04.15
2018年4月15日 不覚
朝から頭が冴えない。いや、冴えないのは常日頃だから、正確にはより冴えない。ボンヤリしている。どうやら、軽い風邪を引いたらしい。
原因と思われるのは昨夜、つまらぬ飲み屋で開かれた会合である。とにかく、ここの食事は不味い。素材の選択だけでなく、その処理にもかなりの問題がある。出された料理を口に運び、思わず
「しょっぱい!」
と口にしそうになった。
家庭での料理より、塩気をやや強くするのが料理店の鉄則である。人間の舌は、慣れ親しんだ塩気よりやや強い塩気に美味さを感じるように出来ている。それが高じて塩分の録りすぎになるのだが、これは別の話である。
その程度の理解はある私の舌にも、塩気が強すぎた。料理人の腕が悪い。
最後に寿司が出てきた。一つだけ口に運んで、残りには手をつけなかった。
「これが寿司?」
といいたくなるほどご飯が硬く握ってある。口に含むとほどける、なんていうのではなく、ややオーバーにいえば、口に含むためにかみ切らねばならない硬さである。力自慢が握ったのであろうか。
こんなものを寿司と呼ぶのは、ちゃんとした寿司職人に失礼である。ガチガチに硬く握ったおにぎりに魚の切れ端が載っかった食べ物、とでもいえばよかろうか。
ために、2個目以降には手もつけなかった。
あー、いや、だから私が風邪を引いたのではないと思う。食事から風邪がうつることもままあるかも知れないが、出された食事に風邪の菌がついていたかどうかなど、私に分かるはずはない。
原因と思われるのは、むしろ宴席が終わってからの私の行動である。
午後5時に始まった宴席は、7時を過ぎるとお開きになった。早い。2次会にも誘われたが、最近の私は2次会には出ない。家に戻って映画を鑑賞する、が私の最近のスタイルである。
「私、呑んでないので送りましょうか」
と親切にいってくださる方もあった。しかし、まだ7時過ぎである。車で送り届けられるには早すぎる。
それに、最近の私には心配事が一つある。運動不足である。歩かないので、足が弱ってきた。
「いや、早いから歩きますわ。ありがとうございます」
実は来る時も歩いてきた。30分ほどの道のりである。宴会が9時を過ぎるようなことがあれば胃袋に納めた酒の量もかなりになっているので歩いて帰るのは危険だが、なーに、まだ7時ではないか。たいして酔ってはいない。来る時と同じように歩いた方が身体にいいはずである。
かくして私は、自宅への道を歩き始めたのであった。
桐生にお住まいの方には常識であるが、私が今住まう住宅団地桐陽台は、小高い丘を整地して出来たものである。我が家は、その最も高い一画にある。つまり、戻り道はかなり急な坂道が続く。
宴会のあった寿司屋から歩き始め、桐生川を越すと、道はそろそろ上りにかかる。傾斜は緩いのでずんずん歩く。そこから右に曲がると一度下り道になり、橋を渡り終えるといよいよ急坂の始まりである。
急坂を途中まで歩いて、やや後悔した。
「送ってもらった方が良かったかな」
だが、いまさら電話で
「と言う訳なんですが」
などとお願いしては男が廃る。
我が妻女殿が運転免許を持っていらっしゃったら
「ちょっとお願い」
と電話することも出来る。しかし、我が家で車を操ることが出来るのは私だけである。
つまり、私が助けを求めうる先はどこにもない。いま、この場で頼りになるのは己の両足だけである。
意を決して歩き続けた。70段ほどもある階段の下までたどり着いて一休みした。半端でない量の汗が噴き出し始めたからである。ポケットからタオルハンカチを取り出して拭く。拭き終わって、目の前に或る階段を上り始める。
1、2,3……、25、26,27……、59、60,61……。
一人で階段を上ると、何故か頭の中で段数を数えてしまう。私だけの癖なのか。多くの人が私と同じように数えてしまうのか。
さすがに階段はきつい。途中でもう一度休憩を取り、何とか我が家にたどり着いた時は全身汗だらけだった。
居間のリクライニングチェアにどっかりと腰を下ろす。汗が噴き出す。ジャケットは歩きながら脱いだから、今度はセーターを脱ぐ。それでも暑い。シャツの袖をまくり、前のボタンを外し、下着のシャツをたぐり挙げて汗をぬぐい、
「暑い!」
と掃き出し窓を開けて外気を取り入れた。
