2018
05.15

2018年5月15日 日本衰亡

らかす日誌

とある就職試験の話である。

ペーパーテストが優秀で、最終選考である面接に残った男性がいた。面接官の質問にも明瞭に答える。なかなかいいんじゃないか?
さて、質問する項目もほぼ尽きた。この子、採用してもいいかな? と面接官が考え始めた時だった。その男性がいった。

「一つだけ、私から質問させていただいてよろしいでしょうか」

ほう、面接を受けに来て逆に質問するのか。

「なかなか意欲的な子じゃないか」

と考えた面接官は

「はい、何でもどうぞ。何でも聞いて下さい」

と促した。男性はいった。

「御社では、仕事に失敗したら,やっぱり叱られるのでしょうか?」

ん? 仕事に失敗したら叱られるか? この子、何が聞きたいのだろう?

「いえ、私は叱られることに慣れておりません。できれば、叱られる会社は避けたいと思っていますので」

その面接官が何と答えたのかは、遺憾ながら不明である。不明だが、想像するに、言葉を失ったのではないか。


「という話を聞いたのよ。大道さん、どう思う?」

と私に問いかけたのは、知り合いの社長夫人である。あ、単なる婦人ではなくて、副社長も務める婦人である。コーヒーを飲みながら

「あなたの会社、もっと大きくしなさいよ。それが桐生の衰退を食い止める最大の手段なんだから」

と話していたら、

「大きくしたいのよ。だから社員を採用しようとネットの求人サイトにも、毎月25万円も払って求人をかけてるのに、一人も来ない。聞いたら、営業職って嫌われるんだって。だから困ってるのよ」

という答が戻ってきて、最近の若者は何故営業職を嫌うのか、に話が発展、

「いまの若い連中は人付き合いが苦手なのかね? 人と付き合うことに人生の面白さはあると思うのだけど、何を嫌がってるんだろう?」

という私のコメントに、彼女が

「それもあるだろうけど、どうやら責任をとるのが嫌、ということらしいのね。営業って、うまく行ったか行かなかったかがはっきりするじゃない。うまく行けばいいけど、うまく行かなかったら責任を取らされる。それが負担だ、というのよ」

と答え、

「そういえば、ね」

と、冒頭の話を紹介してくれた。

叱られる。悪いことをすれば、あるいは仕事に失敗すれば、多かれ少なかれ、何らかの叱責は受けざるを得ない。それがひとつのけじめの付け方でもあり、OJT(On The Job Training)でもある。
失敗にとりあえずけじめをつけ、いつまでも引きずらない。失敗から教訓を学んで次の仕事に取り組む。社会がどう変わろうが、人が成長する、成長したいと願う生き物であり、成長するには前を行く人から多くのものを学び取ることである限り、それが常識であると思っていた。

それなのに、叱られるにの慣れていない?

急に老け込むようでいやだが、これにはこういわざるを得ない。

今の若い奴ら、いったい何を考えているんだ!?

それからしばらくの間、この問題を話しあった。
考えてみれば、今の世は、親だけでなくジジババまでが子供の小学校、中学校に始まり、高校、大学の入学式、卒業式は言うに及ばず、入社式にまで立ち会う時代である。どこかで歯車が狂った社会だ。そんな子供たちは反抗期も経験せず、だから家の中では叱られたことがないのかも知れない。
茶碗を割っても、ボールを人にぶつけても、ひょっとしてカッターナイフで友人を切り刻んでも、真面目に塾に通ってトップクラスの成績を取り続ければ、

「ああ、いいよ、いいよ。お前は頭が良くて優秀だ。他の子とは違う。好きなようにしなさい。お前が好きなことをするのが私たちは一番幸せなんだから」

と褒めそやされる。それが高校、大学と進むにつれて、教師や友人から

「お前、何やってるんだ!」

とお小言をいただく。親にもジジババにも叱られたことがないのに、なんだこいつら! と不快感を抱く。
とでも考えないと、

叱られるのに慣れていませんから

という言葉は理解しがたい。
トンでもないエイリアンが、今の日本に生まれつつあるということか。

エイリアンが1人だけなら心配することもなかろう。侵略された我々が手を取り合えば排除することが出来る。退治できないエイリアンは、映画の世界にだって少ない。
しかし、桐生という地方都市に住む私が、桐生という地方都市に住んで会社経営をする副社長から聞いたのである。人口規模だけから考えれば、全国に同種のエイリアンは少なくとも1000人はいる計算になる。1人なら何とでもなるだろうエイリアンも、1000人束になってかかってこられたら手こずる。悪くすれば日本の占領を許してしまう。エイリアンが振りまく病原菌で、健康な日本人がエイリアンの亜種になってしまう恐れだってある。

「いや、これは日本衰亡だね」

と私は言わざるを得なかった。

「叱られたくないということは、先輩諸氏から何も学びたくないということだからね。つまりこの男は、大学卒業までに身につけた知識、知恵、経験、人脈だけで終生生きていこうというわけだ。人生、大学までに学ぶことより、大学を出てから学び取ることの方がはるかに多い。こいつはピーターパンのまま棺桶に入ろうというのだから、成長や成熟を拒否しているわけで、こんなのが主流になったら、技術、文化、芸術、経済、スポーツ、政治、とにかく世の中のすべてのレベルがガクンと落ちる。間違いなく日本は滅亡する」

いやはや、恐ろしい近未来図である。
 

「今時の若い者は」

と最初に書き記して歴史に残したのは古代エジプト文明を生きた人だったという。だからだろう。このフレーズを口にするようになると

「お前、老けたんじゃない?」

と揶揄される。
だが、だ。栄耀栄華を誇った古代エジプト文明は歴史の中で滅亡したのだ。この嘆きは、未来を見通した慧眼の士の嘆きだったのである。日本にも同じ未来が控えてはいないか?

取り越し苦労であってくれればいいと願うのみである。