2018
07.13

2018年7月13日 酒豪

らかす日誌

最近、なんだか酒に弱くなってきたような気がする。飲み会をやった翌朝が良くない。

11日は不定期で開いている勉強会だった。現役で立派な肩書きをお持ちの偉いさんばかり3人に、ろくな肩書きがない私が加わった4人で運営している。開始は午後4時が定例で、その時間に決めたのは、勉強をすることより、勉強後の飲み会の方に主眼があるためだと、私は勝手に考えている。

この日も午後4時に勉強会は始まった。その程度の参加意識しかない私だから、何を議論したかはこの際どうでもよい。午後5時半を回ろうかという時間には腰が定まらず、6時前にはいつもの小料理屋に座を移していた。

まずは生ビールで乾杯である。生ビールを大ジョッキで2杯呑んだところで日本酒に切り替えた。桐生の飲み屋は、地酒「赤城山」しか置いていない店が多く、この店もその類だが、私が

「赤城山は不味い。嫌いだ。呑みたくない」

と、かつて大声で叫んだため、いまは別の酒も備えてくれている。この、ホンの少しの心遣いで、

「次もこの店にしよう」

ということになる。

11日も暑かった。生ビール2杯でお腹が膨らんだ私は、次は日本酒にしようと思ったのだが、迷ったのは飲み方である。常温で呑むか、それとも少し温めるか。
夏場の日本酒なら、きりっと冷やすのが通かも知れない。だが、さすがにこの小料理屋はそこまでの準備はない。では常温か?
私は、赤ワインは常温で呑むくせに、常温の日本酒はあまり好きではない。新潟・魚沼の酒「湊屋藤助」ならキリリと冷やさないと本来の味が出ないが、他の酒ならむしろ燗を好む。だが、この暑さの中で燗酒か?

迷ったが、暑さよりも味を取った。

「ぬる燗にしてね」

やってきたぬる燗の酒は3合。同席の一人が

「おっ、この季節でも燗酒はやっぱりいいですね」

とおっしゃった。確かに、美味い。

その美味さが災いする。3合ずつの給仕が、さて何回繰り返されたか。3回では足りなかった記憶があるから、

「大道さん、もう一ついきますか」

と同席の士に念を押されて

「いきましょうよ」

と声を揚げたのは4回目か、それとも5回目だったか。

4人のうち一人は下戸である。全く酒が飲めない。この日は

「割り勘負けしないように」

と一人、特別料理として確かオムレツを召し上がっていた。
それはどうでもいいが、4回だとすると一人4合、5回とすれば5合である。私は飲むピッチが速いから、ひょっとしたら一人で6合近く飲んだのかも知れない。ま、それだけ気持ちよく飲める飲み会でもあり、杯を口に運ぶ作業が楽しいのである。

9時頃に散会となり、運転代行を頼んで帰宅した。まだ時間が早かったので映画を1本鑑賞、12時前に布団に入った。

そして翌日。
朝から何となく気分が優れない。頭がガンガン痛む二日酔いではないが、調子が出ない。昨夜は天井がグルグル回るほど飲んではおらず(絶頂期には、東京で呑んで、タクシーで帰宅して布団に入ったとたんに天井が回り出すことが何度もあった)、たいした量の酒は胃袋に入れていないはずだが、と頭では思う。だが、いくら頭で思っても、優れない気分がフッと晴れることはない。気力が出ず、何をするのも億劫で、原稿を書く気にも、算数を解く気にもならない。

「ああ、酒豪で知られた俺も、とうとうこんなになっちゃったか」

69歳とはそのような年齢であるらしい。

人はいうであろう。

「そんな思いをしても、やっぱり呑むの? 酒、やめたら」

私は答える。

「酒なくて何でおのれが桜かな」

そう、酒は人生の潤滑油である。500年も1000年も生きるわけではなし(ひょっとしたら、私だけは700年ぐらい生きる?)、楽しめる時に楽しんでおかねば空しいではないか。要は、戯れる酒の量を自分で調整すればいいことである。

と答えながら、もう一人の私は考えている。

「その、調整が一番難しいんだよなあ。飲み始めると気分が乗って、気分が乗ればますます飲んで、いつしか『調整しなきゃ』ってことをすっかり忘れる。そんな繰り返しだもんなあ」

賢く生きるだけが人生ではない。どこにも隙のない人間は魅力がない。間違いを犯さないのはロボットだけである。

というのは単なる言い訳か? 

次の飲み会は18日に予定されている。会場は11日と同じである。19日朝、私はまた一人反省しているのであろうか?