2018
12.23

2018年12月23日 我ながら

らかす日誌

WordPressが新しいバージョンになった。私はいたって素直な性格で(といっても、誰にも信用してはもらえないことは、私が一番よく分かっている)、バージョンアップの知らせが来ると、直ちに更新ボタンを押してしまう。

その結果、極めて困ったことになった。

1、新規投稿ができなくなった。どうやら、プラグイン(WordPressに別の機能を加えるアプリ)とぶつかっているらしい。CKEeditorというヤツらしくて、これを機能停止にしたら投稿ができるようになった。しばらくの逡巡の後、こうして原稿を書いているのはそのためである。

2、管理画面がすっかり変わってしまった。わかりにくいこと、この上ない。しばらく使って慣れればいいのだろうが……。

というわけで,今日の午後は時間を費やしてしまった。

 

で、話は昨日である。
昨日は、お招きを受けてMさん方に昼食をおよばれに行った。妻女殿同伴である。

Mさんは札幌の出身。東京の女子中高一貫校の教頭を務められ、東京に住まいがあるにもかかわらず、

「このが気に入った」

と桐生に越してこられた。一般論で片付ければ、極めて変わった方で、この「らかす日誌」でも何度かご登場をいただいている(もっとも、ご本人の了解もいただかずに、私が勝手に担ぎ出したのだが)ので、ご記憶の片隅に引っかかっているかも知れない。

5月に初めてお目にかかり、なんだかんだしているうちにすっかり仲良くなった。そのMさんが

「是非我が家で酒を酌み交わしたい。年内に」

と声をかけて下さり、お言葉通り、年内の酒宴となった。わざわざ我が家まで車で迎えに来ていただいた。私は、「港屋藤助」を1本ぶら下げ、妻女殿は福島から届いたリンゴ(これ、極めて美味しい!)と手作りのプリザーブドフラワーをお持ちになった。

少し遅い昼食は、ビールでの乾杯から始まった。お天道様がまだ高くにいらっしゃる間はアルコール類を口にしないのが私のモットーではあるが、久々に飲む日中のビールは、うん、なかなか美味かった。

乾杯が終われば、歓談と「港屋藤助」である。冷やでぐいぐいやる。私がぐいぐい飲み、Mさんがぐいぐい流し込む。
当初、

「いくら何でも、2人で1升空けることはなかろう。余った分は差し上げればよい」

と計算していたのだが、ふと気がつくと、残りはもうわずか。午後6時にタクシーを呼んで帰宅するまでに、「港屋藤助」が完全に空になったのに加え、Mさん秘蔵の酒も4合あたり我らの腹に入ったらしい。

ということは、2人同じペースで飲み続けたとしても、一人7合、私の方が少しペースが速かったような気がするから、私は8合か?

「飲みましたねえ」

「いやあ、美味かった!」

別れるときにそんなエールを交わしたことはいうまでもない。

しかし、である。私は年が明ければ古希である。なのに、一度に1升近い酒を飲む。還暦を過ぎて少し酒量が落ちたな、と重ねた齢を自覚していたのに、この酒量は何だ?
自分で自分飲んだ酒の量に驚いているのだから、これはもうなにをか言わんや、である。ひょっとして、私は還暦に本当にゼロ歳児に戻ってしまい、あれから9年、やっと酒が飲める年代に達したということか?

会話が楽しかったことも手伝ったろう。

「いやあ、大道さん、『らかす日誌』を読ませてもらってるんだけど、あれには参った。ほら、私があなたの紹介でBMWを買ったという話をお書きになったとき、私のことを『恩知らず』って表現しましたよね。あれ、凄い! あの状況にあんな言葉、誰も思いつかないでしょ。思わず女房を呼びましてね、『おい、ちょっと読んでくれ。俺、恩知らずなんだって』、って叫んでました」

いや、Mさんは私を非難しているのではない。恩知らずと呼ばれたことを、心から楽しんでいるのである。

最近のセクハラ、パワハラを例に引くまでもなく、言葉とは便利なものである反面、やっかいな一面も持っている。言葉を発した私と、その言葉を受け止めた誰かで、中身の受け取り方がまるで正反対になることがある。

「君が好きだ」

という愛の言葉が、

「うざったいジジイ! セクハラだよ!」

と騒がれかねないのがいまの言語状況である。私なんぞは、君が好きだという言葉を出したくなる人間関係から隔離されて長いが、いまの若い人たちはどうやって愛を成就させるのだろう? 自分のことではないので、どうでもいいといえばどうでもいいことだが。

