04.25
2018年4月25日 韓国
一連の出来事を見ていて、韓国とは実にかわいそうな国であると思う。
国を率いる、あるいは率いた大統領が次々と刑事訴追される。それだけでも異様である。
国の経済を率いる財閥企業に次々と不祥事が起きる。不祥事が起きてもこれから社会に出ようという若者たちは財閥企業への就職を競う。財閥企業が社会的地位と豊かな暮らしを補償してくれるからである。
いずれ罪人になる人物しか国のトップに選び得ない。
人として許されぬ振る舞いをするトップたちが率いる企業に入ることにしか夢を描き得ない。
それだけでも充分不幸なのに、国のトップと経済界のトップがよしみを通じ合い、不埒な振る舞いを繰り返す。いま、韓国とはそのような国である。
従軍慰安婦像の問題や竹島問題は、そのような不幸な国で何とか統一を保とうという試みに過ぎないのであろう。国として約束したことを、政権が変わったからといって反故にすることも辞さない恥知らず振りも、その一つであると解釈すれば、それなりに筋が通る。
日本は明治維新で政権が一変した後、江戸幕府が押しつけられた不平等条約の改訂に長い時間と膨大な努力を払った。鹿鳴館なるものをこしらえ、チビでO脚のちんちくりんな体躯にフロックコート、西洋風ドレスをまとい、
「日本も先進文明国に仲間入りしたのだ」
と演じ続けたのも、なんとか不平等条約を改定しようとの涙ぐましい試みだった。韓国はそのような努力をすっ飛ばそうとする。良識を備えた先進国に成長するには、まだまだかなりの時間がかかるはずである。
と考えてきて、ふと疑問を持った。
韓国は、なぜ今のような韓国になったのだろう?
国や民族、歴史、文化など、様々なものが違うとはいえ、人間なんてもとはたいして違わない。それなのに、なぜ韓国は今の韓国になったのか? 我々と何が違っているのか?
書きながら考えて、一つのことに思い当たった。
不平等条約を改訂する努力は別として、日本も明治維新以来、今の韓国と同じような国造りを目指したのではなかったか?
封建社会から一気に近代国家への脱皮を試みた明治政府は、富国強兵を国是とした。近代国家になるには金がかかる。日本の産品をどんどん輸出して金を稼ぎ、軍備を増強し、インフラを充実する。富国強兵とはあからさまにいってしまえばそれだけのことで、時の主要輸出品は絹と銅。絹と絹織物の一大産地であり、すぐ隣に足尾銅山を抱えて渡良瀬川の汚染に苦しんだ群馬県は、明治政府からすれば頼りになる優等生であった。
話を本道に戻す。
明治時代以来、日本でも政治と経済は癒着の度が高かった。まず政府が税金を使い、産業を興す。ものになりそうになったら民間に払い下げる。足尾銅山もそうだし、官営八幡製鉄所もそうだ。歴史の教科書に出てくる「北海道開拓使官有物払い下げ事件」は冤罪との見方もあるが、これをきっかけに政変が起こり、大隈重信が政府から追放された。三井、三菱、住友など、日本の「財閥」と言われるグループは、いずれも政府と癒着して経営基盤を創ったともいえる。テーブルの下で多額の金銭が行き来したであろうことは想像に難くない。
いや、私は一概にそれを断罪するつもりはない。遅れて近代国家への道を走り始めた国が先進国に追いつくには、最も効率的な経済振興策を採用しなければならない。それが政治と経済が一体となることであり、民間に豊富な資金がない以上、まず国が税金を投入して産業基盤を築き、軌道に乗った段階で民間に譲り渡すというのは、合理的であったとも考える。
ただ、この促成栽培には強い副作用が伴う。それが財閥の誕生であり、国民の経済格差である。これ、いまの韓国とそっくりではないか?
確かに、お縄になった日本の総理大臣、元総理大臣は戦後の田中角栄、芦田均程度である。しかも、田中角栄は上告中に死亡しているし、芦田均は裁判で無罪になっている。しかも、いずれも戦後の話である。韓国とは違うともいえる。
だが、政治が腐敗しているとの指摘は数多くあった。社会の構造からして、財閥との癒着が起きやすかった以上、腐敗はあったはずで、当時の政治構造の中で刑事訴追されなかったに過ぎない。
優秀と言われた人材は官に入り、民では財閥企業に吸収された。所得格差もかなりあったはずである。
つまり、今の韓国とそっくり社会構造が日本にもあった。
日本を変えたのは敗戦だった。それが私の仮説である。戦争に負けた日本はアメリカの占領を受け、社会構造をガラガラと変えられた。財閥が解体されたのもその一つである。そのため、国の経済の8割を財閥企業が担う、などという不健全な構造がなくなった。独占禁止法が施行され、一企業による市場支配も排除された。それがいまの日本と韓国の違いをもたらしているのではないだろうか。
もちろん、今でも癒着はある。財務省の問題で記憶がよみがえったが、当時の大蔵省の官僚が金融機関から「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されていたし、今問題になっている森友学園、加計学園の事件もある。だが、いずれもちんけである。官僚が民と癒着して手にした果実が「ノーパンしゃぶしゃぶ」。森友学園も加計学園も経済の世界では小物である。もし安倍首相が彼らと癒着していたとしたら、安倍首相はその程度の小物に過ぎない。
「器の小さい男だね」
と笑い飛ばせば済む。
一方の韓国の国造りは、戦後始まった。明治時代に日本と同じで、最も効率的な国造りを試み、結果として財閥を育ててしまった。
責任の一半は日本にある。1945年まで植民地として支配したため、韓国が国造りを始める時期が遅れてしまった。
あとの半分の責任は韓国にある。明治維新を成功させた日本は、何度も韓国の近代化を促した。もちろん、韓国の為を思ってではない。韓国が近代国家として自立してくれないことには、対ロシア防衛が難しいと考えたためだ。だが、韓国(当時は李氏朝鮮)は腰を上げなかった。あの時腰を上げていれば、いまの情けない国にはなっていなかったのではないか。
遅れて国造りを始めた韓国は、敗戦日本のような社会構造を一変させる機会に恵まれなかった。だから、社会構造は戦前の日本と同じなのである。
外からのショックがなくて、韓国は財閥支配という副作用の治療が出来るのか。それなしでは、世界が認める先進国になるのは難しいと思うのだが。
いや、私は韓国民ではない。だから、韓国がこのあとどうなるかに責任はないし、打つべき手もない。
だが、ならず者国家と言われる北朝鮮との窓口を大きく開けようとしているのは韓国である。その行方は我々に影響しかねない。
「大丈夫か、韓国?」
大韓航空のパワハラ騒ぎを見ながらそんな思いにとらわれた。
しかし、だ。あのパワハラお化けどもは、密輸まがいのことまでやっていたらしい。フリーパスで通関していたというから、これは大韓航空と政府職員の癒着がベースになければ出来ないことである。容易に想像できるのは贈収賄。末端の職員だけ? 上級職員、閣僚も? ひょっとしたら一番上にいる……?
韓国。かわいそうな国である。