2019
05.01

年号で盛り上がれるとは、日本はノーテンキの集まりか?

らかす日誌

昨日、横浜から戻った。

私の古希の祝宴は28日に執り行われた。JR川崎駅そばの日航ホテル地下にある中華料理店が会場である。集まったのは我が家が年寄り夫婦2人。長男家族はあかりを入れて3人、長女一家は啓樹、嵩悟を含む4人、そして次女のところは瑛汰、璃子がいて4人。合計13人である。元の2人が13人に増える。これでどうして人口が減るのだろう? と思ってしまう私は、多分、算数があまりできない劣等生である。

冒頭、挨拶を求められた。しかし、家族を前にする挨拶はやりにくい。スピーチの相手が全員が他人なら聖人、智者のような顔をしてしゃべり出せるのだが、私の裏も表もかなり知っている12人が相手だと、何を口にしても見透かされてしまいそうで、

「さて、何をしゃべったら良かろう?」

と頭を抱えてしまう。
結果、何となくモグモグと

「あ、あ、プレゼントありがとう。いまのところ、ムアツ布団は調子がよろしい」

「いまは桐生でこんな仕事していて……」

「何となく生きてきたが、こんな家族が持てて誇りである」

「今年は瑛汰が志望中学に合格して嬉しかった。でも瑛汰、思い上がってはいかん」

「来年は啓樹が高校受験だ。来年も喜びたい」

と小声で語って、

「乾杯!」

あとは飲んで、食って、ちびっ子たちに連れられて高層階(ここはホテルの一角なのである)の探検をし、記念写真を撮って、長男に誘われて大人の男組だけで2次会へ。11時頃私は引き上げたが、残り3人は飲み足りなかったのか、はたまた話したりなかったのか、3次会に足を向けた。彼らが家に戻ったのは午前4時頃だったというから、若いということは羨ましい。

にしても、である。
天皇が代わり、元号が代わったことに関するメディアのはしゃぎぶりは異様である。テレビのニュースはNHKしか見ず、バラエティ番組は一切見ない私であるが、天下のNHKがあれほどだから、民放に至ってはもっとはしゃぎ回っているに違いない。

NHKは様々な国民にカメラを向けて、新天皇が誕生した、令和が始まった、たったそれだけのことで街の声を拾い集めいていた。

「いやあ、時代の代わり目をこうして体験できるなんて光栄なことです」

4月30日から5月1日にかけて、夜通し宴会をやっていたらしい若者たちの一団が映し出され、そのグループのリーダーらしき兄ちゃんがにこやかに話していた。

ん? 時代の変わり目? いまが?

時代とは、後になって歴史学者が区分けし、何となく市民権を得ていくものである。平安時代から鎌倉時代に移ったのは、かつては1192年だったが、いまは1185年になっている。いずれにしても、皇室から武士に権力が移ったのだから、これは時代が変わったというに相応しい。鎌倉時代が室町時代になるのは源氏から北条氏が政権を奪い、皇室とのいざこざを経て足利氏が安定政権を作ってからだ。それが列強が覇権を競い合う戦国時代に突入し、織豊時代を経て260年の江戸時代にいたり、明治維新を経て現代に至るわけだ。
とすると、時代とは権力のあり方に関わって歴史学者が区分けするツールに過ぎない。であれば、封建制度を打ち破って成立した近代日本をこれ以上区分けする区切りがあるか? あるとすれば、欽定憲法の明治、大正、昭和前期と、いまの憲法ができた1947年以降を区分けするしかない。
あとは、昭和であれ平成であれ、はたまた今日からの令和であれ、同じ時代が続いていると考えなければ、歴史の常道に反するというものだ。

時代の変わり目?
こいつらは何を知り、何を考えて今年の4月30日と5月1日が、時代を変えたと思っているのだろう? 天皇と元号が代わることに悪のりして飲んでいるだけの若者は、ちょいと変わったことをいってみたかっただけかも知れないが、それをわざわざ取材し、ごたいそうにニュースとして送り出す記者の感性のずれ、知識のなさ、いってみれば己のバカ丸出しを恥じないくだらなさには唖然とするほかない。

こんなことで浮かれていていいのか、平成日本? ではなかった、令和日本!

思考することを忘れてはしゃぎ回るアホウを写して仕事をした気になっているバカ。それが日本の現在であるとすると、この国、一体どこに行ってしまうのだろう。
テレビをチョイ見しながら、暗澹たる思いを抱く私であった。