01.22
2018年1月22日 中止
最近の天気予報は、誠によく当たる。
今日は関東一円、午後から雪、それもかなりの量の雪という予報だった。
「なーに、関東関東といっても広うござんす。手前、生国と発しますは……」
ではないが、関東が雪といっても桐生も雪と決まったわけではあるまい、と斜に構えていたら、本当に昼過ぎから雪が舞い始めた。1時間もすると車の屋根、生け垣、草原はすっかり白くなり、
「ああ、降っちゃったよ」
と、正確な天気予報を恨めしく思った私であった。
というのも、今日は約束が2件あったのだ。約束といっても、我が事務所兼自宅に人をお招きしていたのではない。私がお訪ねする約束だった。
1件目は、横振り刺繍の大澤紀代美さんである。下絵も描かずに大きな刺繍を造ってしまう職人、というより芸術家である。広い背景まで全て刺繍で仕上げてしまう技は他の追随を許さない。
その大澤さんに取材をお願いしていた。彼女の生い立ち、人生、技、刺繍の世界に入ったいきさつ、何が美を生み出すのか、などありとあらゆることを書き留めておこうという試みである。
事務所をお訪ねしたのは午後2時前だった。近くに車を止め、降りしきる雪の中を歩いてお訪ねした私の第一声は
「ごめんなさい。私、いま山の上に住んでいるので、これ以上雪が降ったら車で戻れなくなります。本格的な取材は次回ということで……」
そういわざるを得ない雪だった。それでも30分ほど雑談をして大澤事務所を出た。
本当は画家になりたかったこと。
ふとしたきっかけで刺繍を始め、下請け作業ではない、自分の芸術性を表現する世界を切り拓いてきたこと。
日展に出せという人があり、出してみたら
「これは機械(=ミシン)を使っているので芸術とは認められない」
とはねつけられたこと。
前回の衆院選で、小泉進次郎がスカジャンを着て応援演説に回ったこと。
「スカジャンってね、桐生の刺繍で出ていて、横須賀が広めたのよね。でも、誰も桐生のことは言ってくれない」
わずか30分足らずの雑談で、まあ、話題が出ること、出ること。
大澤さんを取材して字にするのは間違っていなかったと確信を深めつつ、突っ込んだ話をすることを阻んだ雪を恨んだ。
大澤さんの取材は13日土曜日に始める予定だった。それが母の急逝で今日に延期をお願いしたのだが、再びの延期。相性がいいのか悪いのか。
雪の様子を見ながら、明日にでも再度お電話を差し上げる予定である。
もう一つは、夕方からの勉強会兼新年会だった。
この雪では、車で出かけると車を残して帰宅せざるを得なくなる危険が大きい。開くのなら、徒歩で出かけるか、と昼過ぎから思案をしていた。
しかし、実際に雪の中を歩き、
「これから雪は激しくなります」
などという予報を聞いて、
「延期した方がいい」
と心に決め、それをメールで通知しようとスマホを取り出すと、すでに
「今日の会合は中止します」
とのショートメールが入っていた。思いは誰しも同じらしい。
というわけで午後3時過ぎには自宅に戻り、空いた時間を生かして日誌を書いている私である。
そうそう、書こうと思って、葬式騒ぎで書けなかったことがある。
カヌーの事件である。
オリンピックに何としてでも出たいと考えたカヌーのアスリートが、ライバルでもある後輩の飲み物に禁止薬物を入れた。そんな事件であった。
そこまで思い詰めていたのなら黙っていれば、ひょっとしたらオリンピックに出られたかも知れないのに、何故か自分から告白したという。悪賢いだけではなく、とんまな野郎でもある。
いや、書きたいのはとんまということではない。
書きたいのは、何故か社会に広く受け入れられている
アスリート=清廉潔白な人
あるいは
健全なる精神は健全なる肉体に宿る
という、とうに破産した神話である。
この神話が生きているため、スポーツエリートが賭博や薬、女性問題などを起こすと、決まって
「ヒーローに憧れる子どもたちが傷ついた」
などという下らない嘘っぱちが語られる。
五輪選手の候補であるということは、スポーツのエリートであるということである。そのエリートでも、
「求めるものは、多少悪いことをしてでも手に入れる」
