2017年10月10日 思案中

らかす日誌

旧「らかす」から新「らかす」への原稿の移行作業も、おおむね半分終わった。

「まだ半分か」

ため息をつくか、

「もう半分済んだか」

達成感に酔いしれるか。
さて、私はどちらのタイプなのだろう? 何だか、

「いつまでうざったい作業を続けてるんだ?」

やけっぱちになっているような気もするが。

 

それはそれとして、移行作業をする際には、どうしてもかつての原稿を再読する。誤変換を見つけて正しい言葉に直したり、思い込みで意味が通じない文章になっているところを修正したりするためである。ために、作業がなかなかはかどらないのである。
そうそう、新「らかす」では実名主義を取り始めたので、かつてのペンネーム「安堂」を、実名である「大道」に書き換えるダ行もある。

思案するのはその途中である。
いま移行作業をしているのは、最後に残った「らかす日誌」だ。これ、旧「らかす」には1353本ある。そのうち、2011年10月28日分まで移行を終えた。移行本数は614本である。おおむね、

「ああ、こんな駄文を書いていたか」

と穴があったら入りたい気分になるものだ。
だからだろうか、かなりの労力を注ぎ込んでいるにもかかわらず、Googleアナリティクスで追跡しも、アクセスしてくれる人はほとんどいない。

ところが1本だけ、

「こんなに古い日誌に、なんでアクセスがあるんだろう?」

というのがあった。不審を抱いたら調べる。当然の作業をしたら、すぐに答えが出た。
新「らかす」の「らかす日誌」は、公開日をオリジナルのママにしている。つまり、2011年10月28日に公開していた原稿は、2011年10月28日を公開日としている。
 ところが、アクセスを集めた原稿は公開日を、移行作業をした日のままにして公開していた。だから、新「らかす」にアクセスしていただくと、上の方に表示されていた。それでアクセスが集まったのである。

いま使っているWordPressでは、公開日が新しいものから順に並ぶ。だから、公開日が古い、昔の「らかす日誌」はなかなか読者の目に届きにくい。届きにくいからアクセス皆無のページばかりになる。
私は

「どうせ読んではもらえないんだ」

と半ば諦めながら、でも、

「そうか、俺は敬樹や瑛太と、こんな風に付き合ってきたんだ」

懐旧の情を抱きながら、移行作業に従事しているのである。

まあ、敬樹、瑛太との付き合いなど、私事に関わる原稿はいまさらアクセスを集めなくてもよい。大半を占める拙文も、アクセスがなくて助かる、という類である。ただ、私の歴史の一コマとして恥をさらしているだけである。

ところが、なのだ。移行作業をしていると、希に

「へーっ、俺ってこんなことを書いていたんだ」

自分で自分を褒めてやりたくなるものがある。だが、いかんせん古い日誌であるものだから、そんなものにもアクセスは、まずない。
それはそうである。読む前に、それが面白い原稿かどうかを知る術はないのだから、やむを得ないことである。

思案はそこから始まった。

「何とか、かつての原稿を読んでいただく手はないか?」

例えば、福島原発事故の後、私が放射線を正しく怖がるための勉強をした内容をまとめた日誌がある。「2011年6月15日 勉強」から始まる3回シリーズだ。放射線の人体への影響を、できるだけ分かりやすくまとめた(といっても、市販の本をまとめただけではあるが)ものである。最近は放射線云々の話題はあまりでないから読者ニーズも低いだろうが、しかし、この中身はいま読んでいただいても充分に耐えるものだと思う。
時間を超えて読んでいただけそうな、そういう原稿に、もっとアクセスしていただく手はないか?

例えば、古い原稿を新しい日付で公開し直す。そうすれば、トップページで上の方に表示されるからアクセスがあるのではないか。

いま、「旧らかす」のタグがある。リンクを張っているだけなのだが、旧「らかす」を閉鎖した後は不要になるタグである。これを「自薦原稿」に模様替えし、昔の原稿で「これは」と思うものを放り込む。

いろいろと思案しているのである。

とりあえず、原稿のネタがない日に、古いヤツをその日の日付で公開してみるか。最初に、

「これは、○○年△月□日に公開したものの再掲です」

とお断りを入れて。

思案がまとまったら行動に移す予定である。