2019
06.15

なぜか、初対面の男性にとてつもなく評価されてしまった昨日であった

らかす日誌

午前9時に富山からの客を桐生に迎え、午前11時過ぎの東武電車に飛び乗って東京に向かい、ホテル・オークラで人々に会い、六本木に場所を移して早めの飲み会。午後9時23分北千住発の東武電車で桐生に戻る。
昨日は、何ともせわしない1日になった。

富山からの2人の客は群馬大学で迎えた。共同事業の可能性を探る相手である。幸い、私たちの話に関心を持ってくれ、持ち帰って事業化を検討してくれることになった。うまく進めばありがたい。

終えて、2人を東武鉄道新桐生駅までお送りした。
その足で急ぎ自宅へ。

「大道さん、午後2時にホテル・オークラまできて欲しいんですけど」

という、事業パートナーからの要請を受けていたからである。午後2時にホテル・オークラに着くには、午前11時14分新桐生発の特急に乗らねばならない。話によると、どうやら飲み会になだれ込む可能性があるため、新桐生駅に車を置いて電車に乗るわけにはいかず、車を自宅まで運ばねばならないからである。
自宅に向かう車の中から、タクシー会社に配車を頼んだ。桐生程度の街では流しのタクシーはいない。タクシーを使うときは市内に数カ所あるタクシー町場まで足を運ぶか、電話で呼ばねばならないのだ。

自宅に着くと、タクシーはすでに来ていた。愛車を駐車場に入れ、直ちにタクシーに乗り込む。新桐生駅に着くと、先ほど送り届けた富山の客人がいた。そうなのである。新桐生から東京(浅草)に向かう特急は1時間に1本。だから、こんなことも起きる。

「いやあ、またお目にかかりましたね。どうやら我々は縁があるようです。仕事がうまく行くといいですね」

とにこやかに挨拶。うち1人は時間があるので、これから桐生見物をするとかで、もう1人と一緒に電車に乗り込んだ。

降車駅は北千住。ここまでパートナーが来るまで迎えに来てくれる。着いて、

「新桐生駅には駅弁を売ってなくてね。昼飯を食ってないんだけど、一緒に昼飯を食う?」

と電話をしたら、

「済みません。その時間はないので弁当でも買っておいて下さい」

ふむ、昼食を楽しむ時間もないのか。古希を迎えて弁当で昼を済ませる。仕事とはなかなか厳しいものである。

当初聞いた東京行きの目的は、会議だった。何でも、小さな会社を集めて組合を作りたい。ついては、私にもその理事になって欲しいという話を受けて、その詰めをするためである。
力がない小さな会社が集まることによって力を持つ。労働組合だって数の力で強大な力を持つ経営者と闘うのが目的だったし、最近評判が悪い記者クラブも、そもそもは記者が権力機関と対峙するについて、個別の記者ではとても太刀打ちできまい、であれば、会社の枠を飛び越えて担当記者が徒党を組み、権力と力の差を少なくしようではないか、というのが発足の主旨であった、とは本で読んだことである。それがいつの間にか、権力に擦り寄り、権力の広報機関に成り下がって情報を独占するようになった、というのが最近の批判だが、さて、私もかつては記者クラブに所属した。しかし、広報機関に成り下がった記憶も、情報を独占した記憶もない。私、はぐれ者だったのか?

それは横に置いておくとして、組合設立の主旨には賛成した。理事になることも引き受けた。しかし、心配事があった。集まって組合を作るのは簡単である。しかし、それを維持して行くにはかなりの力業がいる。そのためには組合に入ったメリットを示し続けなければならないのだ。

「組合に入ったけど、ちっともいいことがないぜ」

ということになれば、脱落する会社が続出するのは目に見えている。脱落した会社と残った会社との関係は冷え込み、何より、呼びかけた会社との関係は悪化するに違いない。呼びかけ人になろうという彼らにその自覚はあるか? メリットを生み出し続ける計画を持っているのか?
そこをただそうというのが今回の上京の目的であった。

「でも、何でホテル・オオクラ?」

という質問への答は

「急に、午後2時からホテル・オオクラで人に会う用事が入ったので」

という説明だった。組合設立の関係者が集まるのは4時半か5時になるという。。だったら、もっとゆっくり来れば良かった、とは思ったが、我が身体はすでに東京にある。

「ほう、ホテルに着いたら夕方まで暇なのか。どこで時間つぶしをしよう?」

と考えていた私に、私を呼び寄せたパートナーは言った。

「実は、2時からのミーティングにも出ていただけると助かるのですが」

? そんなこと、俺は聞いていてないぞ!