ために犯罪に手を染める。
しかも、それは世界中どこでも同じ、いやむしろ海外では当たり前のごとくやられていることで、国際大会では、自分の飲み物や食べ物に禁止薬物を混入されないように気を配るのが常識なのだという。
であれば、スポーツエリートの世界も、
金のためなら何でもする、試験に通るためなら何でもする、地位を手に入れるためなら何でもする
下劣な人間が一定割合でいる我々の社会と変わるところはない。
そろそろやめないか、プロ野球の選手を、サッカーの選手を、横綱を、我々とは違った高潔な人物であると見なすのは。
どんな一流選手が事件を起こしても、
「ああ、そうなの。あいつもそうだったんだ。ふーん」
程度に受け止める大人の社会を造ろうではないか。
一流とは、ある限られた世界に限れば他の追随を許さない技量があるというだけのことに過ぎない。その狭い世界を一歩出れば、一流と呼ばれる人たちも、私やあなたとちっとも変わらない単なる人間なのである。
いい人もいれば悪い人もいる。悪い人でも時々いいことをする。いい人でも時々悪いことをする。それだけのことでしかない。
カヌー事件でそんなことを思い出した私であった。
オリンピックでもう一つ思い出した。平昌オリンピックである。
北朝鮮と南朝鮮が合同チームを作るそうだ。それはたいしたことではない。勝手にやればいいというしかない。
書きたいのは、
スポーツは政治の手段
であることを再確認したことである。
誰が政治の手段として平昌オリンピックっを使っているのか。韓国の文在寅大統領である。この人、従軍慰安婦問題といい、平昌オリンピックといい、あらゆることを使って己の支持率を高めようとする。
従軍慰安婦問題は、日韓両政府間で決めたことを一方的に蒸し返した。
日韓合意の内容がいいのか悪いのかは、まったく問題ではない。いいにしろ悪いにしろ、韓国を代表する当時の大統領が
「これでいきましょう」
と約束した。国としての約束である。それをあとになって
「政権が変わりましたから」
と反故にするのでは、韓国政府とはあらゆる約束ができないことになる。だって、いつひっくり返されるか知れたものではない約束なんて、約束とは呼べないではないか。日本と韓国の間で何が起きようと、放っておくしかなくなる。
他国の政府との間で合意したことは守らねばならない。その合意に不満を唱える人が国内いるのなら、国内問題として取り組む。それが当たり前のことである。文在寅大統領は、内政問題として取り組まねばならないことを外交問題にしてしまった。政治家としての、というより人としての常識をまったく欠いた方である。
その常識を欠いた方が北朝鮮に呼びかけ、平昌オリンピックの合同チームが生まれる。
いたずらに武力を誇示するいまの北朝鮮に、平和裏に韓国と一緒になる考えは全くないと見ざるを得ない。その北朝鮮にとって、南北の合同チームを作ることには何のメリットもないはずである。武力による統一には役にたたないからである。
メリットがないのに何故受け入れたか? 韓国に対して貸しが一つできるからだろう。北朝鮮は、いつかは取り立てに来る。そこまで考えて合同チームを呼びかけたのか?
では、韓国が得るものは何かあるのか? それをきっかけに南北の融和が進むといえるような北朝鮮ではない。では? どう考えても思い浮かばない。
あるとすれば、大統領選挙で北朝鮮との融和を公約に掲げた大統領の
「私、公約実現に努力してます」
という宣伝だけだろう。
国際的な非難を無視してミサイル実験、核実験を続ける北朝鮮に対する文在寅大統領は、自分の利益だけで政策を展開しているようにしか見えないのである。
オリンピックの政治利用の話が少しずれてしまった。
ま、たかがオリンピックである。これまでも、オリンピックを政治利用した国はたくさんある。かつてのナチス・ドイツ、モスクワ五輪をボイコットした米国を始めとした国々。国内経済のてこ入れに使った日本。
だが、個人の宣伝のためにオリンピックを利用した政治家がいたか?
韓国とは、近くて遠い国である。
何となく今回は舌足らずだなあ。
ごめん!