中の離党騒ぎである。多分、それまでは民進党の党是をあちこちで吹聴していたはずなのに、総選挙が迫って自分の足下を点検し、

 「ありゃあ、民進党への風はまったく吹いてない。それどころか、逆風が止まってないぜ。こりゃいかん」

としっぽを巻いて、小池おばちゃんの元に走った。あんた、小池おばちゃんが自民党の要職—確か防衛大臣もやっていた—にいた時に自民党を批判したことはなかったのか? 小池大臣に論理で立ち向かったことはないのか? 街頭で小池批判をしたことがなかったのか? 民進党所属だったあんたの正義と、自民党だった小池おばちゃんの正義はすれ違っていたのではなかったか?
そんなことには目もくれず、ただただ国会議員という甘い椅子に座り続けたいだけで、小池のおばちゃんにしっぽを振る。こんな人間を

卑しい

といわずして、どんな人を卑しいといったらいいのだろう。

だから、民進党が陥った(それも己の責任であるのだが)深い穴を見れば、ひょっとしたら前原兄ちゃんの決断は理にかなっているのかもしれない。座して自民党単独過半数政権を迎えるより、自民党と戦える戦線を組むしかないではないか。敵の敵は味方である。兄ちゃんはそういいたいのかもしれない。

だけどね。
自民党と小池党。どっちを選んだらいいんだ? 小池新党、確か希望の党といったっけ、その政党と、何か違いがあるのか? 東京都では長年権力を奮い続けた自民党にたまった澱、苔があった。だから既得権益に風穴を開けただけでもひょっとしたら意味があったのかもしれない。だけど、国政ではどうだ? 政策に何か違いがある?

小池のおばちゃん、サッチャーさんを尊敬したいらっしゃるそうな。鉄の女サッチャーは新自由主義、マネタリズムを採用し、徹底的な規制緩和、民営化路線を突っ走ったが、結果は失業者の増大を招き、支持率を失った。自由の空気が強かった教育への政府介入を強めたのもサッチャーである。
ねえ、これ、自民党の政策とどこが違う?

有権者に選択の幅を用意しない、まったくもって不毛な選挙である、と私は思う。

「であれば、政党ではなくて人を選べば」

などと意味のないお説教はよしていただきたい。
そもそも小選挙区制度とは、人を選ぶ選挙ではない。政党を選ぶ選挙である。
百歩譲っても、私たち有権者は、「人で選ぶ」というほど、候補者のことを知っているか? 知る手段があるか?

ここからは八つ当たりである。
選挙区がずっと小さい市町村レベルの選挙なら、ひょっとしたら人で選ぶこともできるのかもしれない。が、それにしても、いまの地方を見て、なるべき人、なってほしい人が長や議員になっているか?
そのレベルでもできていないことが、選挙区が広い国政選挙で実現できるか? できるはずがない。

これからしばらくの間、メディアにはどうでもいい選挙関連の話が五万と登場する。憂鬱である。このあほらしい選挙が、いまの選挙制度、民主主義のあり方に関する本質的な議論の出発点となればいいのだが、そんな視点を持ったメディア人にお目にかかったことがないことからして望み薄である。

2017年の秋は

 「ああ」

と嘆息するしかない秋である。