08.06
2018年8月6日 祭が、済んだ!
桐生の夏祭りが昨夜、終わった。ついでに夏も終わってくれれば好都合なのだが、今日も朝から暑い。
「なーに、あと1ヶ月の辛抱さ」
と己を励ますが、すぐに体内から
「まだ1ヶ月もあるんだぜ!」
という反論が戻ってくる。夏、まだまだ夏本番である。
桐生祇園祭のハイライトは、土曜日、今年は4日の夜に行われた鉾の曳き違いであろう。本町1丁目から6丁目までが交代で祭を仕切る「天王番」につき、今年は3丁目がその役割を引き受けた。だが、しきり役は交代しても、桐生にある鉾は3丁目の「翁鉾」と4丁目の「四丁目鉾」の2つだけである。「四丁目鉾」は3丁目に向かって、「翁鉾」は4丁目に向かって、多くの人に曳かれて大通りをしずしずと進み、行き違う。それが「鉾の曳き違い」である。あえていえば、たったそれだけのことに多くの見物客が詰めかける。
いや、たったそれだけのことというのは言い過ぎか。アイキャッチ画像でご理解いただけると思うが、2台の鉾は全高8メートルほどもある。150年ほどの時代を生き抜き、きらびやかに飾り立てられた巨大建築物が行き違うのはなかなかの壮観である。一昨夜も多く見物客が取り囲み、
「おーっ」
と声ならぬ声を発していた。
すれ違った鉾は,元の場所に戻らねばならない。だから、すれ違いは必ず2度あることは幼児でも分かる理である。ところが、マイクをお持ちになる方の解説は
「これから2度目の曳き違いです」
だと。見物客のために2度もすれ違ってみせるわけではあるまいし、どうせ戻らなきゃならないから必然的に2度目が起きるわけで、そこまで強調する必要があるか? それに、この祭最大の見せ場に、長々とした解説はうるさい、と思うのは私だけか?
ま、それはよい。今日書きたいのは祭の裏方についてである。
多くの人にとって、祭とは楽しみに行くものである。それ以上でも以下でもない。
夏の夜、夕涼みがてらに出かけてみるか。いや、今年は暑いから熱中症になるのが怖い。エアコンの効いた部屋で涼んでいるに越したことはない。その程度のものであろう。
だが、祭は企画し、実行する裏方さんがいて初めて開かれる。桐生祇園祭でいえば、今年の天王番を勤めた3丁目町会だけでなく、1丁目から6丁目までの役員、「若衆」と呼ばれる実働部隊が金を集め、数ヶ月前から準備を積み重ね、本番では動き回って祭を動かす。
身体が空いた時に休憩する場所を「会所」という。暑さに弱い私などは、カメラマンを依頼されたにもかかわらず、どうしても炎天下に出なければラない時を除いては出来るだけ会所に引きこもり、エアコンの冷気を楽しんでいた。
しかし、役員さんや若衆のメンバーはそうはいかない。
「俺の万歩計さあ、今日は2万歩越しちゃったよ」
「それはそれは。俺はまだ1万5000歩」
夕刻になると、会所でそんな会話が交わされた。1日に2万歩? まあよく歩いたね、で普通なら済む。済まなかったのは、今年の異常な暑さである。気象台が発表する最高気温は連日のように38℃を超した。ということは、アスファルトに囲まれた町中での体感気温は優に40℃を超す。その中での1万5000歩であり2万歩なのだ。
ぐったりした若衆(若衆も高齢化が進み、60歳を越えた人もかなりいる)に声をかける。
「大丈夫? まだ生きてる?」
いや、冗談ではない。素直にそんな言葉が口をついて出る暑さだったのだ。桐生の夏祭りでは恒例の子ども神輿、ジャンボパレードが、熱中症の危険を避けるため中止されたほどである。各地で今年の酷暑と闘っていらっしゃる皆さんにはご理解いただけるのではないかと思う。
その中で、60歳、70歳、人によっては80歳を越えた役員さんたちが
「俺、2万歩」
「俺、1万5000歩」
なのだ。こうなると、祭を動かすのも、死を賭して気力と体力の限界に挑戦するのと同じことになる。
サボりにサボり続けたカメラマンである私ですら、すっかり暑さにやられた。最終日の昨夜はすっかりへばり、8時には
「申し訳ない。あとは写真になるところも少ないだろうから、これで引き上げます」
と逃げ出した。
だから、暑さにげんなりしている役員さんを挑発してみた。
「これ、こんな暑さの中でやってたら、みんなそれなりの高齢なんだから死にますよ。夏祭りなんかやめちゃったらどうなのかなあ」
即座に答えが返ってきた。
「やめませんよ。これがまた楽しくて生きてるようなものだから」
400年に近い歴史を持つ桐生祇園祭は、こんな人たちが支えている。
そうそう、祭のこぼれ話を。
「俺が若衆の時さ」
と高齢の男性が話し始めた。会所での一幕である。
「事前に町内を回って寄付を募るだろ? 行ったのよ、俺も。そしたら、うちは祭とは関係ないから出さない、ってところがあった」
ふむ、町内が支える祭でも、町内は一枚岩ではないのか。
「何度掛け合ってもダメなんだ。だからね、何が起きても知りませんからね、って言い残して帰ったんだよ」
ま、それは仕方ないわな。泥棒するわけにも行かないだろうし。
「で、祭の本番さ。神輿をもむだろ。もみながらその家を前に行ったのよ。あそこには塀があった。で、金を出さなかったのはここだ、やっちまえ、ってことになって、な」
何をしたの?
「神輿をぶつけて塀を壊しちゃった」
!?
「数日後さ。その家の奥さんが来てね。このお金寄付しますから、来年の祭からはやさしきしてくださいって頭を下げるのよ」
いまなら器物損壊で警察沙汰か。あるいは、それも祭の楽しみ方の一つか。
祭とは感性の解放である、なんて誰か言わなかったかな?