12.01
「理不尽な進化」は、これは敵わんな、と思わずつぶやいてしまう名著である。
「理不尽な進化」(吉川浩満著、朝日出版社)を読みふけっている。以前ご紹介した「『読まなくてもいい本』の読書案内」(橘玲著、ちくま文庫)で紹介されていた本である。関心を持って求め、読み始めたのではない。この程度は読んでおいた方がいいかな、と思い、Amazonの中古本で相当安くなっていたから買い求めて書棚に入れて置いた本である。順番が来たから手に取った。
進化論を論じた本である。それも絶滅した生き物たちから進化論を見てみたらどう見えるか、を出発点とした本である。なにしろ、地球上に発生した生き物の99.9%は死滅した。今現在まで生き残っているのはわずか0.1%の生き物だけだという。それも、弱かったから、あるいは劣っていたから絶滅したのではない。たまたま、偶然に死滅したのである。人間も含め、いま生き残っている生き物は、優れていたわけでもなく、力が強かったわけでもない。たまたま、偶然に生き残っているだけである。
そんな生き物の歴史を、死滅した側から見ればどう見えるか。それが
理不尽な進化
という書名の理由だという。
いや、ここまで書きながら、果たして正確に要約しているのかどうか自信がない。それほど深みのある本なのだ。一度通読した程度で中身を要約できるような柔な本ではない。もう少し書き連ねるが、その程度の紹介と思ってもらわないと、怖くて先が書けない。
進化論は「自然淘汰」「適者生存」「優勝劣敗」などのフレーズで暮らしに定着している。だから、今生き残っている人間を含めた生き物が「自然が選んだ」「適者」であったかというと、実はそうではない。持って生まれた生物学的性質とは全く関係ない外的要因で、しばしば生き物は絶滅してきた。その中で生き残った生き物のうち、その時の環境にたまたま適応していたものが幸いにも子孫を残し、今の生物相を作っているだけである。
自然は「選択する」というが、自然の選択には全く価値判断はない。自然が、この生き物が好ましいから、この生き物は優秀だから、などと判断することはあり得ないのだから、それは当然のことである。とすると、万物の霊長と自負する人間も、ほかの生き物に比べて優れているからいま我が世の春を謳歌しているのではなく、恐竜が絶滅した環境変化にたまたま耐え抜くことが出来たのが哺乳類の先祖であり、その枝の先に、たまたまホモサピエンスが生まれ落ちたに過ぎない。
ということは、だ。自然はこれまでも、様々な生き物を、選択することなどなしに絶滅させてきた。であれば、次の環境変化では人間が絶滅することだってあり得る。なにしろ、地球上に現れた生物の99.9%が絶滅した。人間だけが例外になるいわれはどこにもないのである。
例えば恐竜は約6500万年前の白亜期末に絶滅した。恐竜が地上に地球に登場したのは中生代三畳紀というから約2億5100万年前である。それから1億8600万年の長い間繁栄を続けた。
その恐竜が絶滅したきっかけは、流れ星が地球に激突したことだ。ユカタン半島の先端にぶつかり、広島型原爆の10億倍の威力があったとみられている。海水は一気に蒸発し、熱波が北米大陸を焼き尽くした。300mの津波が北米・南米大陸を襲った。つまり、このあたりにいた恐竜は、この衝撃で死に絶えた。繁栄を極めていた恐竜が、最も数多く犠牲になっただろう(菌類など—当時菌類はいたのかな?—小さな生き物を除けば)。
これはよく紹介されるシナリオである。だが、よく考えれば、
「では、他の場所で生きていた恐竜はどうなった?」
という疑問がわく。そのためだろう。
「恐竜は図体が大きくなりすぎたので絶滅したのだ」
という解説が付け加わることもある。ん? それまでは大きいから覇者になっていたのに、それが突然、大きすぎるから絶滅したとは何のこっちゃ?
流れ星の激突には後日談があった。衝突で巻き上げられた小さな埃が宇宙空間を漂い、太陽光を遮断したのである。そのため、それから10年ほどの間に最大10℃の寒冷化が起きた。太陽光がないから植物は光合成が出来ず、育たない。合わせての寒冷化である。多分、それで食糧不足に襲われたのだろう。身体がでかい分、大量の食物を取らねば生死に関わるのが彼らだったのだ。
こうして生命を支える地球の環境ががらりと変わり、巨大生物だった恐竜には不利な環境になった。適応できずに恐竜は死に絶える。その時、体長わずか10cm程度の哺乳類の祖先は、太陽光の遮断と寒冷化という厳しい環境を生き抜いた。小さかったから、それほど食料を必要としなかったのが有利に働いたのだろう。そのちっぽけな生き物が我々の祖先なのである。
では、祖先は流れ星が地球に激突することを見越して小さいままでいたのか? そんなことはあり得ない。たまたま環境が変わったとき、それまでの環境に適応して繁栄していた恐竜は新しい環境に適応できず、巨大な恐竜の間を逃げ回り、たまには食料にされていたかも知れない我々の祖先が、たまたま新しい環境を生き抜く資質を備えていただけである。
たとえていえば、横綱白鵬が、小学校の運動会に出場して障害物競走に出るようなものである。土俵の上では無類の強さを発揮する白鳳がが、ちっちゃな小学生と一緒になって網をくぐり、小さなトンネルを抜けてゴールを目指す。編みくぐりまでは何とかなるかも知れないが、小さなトンネルをあの巨体でくぐり抜けることができるか? ために、このレースではビリになるどころか、失格になってしまうのではないか?
白亜期末に起きた環境変化とは、そのようなものである。別に恐竜に落ち度があったわけではない。哺乳類の祖先に先を見通す慧眼があったのでもない。でも、流れ星が激突し、生命を支えるルールが一変した。
これを理不尽といわずして何という?
などという導入部から、著者は進化論学者の論争にまで手を広げ、進化論の神髄に迫っていく。実にスリリングで頭が興奮し、
「すごい!」
というほかない本である。
1人でも多くの方々に手に取っていただきたい。Amazonではいま、「中古品—良い」「中古品—非常に良い」が送料込みで820円で買える。著者に印税が入らないのは申し訳ないが、なーに、物書きとはそれでも1人でも多くの人に読んで欲しいと思うものである(と私は思って実践している)。アマゾンの画面を開いてポチっとやっていただきたい。