03.21
2019年3月21日 残存体力
怒濤の3連チャンを乗り切った。
1日目は桐生で、2日目は栃木県宇都宮市まで車を走らせて、そして3日目の昨日は桐生で、3日連続の宴会である。
「いやあ、この年なって3連チャンはこたえるなあ」
と周りに弱音を吐いたら、ある人に
「だったら、飲む量をセーブしたら」
とアドバイスを受けた。
全く分かっていない方である。飲み始めて、途中から酒の量をセーブできるほどの意志の強さを持っていたら弱音など吐くはずがない。私の場合、自分の性格を見越しての弱音であることを理解しなければアドバイスなどできないのである。
というわけで、全身全霊を込めて酒と付き合った3連チャンとなった。今日は朝から中学数学の問題を解き進めたから、何とか乗り越えたのであろう。アラコキ(アラウンド古希)の体力も捨てたものではない。
しかし、昨夜は寝付きが悪かった。思えば、1日目が悪かったらしい。酒を飲んで寝たにもかかわらず、どうやら睡眠に時間が短すぎたらしい。
そのためだろう。連チャン2日目の宇都宮での宴会は、途中からあくびが出始めた。眠い。それなのに、1次会が終わると2次会になだれ込んだ。ホテルに戻ったのは11時頃である。3次会への誘いを勇気を持ってお断りしての帰還であった。
歯を磨き、パジャマに着替えてベッドに入る。いつもの習慣で読書を始める。だが、眠い。いつもなら30分、1時間は本を読まねば寝付かないのに、この日は15分もすると強烈な眠気に襲われた。そのまま電気を消すと、瞬時にして夢幻の世界になだれ込んだ。
翌朝目が醒めたのは8時前だった。何と8時間以上も、途中で目覚めることもなく熟睡していたのである。
この年になると、分かることがある。眠りも体力なのだ。体力がないと長時間眠り続けることはできない。いくら疲れていても、せいぜい6時間か7時間たつと目が醒めてしまう。
それなのに、8時間以上。まだまだ私も捨てたものではない?
この日は同行のM君と、午前8時に連絡を取り合う予定だった。そのM君から電話が来たのは目覚めた直後の事である。
「ああ、いま目が醒めた。君、確か3次会にもついていったようだけど、何時に戻ったの?」
「1時ぐらいですかねえ」
ふむ、私い人は午前1時まで呑んでも、翌朝8時にはさわやかな声音で電話ができるものらしい。できれば私も、8時間以上眠れる体力よりも、午前1時まで飲んで翌朝気持ちよく目覚める体力が欲しいものである。
歴史とは時間の連続であることを思い知らされたのは昨夜であった。寝付けないのである。
宴会から戻ったのは9時半頃だった。それから映画を1本鑑賞し、布団に入ったのは11時半頃。いよいよ山場に差し掛かった「太公望」(宮城谷昌光著、文春文庫)を読み始め、
「そろそろ寝るか」
とライトを消したのは確か1時頃である。ところが眠れない。右に寝返りを打ち、左に寝返りを打つ。まくらを抱いてみる。どのような姿勢をとっても、眠りが訪れない。
「あれまあ、昨日寝過ぎたか」
そうなのである。眠りが足りないまま目覚めた日の夜は睡眠時間が長くなり、たっぷり寝て体力自慢したくなった日の夜は、なかなか寝付けない。
「ああ、こんなことなら、朝7時にモーニングコールを頼んでおけばよかった」
と思っても後の祭り。
さて眠りの世界に憩えたのは午前3時だったか、それとも4時か。
それでも、今朝は7時半前に目が醒めたのが情けない私であった。
睡眠不足のまま、今日は、啓樹と一緒に始めた数学の問題集を186/201まで解き進み、
「次の土日には終わらせることができそうだ」
という展望を持つことができた今日の私であった。
明日は予定がない。月曜日はホームページの打ち合わせが入れてある。概略が決まれば、私がホームページ用の原稿を書き始めるのだろう。うん、来週はいまのところ、人と会う予定はないから、原稿を書く時間はたっぷりあるなあ、と予定表を見ながら考える私であった。