2018
12.05

2018年12月5日 喪中

らかす日誌

本日、やっとのことで喪中葉書を仕上げた。明日投函する。

年末になると、あちこちから喪中の葉書が届く。今年は多く、すでに10枚程度を受け取った。手にするたびに

「私も早く出さなければ」

と思ったのは、今年1月、母が亡くなったからである。

ところが、こういう仕事は苦手である。賀状もそうだが、日程に縛られる仕事は苦手である。まあ、現役中はしょっちゅう締め切りに迫られて仕事をしていたわけだが、その後遺症か。それとも、根っからの不精者のためか。

ではあるが、喪中のお知らせは相手が年賀状の準備を始まる前に手元にお届けするのが筋である。ために、本日は朝から己を叱咤し、作業に向かわせた。

賀状に比べれば、はるかに楽である。だって、どこから来る喪中葉書だって、大同小異。おそらく、業者に頼んで大量に印刷すればこのような文面になるのだろう。

中に、一つだけ変わった喪中葉書があった。

「紅葉の便りが日ごとに近付いて」

で始まる普通の文面である。だが、中身はきちんと96歳のお母さんを亡くされ、年賀の言祝ぎを自粛すると書かれている。これはお寺のお坊さんからのものであった。

「そうか、こんな文面でもいいのか」

とは思ったものの、こうした含蓄のある書き出しはなかなか出来ない。書き出しができたとしても、喪中のお知らせを普通の文章で書くのは難しい。さすがお坊さんは教養豊かだなあ。私にはとても真似が出来ない。
こうした理由で断念した。

喪中であること、年頭の挨拶を控えること、母は1月13日になくなったこと、苦労の多い人生であったこと、孫の顔を見せる程度の親孝行しかできなかったこと、あわせて新年のご多幸を祈ること、を織り込んで文章をまとめた。よくいただく喪中のお知らせと似た文面になったが、「。」「、」を使うなど、あえて形を破ったところもある。

それにしても、喪中であることを知らせる文章にはなぜ「。」「、」がないのだろう? ネットで検索すれば理由らしきものを書いたページは見つかるのだろうが、これは行き過ぎた形式主義であると私は思い、検索もせずにあえて使った。

「常識のないヤツめ」

と笑う方もいらっしゃっるかも知れないが、気にしない。そんなことをつまらぬことを気にしていては、私が私でなくなってしまう。

このところ、連日のように机にへばりつき、原稿を書いている。いや、一度書いた原稿に手を入れている。頼まれて書いたWeb用の原稿が、おそらく年明けにはアップ出来る。その準備が一つ。いまひとつは、別の依頼先からのWeb用原稿で、これも1月からアップするものである。
Webで公開しようとすると、原稿を書くだけでなく、写真も集めなければならない。古くからの写真をきちんと整理していらっしゃる先ならいいが、

「いやー、古い写真はどこに行ったのかかなあ」

というところもあり、そうなるといまの写真でカバーしなければならない。古い話につけることが出来る新しい写真。これは知恵の出しどころだが、あいにく私にはそんな知恵がトンと湧かず、

「うーむ」

と唸ってなかなか仕事がはかどらない毎日である。

それだけ文字とにらめっこをしながら文章を推敲していると、夕方になると頭の中身が麻婆豆腐になる。

「日誌? 今日は書けそうにないや」

という日が結構続く一因である。
ということでお許しを賜りたい。