2019
04.04

2019年4月4日 なかなか

らかす日誌

自宅前の桜並木が満開になったら、去年と同じアングルで写真を撮ってみなさんにお目に掛けようと思っている。ところが、なかなか咲きそろわない。目で見たところ、ざっと4分から5分の咲きである。ここ数日の冷え込みで遅れているようだ。
今日は温かい。予報ではこの先しばらくは冷え込みがないので、あと数日たてば満開になるはずだ。赤城山を背景にした桜の写真はそれまでお待ち願いたい。

今日、久しぶりに毎日新聞の記者と顔を合わせた。とある場所で仕事の打ち合わせをしていたら、突然電話が来た。

「君の住まいの下にいるぜ」

と答えると、すぐにやって来た。

「転勤だって?」

ほかで仕入れた情報をぶつける。

「太田だって?」

何と彼は、桐生からお隣の太田市に転勤する。毎日新聞の桐生支局は閉鎖され、太田に行く彼が桐生も取材する。

「ひどい転勤だな」

新聞記者の楽しみの一つ(哀しみ、苦しみの一つという人もいるが)は、会社命令で見も知らぬ土地に行くことだ。そこで新しい人間関係計を育み、自分にしか書けないだろう記事を生み出す。それが醍醐味である。

桐生にいて太田市は隣の町である。おもちゃを買うのに太田市のトイザらスにでかけ、まとまった買い物をしようと思えば、太田市のイオンモールに向けて車を転がす。いや、私なんぞは、桐生で知り合った人の娘さんが太田の高校に通っていると聞き、太田まで取材に出かけたこともある。
だから、太田市は見知らぬ土地ではない。見知った土地である。そこに居を移すことを楽しめるはずがない。

私の初任地は三重県津市であった。そこに3年半いて、転勤の内示が下った。行き先は岐阜市であった。

「冗談ではない。津から岐阜なんて目と鼻の先じゃないか。どうしてもっと遠くに転勤させない? 俺は朝日新聞名古屋本社採用ではないぞ」

と、まだ会社に抵抗できるほどの年月はたっていなかったので、仲間と酒場で飲むときに鬱憤をまき散らした。

第2次オイルショックの直後だった。突然の不況で、会社は転勤費用を抑えたいと考えたらしい。
かといって、同じ土地に3年半も置いている社員を転勤させないわけにはいかない。2年から3年で転勤させるというのが、何となくの決まり事なのである。
その決まり事は守りながら、転勤先が遠くだと金がかかる。近場なら節約できる。それだけが理由だったのではないか。

話を戻す。
彼は当初、

「冗談ではない」

と抵抗したという。ずっと単身赴任の身である。そろそろ家族と一緒に暮らせる土地に戻りたいと思ったとしても、誰が責めることができよう。だが、定年が近い彼の思いを会社は汲み取らないかった。

その抵抗が無理だと思った彼は、次に

「じゃあ、桐生に済んで太田まで取材する。それでいいだろう?」

と作戦を変えた。桐生と太田が取材エリアなのである。どちらに住んでもやることは同じではないか。

だが、これも会社は拒否した。理由は分からない。

「すでに上が決めたことである。ゴチャゴチャ抜かすな」

とでもいうことか。

ということで、彼は統一地方選が終わる4月末に太田に引っ越すことになった。

それにしても、毎日新聞も金回りが悪くなったということか。理屈が通らぬ会社に明るい未来があるとは思えないが。
新聞業界はあちらもこちらも大変である。