09.17
2018年9月17日 何を書こう?
今年はカレンダーの具合が誠によろしくて、今週から3連休が続く。来週も3連休で、1週おいて10月6日からも3連休。皆様は何かの計画を立てて秋の行楽にお出かけになるのだろうか? それとも15日からの3連休で早くも楽しまれただろうか?
私の方はずっと引きこもりの3連休である。初日に何をしたのか、昨日はどう時間を費やしたのかはすでに忘却の彼方である。多分、たまったブルーレイの整理、横浜の瑛汰と一緒にがんばっている算数、あたりでバタバタしていたのではないか。そういえば、10月号の「中学への算数」を昨日やり終え、当面、解かねばならない算数の問題がなくなったので、土日は算数に力を入れたと見られる。
今日は目が醒めたら8時半だった。この年になって朝8時半まで目覚めないというのもどうかと思うが、まあ、最近寝付きが悪いので睡眠に陥る時間が遅れ、その分めざめも遅くなるのだろう。このままでは時間が後ろにずれて困るので、明日は睡眠時間が短くても早く起きねばと思っている。
というわけで、今日は1日が短かった。特にやらねばならないこともなかったのに、気がつくとすでに午後4時半を回っている。
「いかん。このままでは3連休というのに日誌を一つも書かないことになってしまう」
と焦りながらWordPressの編集画面を開けたのだが、さて、書くべきことがトンと思い浮かばない。
とりあえず連休の話を書くと、来週の(いや、すでに今週の、と書くべきか)の3連休にも予定はない。10月始めの3連休は横浜に行く。次女に出かける用件があるため、私は瑛汰を塾まで送り迎えする役回りである。瑛汰を塾に送り届けると、あとは璃子の遊び相手。
「ねえ、ボス、リカちゃんごっこしよう」
などといってくるから油断も隙も見せられない。69歳になったオヤジがリカちゃんの着せ替えなどに喜びを感じていては完全なる変質者である。手鎖をつけずに外に出してはご近所の、特にうら若き娘さんとそのご家族にとっては危険きわまりないことになる。私はリカちゃんからは逃げなければならないのである。
それで先日、璃子に
「何して遊ぶ?」
と電話をした。最初に飛び出してきたリカちゃんはリジェクトして、
「他の遊び」
と言い渡したら、工作がしたいという。璃子が今はまっているのは、キッチンにあるいろいろなもので工作をするキッチンクラフトである。
そういえば先日は石けんをつくらされた。いや、石けんをつくるといっても、苛性ソーダとオイルを混ぜて乾かすのではない。すでに石けんとして販売されているものをおろし金ですり下ろし、それに少量の水を混ぜ、そこにハーブやココアの粉を混ぜて固めるだけである。私はもっぱら、石けんのすり下ろし役を仰せつかった。
「ところで璃子、この間つくった石けんは使っているのか?」
と聞くと、新製品開発担当にでもなるのか
「んーん、まだ」
だって。璃子はつくることが楽しいのであって、出来てしまえば関心を失うらしい。こいつ、将来はリケジョの道を進んで、メーカーの新製品開発担当にでもなるのか。
そういえば、夜は久しぶりにいい映画に当たった。
レッド・バロン
というドイツ映画である。数日前から私の「ドイツ映画週間」が始まっており、その1本としてみた。
どうやら実話がもとになっているようで、舞台は第1次世界大戦中のドイツ。まだ複葉機の時代で、子どもの頃から飛行機に憧れた貴族の長男、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの生涯を追いかけたものだ。
空軍の英雄に憧れて戦闘機乗りになったリヒトホーフェンは、飛び抜けた戦闘機乗りだった。あこがれの英雄を上回る戦果を挙げ、やがてドイツ軍の守護神とまであがめ奉られるようになる。なにしろ、80機の敵機を撃墜したというのだから、比類ないパイロットだ。
だが、戦局は悪化の一途をたどり、リヒトホーフェンは最後の出撃に臨む。守護神の戦死を恐れたドイツ軍はしばらく前からリヒトホーフェンに地上勤務を命じており、恋人も
「行かないで」
と引き留めるのが、
「いや、私が守護神と崇められたことで戦意を書き立てられ、死地に臨んで戦死した仲間がたくさんいる。軍は私を利用した。これからも守護神として利用しようとしている。私はベルリンの思い通りにはならない。この闘いには出撃するしかない」
と説得して真っ赤に塗った愛機に乗り込むのである。
戦争映画である。複葉機がひらりひらりと舞いながら機銃を撃ち合う華々しい空中戦もたくさん出てくる。だが、これは反戦映画である。当初は空中戦をスポーツと捉え、技の競い合いで勝つことを目指したリヒトホーフェンは、闘う中で戦争のむなしさに気がつき始める。彼を導いたのは従軍看護婦の恋人だった。
「君が第3の目を開いてくれた」
といいのこして、闘う中では出撃するのだ。
自分が撃墜した敵機から敵のパイロットを救い出すシーンもある。空中戦はスポーツだから、勝敗がつけば後腐れはない。互いの健闘を称え合うだけというのがリヒトホーフェンの生き方なのだ。
この好敵手が漏らした一言でもリヒトホーフェンは変わる。
「この戦争? 親戚同士の内輪もめみたいなものさ。だって、国王連中はみんな血縁関係があるじゃないか。俺たちはあいつらの内輪もめに借り出されて闘ってるのさ」
貴族であるリヒトホーフェンにはその場では理解できない話だったかも知れない。だが、この好敵手の言葉はリヒトホーフェンに沈殿していく。やがて彼は戦争の即時停止を高官に訴えるようになる。
「何を言う。我々は大義があって闘っているのだ。停戦など出来るか!」
としかり飛ばす高官に、リヒトホーフェンは静かにいうのだ。
「イギリスにもフランスにもロシアにもアメリカにも大義があります。なぜ我々の大義の方が上にあるのですか」
こうした様々な思いを抱きながら、でもリヒトホーフェンは恋人を残し、出撃するのだ。そして撃墜される。25歳。
皆様にも是非ご覧いただきたい映画である。
なお、括弧でくるんだ台詞は私の記憶を頼りに書いたものである。映画の字幕通りではない。間違いもあるかも知れない。それだお断りしておく。