2018
05.14

2018年5月14日 暇

らかす日誌

よせばいいのに、週末は2日とも終日仕事をしてしまった。ある会社に頼まれ、Web用の原稿を書きためているのだが、金曜日、

「ホームページの用意が出来ましたので、そろそろ原稿を下さい」

といわれ、それではと最終チェックをしたのである。1日だけで終わるかと思ったが、何と昨夕までかかってしまった。すべてを読み返し、

「もっといい表現はないか」

「イメージがより鮮明になるには」

「読む人にはここで引っかかって欲しいのだが、どう書けばいい?」

などと考え出すと、時間などいくらあっても足りない。原稿を書くとはそのような作業である。

加えて、いまのホームページは、モバイルで読む人も多い。多くはスマホである。パソコンで読んでもらうのなら多少長い原稿でもいいが、スマホで読むとなると、どの程度の字数が適切なのか。
あれこれ考えて、書きためていた原稿をすべて2分した。1回当たり1300字〜1700字程度で書いていたものを、600字〜800字程度に分けたのである。1回分がこの程度なら、スマホでも読みやすくなるだろう、と考えてのことだ。おかげで、事前には18本あった原稿が36本になった。週に1回アップするとして、36週、約8ヶ月分である。

いや、もっともっと考えなければならないことがある。まず写真である。今のホームページは写真がなければインパクトがない(「らかす」には写真が少ない。お許し願いたい)。さて、毎回の原稿にどんな写真をつけたら良かろう?
それに、アップ作業は他の人がやるらしい。となると、文字の見せ方も考えなければならない。まさか「らかす」のように、フォントを大きくしたり、文字の色を変えたりすることはなかろうが、強調したい文節はどう現すか。強調したい文節を、アップ作業をすル人に伝える方法はどうするか。

そんなこんなで、土日は机にへばりつき、ひたすら働いた。平日以上の働きぶりである。

それは褒めてやっても良い。だが、一つだけ計算間違いをしていたらしい。
日曜日の次には月曜日、平日が来るという当たり前のことを忘却していた。

「早く完成原稿にしなければ」

しか頭にない私は、

「休日に仕事をしたら、平日はどう過ごすのか?」

を考えなかったのである。
そう、ために本日は暇である。どうしようもなく暇である。暇なら他のことに頭を切り換えて遊べばいいのだろうが、私には

「平日は仕事をする日である」

という強迫観念があるらしい。暇なのに、気分がちっとも浮き立たないのだ。本を読もうという気にもならないし、だったら昼間から映画を見ようかとも考えない。時間をもてあまし、ただ何となく机の前に座り、パソコンを眺めている……。

私も間もなく69歳。残り時間が目に見えだした。ボーッとしている時間はもったいないとは思うのだが、思っても頭が切り替わらないところが情けないところである。明日はどうしよう?


このところ、「らかす」に書く原稿のねた不足に困っている。ちっとも思いつかない。ひょっとして、私の中身はもう、すべてさらけ出してしまったのか? 俺って、これまで書いてきた程度の中身しかない人間だったのか? とは思うが、何ともならない。

いや、これではいけない。ひょっとすると、「らかす」の新しい原稿を心待ちにして下さっている読者もいらっしゃるのではないか。
そんな焦りに駆られて、昨日は映画を書こうかと挑んでみた。

もうひとりのシェイクスピア(ANONYMOUS)

というイギリス映画である。この1ヶ月ほどの間に見た映画のNo.1。これなら紹介しても良かろう? 「シネマらかす」を復活するか?

挫折した。書けないのである。両手の指がキーボードの上で止まってしまう。
さて、私はこの映画の何を大きく評価したのか? どうしてこの映画に「金賞」(私は今、見た映画を金、銀、赤、青に区別している。金と銀が保管すべき映画で、赤と青は押し入れにしまい込む映画である)を与えたのか?
映画を書く際の決め手になるところが、ちっとも頭に浮かんでこないのである。ただ

「面白い映画だったな」

という記憶が残るだけ。
面白いものを

「面白い」

というだけでは、文章失格である。自分が面白いと思ったことを、文章を読む人にも納得してもらえるように書かなければ文章にする必要はない。その肝心の所が、頭の中でまとまらないのだ。

シェイクスピアには昔から、別人説が根強くある。この映画は、シェイクスピアの作品といわれているものは、実はオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアが書いたもの。貴族が演劇を書けば大スキャンダルになるため、あまり売れない劇作家に原稿を渡す。だが劇作家はプライドもあり、他人の原稿を自分の名前で世に出すことを躊躇する。そこに登場したのが、ウィリアム・シェイクスピアという、文字も書けない役者で、

「だったら俺が作家になってやるよ」

と実生活で劇作家を演じるのである。
そこに、エリザベス1世の恋が絡み、出産があり、エリザベスの後継者選びという政治もくっついて複雑な人間模様が展開される……。

オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアというのは実在の人物らしい。だからだろうか、実に練り上げられたシナリオで、一人一人の人物造形にも深みがあって、

「なるほど。歴史家のいうことより、こちらの方が本当ではないか」

と思わせるところが面白さなのだろう。

ま、いま書けるのはこの程度の銅でもいい話、でしかない。ね、読んでも面白くないでしょ? だから断念したのである。

にしても、だ。「シネマらかす」の原稿は毎週1本ずつアップしていた。原稿を書くためにビデオテープやブルーレイの映画をDVDに移し、パソコンで何度も見返しながら、ノートまで取って原稿にした。
あんなエネルギー、もう私の中に残っていないのかなあ。

昨日の私は、やや寂しい私であった。