2018
01.24

2018年1月24日 雪

らかす日誌

一昨夜、桐生はそこそこの雪だった。夜11時頃、事務所兼寝室の窓を開けるとすでに降り止んでいたが、目の前にあるカーポートの屋根に分厚く雪が積もっていた。悪戯心が出てデスクから30cm物差しを出して測ったみたら20cmほどあった。
皆様の地方の雪はいかがだったろうか?

昨日は朝から雪かきである。郵便屋さんやクロネコヤマトやいろんな人が玄関までやってくるだろうし、ひょっとしたら我が妻女殿が外にお出になるかも知れない。足元が分厚い雪ではその方々が転ぶ危険がある。そんな老婆心からの労働奉仕であった。

そうそう、話は少しそれるが、母の葬儀で大牟田に戻り、駆けつけてくれた従兄弟と話していて、

「なるほど」

と思ったことがある。その従兄弟の母君は我が母の姉で、確か90歳前後で亡くなった。自宅で脳卒中になって入院。はじめは立つこともできなかったが幸い回復し、何とか歩けるようになったかと皆が思った時、病院で転けて大腿骨を折った。それをきっかけに惚けが進み、体力も急速に衰えて亡くなったのだという。
我が母もそうだった。自宅のトイレで脳梗塞を起こして倒れ、入院。これも回復して

「間もなく退院か」

というころ、病院のトイレに自力で行こうとして転け、同じように大腿骨骨折。そのまま入院を続けたが、医者は

「お年もお年ですので、骨折の手術はしない方がいい」

というのでそのまま寝たっきりになり、やがて頭がぼけて私の顔も分からなくなり、そのまま身罷った。
つまり、高齢者には

骨折

は、死出の旅の引き金になるケースが多いらしいのである。
昨朝、私が除雪の労働奉仕を思い立ったのは、そんな記憶があったからだ。我が妻女殿はすでに右も左も大腿骨を折られておる。この上雪で滑って骨折—入院、なんてことになったら、私より先に義理の母(つまり私の母)を追いかけることになりかねないではないか。
ま、ご本人は私が除雪作業をしていることは多分ご存じであったとは思うが、何故か一切外にお出にならず、そのためか、私への感謝のお言葉もなかった。
世の中は、というか、我が家庭は、そのようなものである。

で、その除雪作業だ。
最初はスコップを持ちだした。軽い雪で、駐車場にたまった雪を、サクサクと道路にはね飛ばしながら、

「いや、これはいかん」

と思い直した。
スコップで雪を撥ねると、どうしても少しばかり雪が残る。それがたちまちのうちに氷となり、その場に張り付くのである。
寒冷地で危ないのは、積もった雪ではなく、雪が氷に変わった道である。積もった雪なら、注意しながら歩けば滑ることはまずない。しかし、それが押し固められて氷に変身すると危険この上ない滑走路となる。
我が家の安全を確保しようとスコップを持ちだしたが、究極の安全を図るにはスコップではいけない。

私は融雪に打って出た。水で雪を溶かしてしまおうというのである。

「えっ、水を流して? もったいない! 資源は大切にしなければ」

などというなかれ。
この季節、どこにも水不足はない。渇水の夏なら雪を溶かすのに水を使うことには抵抗があるが(もっとも、渇水の夏に雪はないのだが)、この季節、我が家の一部に降り積もった雪を溶かすぐらいの水を使って何が悪かろう? 使った水も、いずれは雲になり、雨や雪になって再び水道水になるのである。水道代だって、10円か20円余分にかかるだけではないか。

凍り付いて水が出なくなっていた屋外の水道にお湯をかけて溶かし、ホースを繋いで勢いよく水を雪にぶっかけたのであった。

しかし、敵も然る者で、外気温は多分0度前後。雪は当然零下。かける水は水道が凍っていたほどだからギリギリまで冷やされている。この3条件が揃うと、なかなか溶けないのである、雪が。
仕方なく、水の勢いで駐車場の雪を道路に押し出す。玄関に繋がる階段の雪をはね飛ばす。そこからまでの踏み石に積もった雪を、これは仕方なく溶けるまで水をかける。

終わると、次は車である。こいつにも20㎝ほどの雪が被さっている。スコップなど器具を使って雪下ろしをすれば、勢い余って車の塗装を傷つけかねない。こいつも水で対処するに越したことはない。
屋根から、ボンネット、窓、トランク……。

