12.31
2017年12月31日 良いお年を
今年もとうとう大晦日になってしまった。見出しに「2017年」と書き入れるのも今日が最後である。
光陰矢のごとし
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
どんな言葉を引いても、時の流れは無情である。あっという間に年が変わり、2017年は2度とやっては来ない。来年、私は69歳。さらに1年たてば古希。
今朝は朝から、車に水をかけて拭き上げた。それほど汚れてはいなかったが、まあ、これも気分の問題である。年が変わることにたいした感慨はないが、来年もお世話にならねばならない車であるからして、多少は気にしてやらねばならぬというところである。外気温は、多分5度前後。手抜きをした洗車であるにもかかわらず、冷たさで指先がかじかんだ。
松飾りはすでに昨日取り付けた。妻女殿に頼まれた包丁研ぎも昨日のうちに済ませた。ために、洗車が終わってみると、この大晦日には何もやることがない。静かな年末である。
ということで、旧「らかす」から新「らかす」への原稿移設作業を午前中に少し進めた。やっと2014年4月まで終わり、残りは400本を切った。春までには終えたい。
今朝は、その4月分の作業をしたのだが、誰もいってくれないから自分で書いてしまうと、
「俺もなかなかいいことを書いているな」
というやつがいくらかはある。
例えばこれである。3年半以上前の原稿ながら、むなしい言葉が氾濫する現状は一向に改まらず、むしろ悪化する勢いもあるから、いま読んでいただいても違和感はないはずだ。
こちらはウクライナの問題と民主主義を絡ませて書いている。様々な思惑が交錯して起きるのが国際問題だが、それを原理原則から眺めればどう見えるのか。複雑さを増す世であるだけに、原理原則に戻ることの大切さを読み取っていただければありがたい。
などと、かつて書いた原稿でお茶を濁そうとする、2017年末の私である。
そうでもしないと、なかなか日誌の更新ができないのだ。何しろ今年は、27日から一切の仕事を絶った。机の回りと部屋を少し片付けてしまうと、何もやることがない。他の人と接することなく、しかもやることがないということは、日誌に書き記したくなることもないということである。
ニュースに目を転じても、たいした出来事はない。NHKのニュースを見ても、相変わらず年末に帰省ラッシュでお茶を濁している程度で、まったく知的興奮を誘われない。茶々を入れたくなるものも見いだせない。
まあ、これが「平穏」ということなのだろう。
今日はこれから、四日市の長女一家が来る。一泊して明日は旦那の実家、高崎に向かう。
四日市といえば、啓樹と嵩悟である。啓樹はすでに中学1年生。ピアノを演奏し、ブラスバンドではトロンボーンを奏でる。まるで母である我が長女と同じ道を歩んでいるが、母と違って学校の成績も、トップグループにいるようだ。頼もしい。
弟の嵩悟は小学1年生。まだママから離れられない甘えん坊だが、学校では優等生なのだとか。家の内と外で顔を使い分ける器用さを持ち合わせているのかも知れない。
さて、2人が来たらなにをしよう?
私の大晦日の時はそのように過ぎつつある。皆様はいかが?
皆様、良い年をお迎えください。