12.05
2017年12月5日 歴史改竄
見た時から
「おかしいな」
と思っていた。NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」である。この日曜日に放送された回である。
「こんな歴史があったはずはないじゃないか」
夕刻、晩酌しながら見ていて、思わず声を出した。そのまま、「らかす」に書こうとも思った。
だが、である。私の歴史知識が正しいとは限らない。私が間違っていることだってあり得る。
「こら、NHK!」
と拳を振り上げたところで、私の方が間違っていたとなっては目も当てられない。疑念は持ちながら、そう考えて字にするのは控えていた。
で、昨夜、O氏を交えて酒を飲んだ。その場で「おんな城主 直虎」が話題に上った。いや、私が話題にしたのだったかも知れない。
「そうだよね、あれ、変だよね。NHK、どうかしちゃったんじゃないの?」
ということで、全員の意見が一致した。であれば、ここに書き記すしかない。なーに、今度は私一人の責任ではない。これから書くことが間違っていたら、私、O氏、そして一緒に酒を飲んだ全員の責任である。
みんなで渡れば恐くない。
そのシーンは、突然出てきた。
「信長を殺す」
明智光秀の台詞である。ひどい台本である。聞いたとたん、
「おい、明智ほどの武将が、そんな物言いするか? せめて『上様を攻める』とか、『織田殿を弑する/討ち果たす』程度のことは言わせられないのかね」
と、脚本家の語彙のどうしようもない貧弱さに呆れた。こういうのをボキャ貧、というらしい。
だが、である。この場面、そんなことに気をとられていては、本質を見失いかねない場面であると、すぐに気がついた。
え、明智光秀が、本能寺に織田信長を攻める前に、たくらみを人に話していた?
それは大変な新説ではないのか? これまで、あの時代の歴史小説はたくさん読んできた。その中に、一つとしてそんな説が出てきたことはない。
変の直前に連歌の会を催し、
「時は今 雨が下しる 五月哉」
という句を作った。時=土岐(光秀は土岐一族の出身)、雨が下=天が下、つまり天下、しる=支配する、とも読める。この句で、信長打倒に立ち上がる決意を密かに周りに伝える意図があったのではないか、と取りざたされていることは知っている。
だが、作った句に裏の意味があったのではないかと推察されるほどだから、明瞭に意思表明した事実があれば、そんなことを歴史マニアがあれこれ推察るすはずはない。
事前にはまったく誰にも告げず、突然
「敵は本能寺にあり」
と軍配を振ったというのが、私の知る全てである。
えっ、俺の知識、間違っていた? そんなはずはないが……。
しかも、なのだ。伝えた相手に、開いた口がふさがらなかった。今川氏真。織田信長に討ち取られた今川義元の後継者である。このころ今川家は滅亡しており、氏真は徳川家のお情けで命を繋いでいた。
つまり、
「どうでもいい人」
なのである。何の力も影響力もない人間に、主君を暗殺する大事を、何故漏らさねばならない?
もし本当に漏らしていたら、明智光秀は何ともならないアホウである。そんなヤツを信長が重用していた? あり得ないだろ!
謀(はかりごと)は密なるをもってよしとす。ホントに心を許せる側近中の側近には告げていたかも知れないが、氏真如きにぺろっとしゃべっちゃうなんてことは、世の常識からしてあり得ないのである。
それをNHKの大河ドラマがやっちゃった。
これって、歴史の改竄? ねつ造?
いまだに、司馬遼太郎の歴史小説とNHKの大河ドラマで歴史を学ぶ人は多い。そしてほとんどの人が、それが真実だと信じ込んでしまう。
ああ、それなのにそれなのに。NHKって、そんな責任をちっとも感じていらっしゃらないのね?
それに、だ。明智光秀が今川氏真に告げたことは徳川家康に伝わる。ドラマでは、家康は信長に殺されるのではないかと恐れており、京に出てこいという信長の呼びかけに
「どうしよう?」
と迷っている。そこにこの情報が届くのだ。
歴史ではこのあと、家康は京に上り、本能寺の変を知って三河に逃げ帰る。確か30人程度の側近しか連れておらず、鈴鹿峠を越える道中、大変に苦労するのである。
光秀が決起することを知りながら、決起したら自分も巻き込まれて光秀に討たれるかも知れないことを知っていながら、たった数十人の、ほとんど武装していない家来と一緒に危険な地に出かけるか?
常識で考えて、どうしてもあり得ないところにドラマを足を踏み込むのである。
まだ、NHKに向けて抗議の声が上がったという話は聞かない。みんな、光秀の錯乱を
「あ、そうなの」
って見てるのかなあ。
それとも、私だけ知識が遅れているのかしらん?
NHKはいまの朝ドラもひどい。どうしてこんな、三流以下のドラマしか作らなくなったんだ? NHK。
去年から払い始めた受信料、やっぱり払うのをやめようかな?