07.21
念には念を入れてみるものである。
本日はそんなことを思い知らされた日であった
1件目は、例のラズパイである。
前回の日誌でお伝えしたように、Amazon経由で中国の会社「LOTW-JP」から購入したラズパイのセットは交換処置をしてもらえると思い込んでいた。電話で対応したAmazonの女性が、
「販売主(つまり、中国の会社)に交換することを知らせてください。後の処理はこちらでやります」
といってくれ、私は中国の会社宛にメールを出した。これで私のやるべきことはすべて終了で、あとは交換の新しいラズパイセットが届き、手元のものを送り返せば済む。普通はそういう風に物事は流れる。
ところが、いつまでたっても交換品が届かない。この間、私は新しいラズパイをAmazonに注文して受け取り(5400円の出費であった!)、我が家の屋内LANに接続して動作を確かめた。4テラバイトの外付けHDDを接続して正常に作動することを確かめたのはいうまでもない。つまり、あのラズパイセットに入っていたラズパイは、やっぱり初期不良品だったのである。あとは、交換品が到着するのを待つばかりだったのだ。
ところが、今日になっても荷物が届かない。中国の会社、それにAmazonとやりとりをしたのは15日である。この間、交換品が届かないばかりか、メールの1本も来ない。
「おかしい」
さすがに私も心配になった。交換品が届いたところで、もう不要になり、手元のラズパイが壊れたときの補助にしか役立たないラズパイが1個増えるだけだが、動き始めた事態が途中で動きを見せなくなると心が落ち着かない。それに、このままではラズパイセットに投じた金が無駄になる。
今朝、改めてAmazonに電話をした。今度はお兄ちゃんが対応してくれた。
「ということなんだけど、今日になっても交換品が届かないのです。どうなっているんでしょう?」
と問い合わせると、注文番号を私から聞き出し、
「しばらくお待ちください」
といって何やら調べていた。
「確認が出来ました。当方で交換の手続きはされておりません」
??
あのお姉ちゃん、自分で言ったことを実行してくれていなかった?
「それで、ですが、これからの進め方として、まず新しく同じラズパイセットをAmazonにご注文していただいて……」
えっ、何だって?
「それ、新しく注文しろって、また私が金を払うの? こちらは初期不良品ではないかと申し立てて、交換することになったと理解している。それなのに、どうしてもう一度金を払うの?」
まっとうな抗議が通じたらしい。お兄ちゃんはいった。
「あ、あ、そうですよね。はい、申し訳ありませんが、もう少しお待ちください」
という混乱の末、最終的には返品処理をすることになった。返品といっても、私はすでに同梱されていたヒートシンク、それに電源コードは使用中である。返品すれば、しばらく新しいラズパイは使えないことになる。
「いえ、それはお使いいただいて結構です。初期不良だというラズパイと、残りの同梱品をお返しください」
ということで、ヒートシンクと電源コード(買えば1000円以上はする)が手元に残り、代金はすべて戻ってくることになった。
混乱はした。しかし、結果的に私は、ラズパイ1個の価格で、ヒートシンク、電源コードまで手に入れたことになる。なんだか儲かった気分である。今日Amazonに電話をしていなければ、このような結果にはなっていない。見出しにも書いたが、
念には念を入れてみるものである。
もう一つ、念には念を入れが方がいい事例が今日起きた。とある方の依頼で進めている本の出版である。
原稿は印刷会社に渡した。17日水曜日、遅れていた写真がやっと集まり、印刷会社に届けた。先に渡していた原稿の最初のゲラを渡された。次の作業は、このゲラの点検である。
その日は終日暇だったので、自宅に戻ると校閲作業に入った。全体で280ページ強。夕方までかかりっきりとなり、数十箇所に直しを入れた。同じゲラを依頼主にも渡して点検をお願いしている。あとは2人の直しを照らし合わせればいいはずだった。
今日も1日暇だった。ふと思い立って、2度目の校閲作業に入った。出るわ、出るわ。組み方の不具合、漢字の変換ミスだけでなく、文章の繋がりがおかしいところも、なんだかこなれていない表現になっているところもあり、訂正箇所が相次いだ。最初の点検ではいったいなのを見たのだろう? やっぱり、念には念を入れてみるものである。
いや、私はそれほど根気のあるタイプではないと自覚している。作業があるところまで進むと
「まあ、この程度でいいんじゃない?」
とあっさり手放してしまうのは、誤変換が多いであろう「らかす」の文章をお読みいただいている方々には常識であると信じる。
しかし、世の中には私のようなライターばかりではない。特に、世に名文家と言われる方々は、私の気が遠くなるような根気をお持ちである。
まだ私が現役時代のことだ。朝日新聞社内に著名な名文家がいた。その文章へのこだわりをある人に聞いたことがある。
新聞社には締め切りというものがある。刷り上がった新聞をトラックで発送する時間から逆算して、梱包に必要な時間、印刷に必要な時間、レイアウトに必要な時間と遡り、
「この時間までに完成原稿を出さなきゃ新聞に載せられないからね」
という時間である。いまは知らないが、私が築地の朝日新聞社で働いていたころは、朝刊最終版の締め切りは午前1時20分であった。
概ねの原稿はそれまでに出来上がっている。それはそうである。世の中の大半の人々はもう布団(ベッド?)に入っている時間である。そんな時間まで世の中が動いているはずはないし、取材だって出来るはずは、普通はない。締め切り時間が気になるのは、特ダネを追っているとき程度だ。あと1つ、パズルのピースがあと1つ揃えば堂々と1面トップを飾る特ダネになる。締め切りまでにそのピースを見つけることが出来るか? 長年記者をやったが、そんな緊迫した気持ちで締め切りを迎えたことは数えるほどしかない。
しかし、原稿を書くたび締め切り時間と闘っている名文家がいたという。とにかく、締め切り時間まで自分の原稿を手放さない。書き上げた原稿に何度も何度も手を入れる。時には部分的に書き直す。
「あと3分しかないぜ」
と声をかけても
「うん、もう少し待ってくれ」
と鉛筆(ボールペン?)片手に、自分の原稿とにらめっこを続ける。おそらく、目は血走っていたのではないか。
「もうダメ。タイム’ズ アップ!」
と編集者が原稿を取り上げる。
「えっ、えっ、そんな原稿を新聞に載せるのか? そのままで? …………。ま、いいか。俺の原稿なんて読んでくれる人はいないよな。くずみたいな原稿だから、ま、それでいいよ。はい、はい、紙面の埋め草だよね」
彼は本当にそういって席を離れたらしい。彼が書く原稿はくずでもなく、埋め草でもなく、多くの人が「名文」と激賞する原稿だったのだが。
そうか、私が名文家と呼ばれなかったのは、やっぱり諦めが早すぎたのか。原稿なんて糞みたいなものだから、書き上がったら一刻も早く脱糞して気持ちよくなるものさ、などとうそぶいたのがいけなかったか。
その私が、同じ本の原稿に2度に渡って目を通し、合計すれば100箇所にもなろうかという直しを入れる。まだ初めてのゲラだから、この直しを出しても次のゲラが出てくる。それにも目を通して……。
念には念を入れる作業が盆前まで続く。ま、どれだけ念を入れても、元々文才がなければ人に「名文」と呼ばれる文章には仕上げられないだろうが、これも仕事を引き受けた責任である。目薬を差しながら頑張るほかない。