作業は1時間ほどで終わったが、軍手をしていたにもかかわらず、私の両手は寒さですっかりかじかんでいた。家に入り、FFストーブから吹き出す温風で暖めたのはいうまでもない。

昼過ぎ、玄関から外に出た。朝は真っ白だった自宅前の道路から、雪がほとんどなくなっていた。だれも除雪作業などしていなかったから、上がった気温で溶けてしまったらしい。

そうか、俺、今日の午前中はどこにも出かける予定はなかったなあ。ということは、この時間まで待っていれば、除雪作業なんて必要なかったのかなあ……。


ところで。
このところ、コンパスにこだわっている。磁石のコンパスではない。ぐるっと円を描くコンパスである。
きっかけは瑛太の算数だ。教えるのに、図形問題ではコンパスを使って作図することが多い。そこでコンパスを入手したのが1年ほど前だと考えて欲しい。買ったのは、小学生が使うようなコンパスである。

ところが、なのだ。ろくなものではなかった。
コンパスは、2本の足の根本がねじで留められ、足が開いたり閉じたりするようになっている。そうしなければ円の大小を描き分けることができない。その部分の作りが甘いのである。半径1㎝の円を描きたいのに、丁度1㎝の円がなかなか描けない。この留め具の部分が緩くてグラグラするのだ。そのため、定規で1㎝に開いたコンパスを紙の上に持っていき、円を描こうとすると、わずかに小さい円、大きな円になってしまう。同じ円を2つ描くと、ホンの少し大きさの違う縁になってしまう。

「ああ、これ、スーパーで買った安物だもんな」

そう思って、いろいろなところで買ってみた。市内の文具店、前橋の紀伊国屋、太田のジョイフル本田、川崎ラゾーナの丸善。
どれもこれもダメなのだ。ひどいのになると、定規に当てて1㎝を出そうとしても、留め具の部分がグラグラでなかなか1㎝にならない。1㎝にしたはずが、力を抜くと少し戻って1.何㎝になってしまう。

Amazonで買ってみた。算数の道具なのである。製図をするわけではない。数千円もするような高級品はお呼びでない。せいぜい1000円が限度である。

良さそうだな、と買ったのは

STAEDTLER

という、ドイツ製である。最初は正確性を重視して、1200円ほどのもを選んだ。
なるほど、これは正確である。なにしろ、足の開閉をねじで調節する。足の開き具合をこれほど正確に決められるコンパスは、これまで使ったことがなかった。
が、使ってみると欠陥も見えてくる。
使いにくいのだ。
算数の道具なのである。右手で持って足の開き具合をチャッチャッと決めて円を描きたい。ところがこいつは、そう簡単にはいかない。左手で持ち、定規に当て、右手で少しずつねじを回す。だから正確になるのだが、半径1㎝の円に続いて2㎝の円を描こうとすると、再び両手で持って慎重にねじを回さねばならない。

これは急場の間に合わない。
そう見切って、次は同じメーカーのスクールコンパスを買った。578円。うん、これはいい。さすがに専門メーカーである。留め具の部分がグラグラすることもなく、実に正確に、同じ半径の円がいくつも描ける。弱点は、紙に線を描くものが鉛筆の芯ほどの太さの、特殊な替え芯であることだ。太いから、しばらく使えば先が丸まり、磨がねばならぬ。0.5㎜の替え芯がセットできれば、そんな手間が省けるのに、惜しいことである。
ちなみに、例のねじ式のコンパスには、0.5㎜の替え芯が使える付属品(価格は別)がある。これをスクールコンパスで使えれば理想的なのだが、なぜか使えない。

で、しばらく使っているうちに、もう一つの欠陥が見えてきた。円の中心を決める針が、尖っていないのだ。先が丸い。だから、紙の上で円を描こうとすると、時々滑ってしまう。仕方なく、この針をやすりで削って尖らせた。
こうして加工したコンパスの一つは、横浜の瑛太の元にある。瑛太にはたくさんコンパスを使い、図形になれてもらわねばならぬ。
もう一つは、私が自分で使っている。瑛太に図形を教えるためである。今のところ、芯の問題を除けばすこぶる調子がよい。

たかがコンパス、されどコンパス。
なかでも、小学生用のコンパスは、はじめて図形の不思議さ、図形を描き、理解し、図形の面白さに目覚めるはずの子どもたちが使う大事な道具である。図形の理解は正確な図から始まる。メーカーは子どもたちの未来にいま少し気を遣って製品を作っていただきたいものである。