2018
10.14

2018年10月14日 あかり去る

らかす日誌

昨日の昼から丁度丸1日我が家に滞在したあかりが去った。いま私は気が抜けたビール時用対である。

昨日到着したあかりは、車の中でずっとお昼寝を続けてきたらしい。眠りから覚めたばかりのモヤモヤした心理状態で見知らぬ場所(といっても、我が家に来るのは初めてではないのだが、まだそのような記憶が残る年代ではない)に降り立ち、当初は警戒感も手伝って機嫌が悪かった。が、それも昼食を口にするまで。驚くほど言葉数が増えたあかりは、

「パパ〜」

「アキ〜」

「ギャー」

「ババ」

「オイシ」

「#%$〜¥=”!(’」(これ、多分何かの歌)

などと口走りながら、あとははしゃぎ通しであった。

自宅ではしゃがせていたのでは妻女殿がお疲れになるし、家のなかはどこでも似たようなものであかりもつまらなかろう。というわけで、桐生が丘遊園地、写真撮影。まだ1歳7ヶ月とあって、乗れるのはメリー・ゴー・ラウンド、モノレール、ヘリコプターなどに限られるが、それでもあかりはご満悦。今朝は私が撮ったヘリコプターの動画を何度も見つめていた。自分が写っている写真を見るのが好きらしい。

昨夜の夕食後、花火。季節外れかも知れないが、あかりにとっては初花火である。緊張のしっぱなしだったようで、笑顔なし。最後は怖々、ママの膝にしがみつきながら、反対の手で花火を握っていた。

今朝は6時前に目覚め、長男の嫁と3人で朝の散歩。繋いでいる手を振り切って奇声を発しながら走り出すあかりは何度も転け、奇声、笑い声、鳴き声を何度も繰り返す。犬が好きで、朝の散歩に通りかかった近所の犬に甘えかかられても一歩も引かず、しっぽをなでたり顔を嘗められたりしてじゃれ合っていた。

今日の昼食は、鰻のこんどう。昨日通りかかったら「休み」の看板が出ていて、

「あそこのご主人も年だから、休みがちだねえ。今回も鰻はダメかも」

とささやき合っていたのは、桐生に来る目的の、多分7割方がこんどうの鰻である長男の嫁と長男である。今日はダメ元で訪れると無事営業中。

「最近、臨時休業が多いね」

と話しかけると、

「ええ、ご主人のご家族にあれこれ行事があって」

と従業員のおばちゃんが応えた。ちなみに、昨日は孫の運動会だったのだとか。

鰻がまた上がっていた。しばらく足が遠のいていたが、鰻重が500円アップの3400円。妻女殿はお留守番だったから3人分だが、3人で昼食を取って1万円札が消えていくのは心臓に悪い。あかりの昼食は、ババ手作りのおにぎりと卵焼き。デザートのキウイ、リンゴも完食。あかりは体重11.5kgの大食漢である。スクスク成長せよ。

特筆すべきは、私の呼ばせ方である。我が家では伝統的に、小さな子どもは私を「ボス」と呼ぶ。ところが、あかりが私を見て放った第一声は

「ジジ」

そうではない、あかりよ。お前の目の前にいるのはジジではない。「ボス」である。と教え込むため、私は何度も自分を指しながら

「ボス」

といった。数度繰り返すうちに、あかりは自分を指さしながら

「ボス」

と言い始めた。
ん、それは自分を指さしながら口にする言葉か? 指さすのは自分=あかり、ではなく、目の前であかりの調教に必死になっているこの俺なのだが……。

息子たちは伝統に対して無責任である。

「これは親父とあかりのバトルだから、俺たちは関与しない」

おい、それは論理的に間違っている。私を見ての第一声が「ジジ」であったということは、川崎の自宅において、私を「ジジ」と呼ぶように教え込んできたのではないか? 君たちはすでに、あかりと私のバトルにおいて、我が家の伝統に反する行動を取っているではないか!

昨夜は「ボス」といっていたあかりだが、今朝の私への呼びかけは「ジジ」に戻っていた。調教をやり直した。しばらくすると、相変わらず自分を指さしながら「ボス」というようになった。
自分を指さしながらの「ボス」。あかりの調教は始まったばかりである。次の闘いは年末年始か。

で、昼食後、3人は川崎の自宅に戻った。残されたジジババはやや疲れ気味である。


そうそう、我が愛車の前輪が、ほとんど破れかけていることが息子の観察で明らかになった。昨日のことである。
先週横浜へ行ったとき、リコールに引っかかった愛車をディーラーに持ち込んだことは前回書いた。その時、

「大道さん、フロントタイヤがすり減ってます。もうダメですよ」

「いや、この前整備工場で、フロントタイヤが片べりしているのでタイヤをローテーションしましょう、といわれたんで、そのうちやる予定なんだけど」

「これはローテーションすればいいという減り方ではありません。もう限界です。ほら、溝がほとんどなくなっています」

という会話を交わし、桐生に戻ってすぐにタイヤを発注しておいた。だから、息子から注意を受けるのも当然かも知れないが、いわれて改めてフロントタイヤを見てみた。

「ん? これ、ここ、もうタイヤのゴムが破れて中の繊維が見えているな」

「これ、悪くするとバーストするぜ」

ゾッとした。先週、このタイヤで桐生—横浜を往復したのである。しかも、ほとんど高速道路を使って。
ランフラットタイヤだから、パンク程度ならそのまま100kmほどは走ることができる。でも、破裂してしまったら何ともならぬ。それが高速を走っているときだったら……。

すぐに整備工場に電話をした。

「頼んでいたタイヤ、いつはいる? 実はいまのタイヤ、ゴムが部分的に破れて生地が見え始めているんだけど」

「えっ、本当ですか! すぐに調べてみます」

タイヤは今週の火曜日に入荷する予定だそうだ。それまでは、この、ゴムが部分的に破れたタイヤで走らざるを得ず、タイヤを交換してもらうにも、このゴムが部分的に破れて生地が見えているタイヤで走らねばならない。

人生、危険とは常に隣り合わせである。