2017
10.24

2017年10月24日 結果が出たが

らかす日誌

さてそこで、衆議院選挙である。
事前の世論調査通りの、実に詰まらぬ結果になったが、一言触れておかねばなるまい。

与党というより、自民党の圧勝であった。ほかに勝てそうな政党がなく、小選挙区制を採っている以上、こうなるしかなかっただろう、という結果である。
だが、安倍首相の人気が落ち目のいま、何故こうしかならないのか?

様々な分析が出始めている。これからも出るだろう。そんなもの、余り読む気にもならない私は、ふと

郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのもみんな私が悪いのよ

という言葉を思い出した。どこかの落語家が高座でよく使ったフレーズである。私は、この「私」を「民主党」に入れ替えれば、正解にたどり着くのではないかと思う。
みんな、民主党が悪いのである。

戦後長く続いた自民党政治に飽き飽きした国民は、一度は自民党を政権の座から蹴飛ばし、民主党に日本の将来を託した。
だが託された民主党は、宇宙人、いら菅、ドジョウと3代続いてことごとく国民の期待を手ひどく裏切った。そのあたりは、当時の「らかす日誌」に、思いつくまま書き連ねた覚えがある。

「何だ、自民党よりましだと思って投票したのに、世の中ずっと悪くなっちゃったじゃないか」

私の周りではそういう人が多い。おそらく、全国的にも同じ思いの方はたくさんいらっしゃる。

「民主党? ああ、利口ぶった勉強秀才の集まりね。連中に国を任せるわけにはいかないわ」

あれ以来、多くの人が政権政党を変えることに慎重になった。変わるとは、良くなることではない。変わってさらに悪くなることもある。考えれば当たり前のことだが、変わる=良くなる、という神話を抱き続けた私たちは貴重な学習をした。
そして今回の選挙でも、その思いは変わらなかった。

一時話題になった「希望の党」。民主党からの移籍組、自民党からの移籍組、小池の名前につられて寄り集まった有象無象。ろくなものではない、と何度も書いた。書きながらも、

「勢いだけはあるからなあ」

と懸念していた。
いや、自民党の勢いは止めた方がいいと思う。だが、止めるのがこの人達であっては、

「変わってさらに悪くなることもある」

の再現になりかねないからである。
それが、小池おばさんが

「排除」

という言葉を使って風向きが変わった。
一般的には、失言だったとされている。だが、私は失言だとは思わない。徒党を組んで政党を作るのである以上、政党の主義主張はある程度明確にしておかねばならない。そうでなければ、烏合の衆になってしまう。
「希望の党」は当初、小池人気でろくでもない連中があつまっただけの政党だった。それだけでも不安なのに、民進党から大量の現職が流れ込もうとした。彼らのこれまでの政治家としての主張、行動は、「希望の党」と一致するものばかりではなかったはずだ。であれば、「希望の党」が政党であろうとする限り、どうしても同じ釜の飯を食えない連中は、

「来てもらっては困る」

とお断りをするのが当然である。それを小池おばさんは

「排除」

という、ややきつい言葉で表現した。政党を率いる立場にある人間としては極めて当たり前のことである。

その一言が小池人気に水をかけたという。本当かどうかは量る術がないが、もしそうだとすると、小池人気とは

その程度のものでしかなかった

ということになる。そして、そうだったのだろう。
さて、早くも脱会者が出た「都民ファーストの会、そして「希望の党」はこれからどうなるのか。きっと雲散霧消するのだろう、と私は思うが、いかが?

今度の選挙で躍進(という言葉を使うのはどうかと思うが‥‥)したのは立憲民主党である。自民党が圧倒的に強く、民進党はバラバラになり、でも、希望の党なんかちゃんちゃらおかしくて、という有権者の票が集まった結果だろう。あの菅直人まで勢いで当選してしまったのはお笑いだが、何だか、昔の社会党が復活したような気がするのは私だけか?

社会党とは、世のインテリ俗の指示を幅広く受けながら、実態は、自民党が存在するから存在が許された、いわば自民党の影のような政党であった。立憲民主党は社会党と違うのか? 社会を動かす力はあるのか?

いや、かつての社会党を引っ張り出すまでもなく、要は、かつての民主党の生き残り組である。政権運用能力に決定的に欠けた人たちの集まりである。そんなものに期待できるか?

ふむ、こうして選挙結果を眺めると、何だか悲しくなる。悲しくなるが、これがいまの日本が持てる政治の形なのである。

が、まあ、だ。
政府与党はこれから、憲法改正を発議するだろうと言われている。衆議院の3分の2の数(群馬2区から当選した議員は、その数の一つ以上の役割は果たせそうにないが)の圧倒的多数を持った以上、その公算は高い。

救いは、投票率がほぼ50%しかなかったことだ。国民の半分は投票所に行かなかった。残りの半分の票の内、自民党は48%の票を得たに過ぎない。全体を見ると、自民党を押し上げたのは有権者の4分の1でしかない。75%は自民党にそっぽを向いているのである。

いいじゃないか、憲法改正の発議。国民投票で否決すれば済むのである。今回投票に行った人の半分も、自民党には投票していない。自民党の政治に納得できず、ほかの政党の頼りにならないと棄権した人々が、憲法改正の国民投票には足を運んで反対票を投ずれば、安倍内閣の思惑は崩れるのだ。

国民投票の日が来れば、今回は投票所に行かなかった私も必ず投票する。それだけでなく、周りの人をできるだけ説得して投票所に向かわせる。全国に、私のような人が数限りなく現れる。

私はこの国が好きである。その程度の期待は持ち続けたいと思う。