が決まり文句の上司が朝日新聞にいたが、私はそんなことは口が裂けても言わない。人間にミスは付きものである。だから仕事をしていれば、そんなことはいつでも起きる。
そんな私は、だからこう聞いた。

「俺が出た方がいいの?」

はい、出ていただければ助かります」

それで、出た。

このパートナーは、私が関係する群馬大学のベンチャー企業と手を組んでいる。だから、このベンチャー企業のことを少し話したら、食いついてきた相手がいた。それがこの日の相手だという。

「私では知識も少ないし、どこまで話していいかも分かりませんので」

分かった。私が説明する。

相手は、中国からの来訪者が1人、88歳というおばあちゃん1人、そして40代と見える男性が1人。この2人は日本人である。そして、この中国の方も日本で勉強したことがあり、日本語は流ちょうだという。助かった。

約2時間。私の日本語で理解できなかったらしいところは、付き添いの男性が翻訳してくれた。中国との取引には様々な課題が浮かび上がった(輸送コストをどうする、など)が、食いつきは良かった。先が楽しみである。

午後4時半、飲み会に突入。明るいうちは飲まないという生活哲学を持つ私だが、場の勢いは私の哲学程度では止められない。

会場は西麻布の「権八」である。そう、小泉元首相がブッシュ大統領をもてなした居酒屋だ。小泉さん、あまり舌がよろしくないらしい。その程度の料理、酒しか出ない店である。

それでも、宴席は盛り上がった。
いま、中国の方々との話をするのは難しい。日中関係が微妙だからである。正直な私は中国を褒め倒すわけにも行かず、かといって今の中国の姿勢を難詰するわけにも行かない。そこで一計を案じた。

私は学生運動世代である。当時、ML派という学生運動の組織があった。マルクス(M)・レーニン(L)派というのだが、皆の了解は毛沢東(M)・林彪(L)派、であった。つまり、革命中国の思想にべったりの集団であった。別命モヒカン派といったのは、彼らがかぶったヘルメットが赤字に白い線が前から頭頂を通って後ろまで続いていたからである。そう、モヒカン狩りのヘルメットである。

そんな昔話を前置きにし、彼の立場を探った。若いときに共産主義青年団に属し、その組織から日本に派遣され、約1年半板のだという。あれまあ、ひょっとしたらゴリゴリの中国共産党か?

恐る恐る聞いた。

「で、当時の立場としては、資本主義に毒された日本社会を見るのが使命だったと思いますが、あなたの目に日本はどう写りましたか?」

思いがけない返事が返ってきた。

「素晴らしい国だと思いました。みんな親切だし、町も清潔。秩序が保たれているし、治安もいい。それぞれが目的を持って生きている社会だと見えました」

ん? この人、ゴリゴリの中国共産党ではない?
では、次の質問。

「いまでも共産党の党籍を持っているのですか?」

「いや、私は共産党を辞めて民間の仕事をしています」

はあ、共産党員ではないのか。
それならば、もう一発。

「日本にとって中国は大事な国です。国の力を取ってみても、日本は中国と険悪な関係を続けていれば存亡が危うくなります。それに隣の国だし、お互いにとって友好関係を築いた方がメリットが大きい。でも、中国での反日感情が不気味に思えます。日本企業を襲撃したり、大使館にデモを駆けたり。中国の人たちの対日感情は、今でもあんなに悪いのでしょうか?」

「いえ、あんなことをしているのは何も分かってない連中です。私たちは苦々しく思って見ているのですよ」

ほうほう、ひょっとしたら社交辞令かも知れない。しかし私は、彼の言葉を信じたいと思った。
日本には嫌中論を振り回す連中がいる。しかし、中国に向かっていたずらに拳を振り上げるのはいかがなものだろう? 今の世界は武力で覇を競う世界ではない。経済力、技術力が国力のもとなのだ。であれば、中国とにらみ合うのは愚の骨頂であり、隣国として手を携えるところが増えるのが望ましいのである。
第一、彼らはお互いの図体の差を分かっているのだろうか? 拳を振り上げたら、その12倍の大きさの拳が落ちてくるのだぞ!

そんな話をしていたら、付き添いの男性が大きな声を張り上げた。

「あなたは日中関係の強化に貢献できる人だ。やって下さいよ」

ん? 私が日中関係を? なぜ?

「いやあ、話を聞いていたら、あなたは中国にとてつもなく詳しい。そして、日中関係を前向きに捉えている。あなたはすごい人だ! あなたがやらなくて誰がやるんです?」

いや、あのー、私は興味に駆られて何冊か本を読んだだけで、中国の専門家でありません。中国にもっと詳しい人はたくさんいます。現に、中国特派員をしていた私の後輩はとても詳しい。わたしの知識の一部は彼から学んだものです。

「いや、あなただ。あなたに働いて欲しい!」

まあ、酒の勢いもあったのだろう。彼はさらに言いつのった。

「はい、わかりました。しかし、そういわれても、私は何をやったらいいのかまるで解りません。加えて、何が私に出来るのかも不明です。それほどおっしゃるのなら、私が何をしたらいいのか具体的なプランを持って来て下さい。それが私に出来ることなら、はい、やらせてもらいます。出来ないことならお断りするばかりです」

過大評価をされるのは、時として嬉しいことである。しかし、同時にプレッシャーにもなる。私が日中関係を良くするために働く? あり得ないって、そんなこと!
でも、彼は何かいってくるのかなあ。それとも、酔いが醒めたらすっかり忘れてる? 出来れば後者であって欲しい……。

という1日であった。自宅に着いたのは11時前。そのまま寝た私であった。
にしても、結構飲んだらしい。今朝も少し酒が残っているような感じが消えなかった私である。酒に弱くなったなあ。

そうそう、組合作りの話は、宴席を一時抜け出して関係者4人で話した。その結果、とりあえず勉強会から始めることにした。出来ることから始める。組合を作ることのメリットが見えるようなったら思い切ってジャンプする。4人の結論が一致したところである。
さて、私も勉強しなければ!