2018
12.09

2018年12月9日 二十歳のころ

らかす日誌

家の前の桜並木がすっかり葉を落とした。落ち葉を掃き集める手間がなくなり、枝の間から赤城山が素通しで見える。冬だ。
12月初旬。まだ初冬のはずだが、今日は厳寒である。駐車場に出て読書をしながらパイプを楽しむ私の指先が痺れる。先ほど車に乗ったら、外気温は7.5℃。年末まではまだ日があるというのに、この冷え込みは何なのだろう?

灯火親しむの候も終わった。が、私の読書は終わらない。いま読みつつあるのは、スティーヴ・マルティニ作の「臨界テロ」である。Amazonで買っておいた古本である。最近、新刊をほとんど買わなくなった。私にとって読書は時間つぶし。新刊で買っていては年金暮らしの財布が持たない。それに、発売されてすぐに飛びつきたくなる本もトンと出てこない。出版社の

「売れる本しか出さない」

傾向はますます強まっており、抗議の意志を込めて対抗するには古本を買うにしくはない。
『臨界テロ」の前に読んだ

二十歳のころ」(立花隆編、新潮文庫)

もAmazonの古本で買った。

立花隆さんが東大で講師を務め、学生に

「調べて書く」

という課題を与えた。知とは知るだけでなく、知った中身が人に伝わるように表現出来て初めて「知」と呼べる、という彼の哲学を学生の教え込もうという試みである。表現力まで含めて「知」と呼ぶのは、物書きである立花さんらしい定義の仕方である。世の中には言葉にならない知識もあると思うが、この際無視する。

課題を与えられた学生たちはブレーンストーミングを行い、テーマを探した。甲論乙駁の中、「20歳」に焦点を当てて、聴いてみたい人にインタビューした上で文章にまとめるという提案をしたのは、当時立花さんの手伝いをしていた出版社の社員だったと書いてある。

立花さんはまず、全員の前で大江健三郎氏をインタビューして文章にまとめ、手本を示した。あとはアポイントの取り方を教え、インタビューの心得(絶対に礼を失してはならない、事前に手に入るだけの資料に目を通しておく)などを念押しして学生たちを野に放った。学生が書いてきた文章に朱を入れて読むに耐える文章に直し、学生たちに編集させた。
大変に素晴らしい実践教育だと思う。私が学生の時にこんな教師がいたら、もっと早く新聞記者を志し、現役で朝日新聞に入っていた(現実は、1度落ちて2回目の挑戦で通った。倍率は300倍ほどだったから、いま考えればよく通ったものである、と我ながら感心している)はずだ。
そして、まとまった本がまた素晴らしい。職業も年齢も経歴もてんでんばらばらな方々が言葉にした「20歳のころ」はたくさんの人生の真実がキラキラと輝いていて、すっかり魅せられた。こんな素晴らしい本が、すでに絶版らしい。もったいないことで、ここにも出版社の経営事情が響いているのだろう。いい本は何があっても出し続ける、という当たり前のことが死滅しかかっている。

まず、人選に驚かされる。

牧野信雄・会社経営
川上哲治(元巨人)
伊藤影明・元甲1855部隊兵
鶴見俊輔・哲学者
水木しげる・漫画家
茨木のり子・詩人
萱野茂二・二風谷アイヌ民俗資料館館長、前参議院議員
小川国夫・作家

ホンのの一例である。ざっと70人近い人たちが学生の質問に答え、自分の20歳をある人は訥々と、ある人は身振り手振りを交えながら(多分)語っている。それは一人一人の真実でありる。ある人は目標に向かって努力していた日々を語って、だから今日がある、と自分の生きてきた道を肯定し、ある人は遊びに遊んでいた20歳のころを思い起こして

「あの時の壮大な無駄がいまの自分を作った」

とやはり肯定する。それは矛盾ではなく、100人いれば100通りの、肯定出来る人生があるためだろう。

学生たちは功成り名を遂げた著名人にだけ目を向けるのではなく、長崎の原爆被爆者にも、在日大使館の職員にも、バーテンダーや元オウム真理教信者、AV女優、AV監督にも話を聞きに足を運んだ。読んでみて

「これは学生だから聞けたのだろう」

と拍手を送りたくなるものがある。長崎の被爆者へのインタビューは、立花さんによる大江健三郎へのインタビューよりもはるかに出来がいい、と私は読んだ。

「相手に話しに翻弄されて、突っ込みどころが最後までつかめなかったのだろなあ」

と同情したくなる失敗作もある。インタビューを受けて自分の人生を語ることが多かったであろうと思われる俳優相手のものが多い。立花さんもインタビューを受けているが、あれほどの本を書いている方である。インタビューした学生がすでに書かれていることを打ち破れなかったとしても、それは仕方あるまい。

と、出来不出来はあるが、それが600ページを超す本2冊にまとまってみると、圧巻だ。特に「1」はレベルが高く、ぐいぐいと引き込まれる。それに比べて「2」は、インタビューに臨む学生の熱気が下がったような読後感が残る。何となく手慣れてしまい、

「この程度の話が聞ければ文章にできるな」

と切り上げてしまった。

「もっと知りたい!」

という思いが薄らいだのではないか、と感じるのは私だけか。

それでも、啓樹や瑛汰、璃子、嵩悟、あかりには読んで欲しい本である。私はAmazonで、2冊で200円ほどで買った。皆様にも是非目を通していただきたいと思う。


さて、本日は飲み会である。
先日、ある若手の経営者から

「あの人と酒を飲みたいんです」

といわれた。「あの人」も市内の若手経営者である。自分の事業と町おこしを絡めて何かできないか、と考えている二人で、私に仲介の労を依頼した経営者から見たら、もうひとりの若手の方が先を進んでいるように見えたのだろう。
たまたま二人とも私の知り合いだったため、喜んで労をとった。

それが日曜日の酒宴であることに気がついたのは、つい数日前だった。

「ん? 日曜日! おい、日曜日は午後6時から『西郷どん』を見るのが俺の日課だぞ」

と思ったが、時すでに遅し。今日の「西郷どん」は録画を見ることになるが、私の不注意のためである。しかたあるまい。2人の出会いが何かを生み出してくれればと願う。