そんな中で、Mさんの言語感覚は極めて健康である。恩知らず、という言葉に込めた笑いの種を素直に受け取っていただき、そればかりか楽しんでいただいた。
持つべきものは良き友である。

そんなこんなで、何故か私はギターを持たされ、

「是非1曲」

と迫られた。最初は遠慮するのが人間としてのたしなみで、2度目に迫られたら

「では」

とお引き受けするのもたしなみであろう。

と思って、私は「ジェームス・ディーンにはなれなかったけど」という岡林信康の名曲を歌いだした。いや、正確に表現すれば、歌い出そうとした。その時である。

「ん?」

歌詞が思い出せなかったのである。
そんなバカな! あえていえば、人前で歌ったこともある曲だぞ! と気持ちは焦るが、焦れば焦るほど、歌詞は逃げていく。おーい、待ってくれ、と追いかけるのだが、なかなかしっぽすら捕まえられない。

♪若い歌い手が死んだ

まで何とか思い出した。が、その先は……。

哀れなり、69歳の頭脳。いや、あれは酒のせいだ、ということで自分を納得させているのだが……。


その前の日、実は妻女殿の母が亡くなっていたことが分かった。亡くなったのは今月7日である。母の面倒を見ていたのは、妻女殿の弟。横浜の私の家の隣に住む。

「なんかさ、おばあちゃんが亡くなったみたいなんだけど」

と一昨日電話をしてきたのは、横浜の我が家に済む次女であった。

「ねえ、お母さん、近くにいない?」

いたので、私は外に出た。
次女の話によると、近所の人が御霊前を持って弟の家に入っていった、弟の娘が骨壺らしきものを持って家に入った、というのである。

妻女殿とその弟は、父が亡くなったときの相続問題で犬猿の仲である。が、犬猿の仲でも、同じ父と母から生まれたのだ。相続問題に決着がついたとき、

「おばあちゃんが亡くなったときは知らせる」

という一言は受け取っていた。それなのに、弟は何も知らせてこない。

村八分とは、村のみんなでシカトすることである。あんなやつとの付き合いは金輪際ごめんだ、みんなで決めることだ。でも、二分だけは付き合う。葬式火事である。どんなにいやな相手でも、これだけは付き合わざるを得ないというのが村落共同体を維持するための先人たちの良識であった。それを無視するか? ましてや、死んだのは他人ではない。妻女殿の母である。それを知らせないか?! ヤツには、人としての最低限の常識も欠けているのか?

事実を知れば、我が妻女殿、次女からすれば「お母さん」は激怒するに違いない。それでなくても膠原病の持病を持ち、日々不眠を口にする妻女殿である。怒りの余り、病気が,不眠が悪化する恐れは十二分にある。事実が分かれば、いずれにしろ妻女殿には伝えねばならないだろうが、はまだ明らかでない。どうしたらよかろう? この段階でお母さんに伝えるべきか否か。
それが、

「ねえ、お母さん、近くにいない?」

の中身であった。

長男に連絡するようにいった。そして、妻女殿には事実がはっきりするまでは何も教えないことにした。
長男が事実関係を把握し、弟の家を訪れて霊前に手を合わせたのは昨夜であった。それを知らされ、私は昨日夕、つまりMさんとの昼食の宴が終わるまで待つようにいった。

Mさん宅から帰宅する車の中で、事実関係を伝えた。7日におばあちゃんが亡くなったこと、16日に弟嫁が後を追うように死んだこと。
怒りで全身をふるわせ、弟に電話をして怒鳴り散らすか、と危惧していたが、受け止めは冷静であった。

「おばあちゃんが亡くなっても知らせすらよこさないとは、器の小さい男だこと」

私も納得出来るコメントを久々に漏らされただけである。私は胸をなで下ろした。

いい酒と、風発する談論と、妻女殿の母の死を巡るあれやこれや。
いやあ、なかなか大変な週末ではあった。

しかし、母親の死を姉に知らせてこない男って、いったい何を考えているんだろう? できることなら、ずっと知らせたくなかった? が、いずれ相続問題が起きる。亡き母の遺産をどう分けるかは法律時候である以上、いつまでも黙りを続けることは不可能なのに。

義理の弟とはいえ、他人の頭の中はなかなかにうかがい知れぬなあ、と思い知らされた私であった。