汗が引っ込み、パジャマに着替え、窓を閉めたのは1時間後である。その間、濡れた下着、シャツを身につけたまま、私は映画鑑賞をしていた。
2本見終えて布団に入ったのは、確か11時半頃。少し本を読んで寝た。
そして今朝である。8時頃目覚めたたら、重いのだ、頭が。
「おかしいな、昨日はたいして呑んでいない。だから歩いて戻ってきた。なのに、どうしてこんなに頭が重い? 気分が優れない? 俺、そんなに酒に弱くなったか?」
と思いながら午前中を過ごし、午後になってハッと気がついた。
「そうか、風邪か。汗かいたからな」
何となくそれで納得してしまう私である。情けない。
しかしなあ、あの程度で風邪を引くか。年中鼻をグシュグシュさせている桐生のO氏を
「あなたも年だね。年甲斐もなく、まだ若いと勘違いして無茶するからしょっちゅう風邪を引くんだよ」
とからかい続けてきたが、私もからかえない年齢になったということか。
情けない。ああ、ホントに情けない。
ところで。
安倍政権もそろそろ末期である。
なくなったはずの文書が、あっちからもこっちからも出てくる。まあ、あの文書で安倍首相本人が加計学園や森友学園の問題にタッチしていたかどうかは断定できないが、少なくとも、周りから見放され始めたことだけはうかがえる。
「安倍を引きずり下ろす絶好の機会だ」
と腕まくりしているのは霞ヶ関の官僚たちである。
いろいろな報道によると、安倍首相は霞ヶ関の官僚を信用せず、何かと引きずり回してきたらしい。引きずり回され、官僚としてのプライドを傷つけられ続けてきた連中である。その安倍政権にごまをすり、いいポストを手に入れた省内の裏切り者への恨みもある。
「いつかは倍返ししてやる」
と策を練っていたに違いない。だから、
「我が省にも文書が保管されていました」
と次々に出てくる。安倍政権を守ろうと思えば、絶対にしないことである。
ここまできたら、凌ぎきれないんだろうなあ、安部首相。
一足先に
ご愁傷様
といっておくか。
しかし、民進党、立憲民主党、つまり、もともの民主党の連中が安倍首相を責め続けるのには違和感がある。お前ら、天につばする、って言葉を知っているのか?
いま安倍首相に起きていることは、この間、政治家連中が馬鹿の一つ覚えのように唱えてきた
政治主導
のなれの果てである。政治主導とは、すべてを政治家が判断して官僚を引きずり回すことだ。
政治に主導権を取り戻さなければ日本はダメになる、と唱えたのは、政権を取った民主党じゃなかったっけ?
まあ、ドジョウは財務大臣時代、財務省の官僚に丸め込まれて情けない姿をさらしたが、アホ菅などは官僚ばかりか、民間企業である東京電力のトップも怒鳴り散らしていたモンね。いや、農水官僚の言いぐさを、そのまま自分の言葉にした農水大臣もいたな。
そんな主張を繰り返してきた連中に、安倍首相の政治手法を攻める資格があるのか? と私などは考えてしまう。民主党が唱えて徹底できなかった政治主導を、彼ら以上に徹底したのが安倍内閣ではなかったか?
官僚とは有能な連中である。日本の頭脳の粋が集まった集団である。しかも、彼らには歴史がある。国内政策も外交政策も、彼らの組織の中で歴史が作られ、保存される。彼らなしには政治も行政も出来ないことは明白な事実である。
それに対して政治家は、それほどの蓄積を持つものではない。政治家個人で優秀な人間を集めても、政党で雇用しても、霞ヶ関の官僚集団に比べれば月にスッポンの頭脳集団にしかならない。無責任に
政治主導
などと格好いいことをいっていた連中はその明白な事実を理解できない馬鹿者どもなのだ。
政治家が出すべき知恵は、官僚組織の使い方なのである。
政治家が官僚に優れているのは、常に国民と接していることである。官僚は日常を役所の中で過ごすからそれができない。だから政治家には、国民目線で官僚組織を御していく能力が求められるのである。
安倍首相はその知恵がなく、民主党の青二才と同じに、自分のやるべきことは官僚を使うことではなく、振り回すことだと誤解した。いまそのしっぺ返しを受けているのである。
ちょいと堅い話になった。風邪を引き、常よりボンヤリ度が増した頭ではこれ以上の展開は出来そうにない。
いずれまた、もし私の頭がはっきりするような奇跡が起きれば、再びこの問題を考えるかも知れないが、今日はこのあたりとする。