2020
07.04

私が香港人だったらどうするのだろう?

らかす日誌

1度だけ香港を訪れたことがある。1987年のことだ。朝日新聞経済部の記者として、国際金融の現場をこの目とこの足で確かめ、特設面の連載記事を書くためである。その旅の模様は、「グルメに行くばい! 第35回 :番外編1 香港」に詳しい。

暑さが苦手な私には、香港とはひたすら暑いところであった。外で仕事をしていると、ひたすらホテルのエアコンが懐かしくなる。暑い、暑い、暑い、とわずか3日の滞在期間中に何度口にしたことか。

すでに夏である。香港は暑いだろう。その暑い香港が世界のホットスポットの一つになってしまった。中国共産党政権が「国家安全法」を成立させ、すでに400人ほどが逮捕された。とにかく、共産党政権や香港行政府への批判を口にすれば、則法律違反となる。政権とは健全な批判によって正当性を担保されるという近代国家の原則からすれば、時代が数世紀遡ったような何とも野蛮な法律を作ってしまったものだというほかはない。

アメリカの下院は中国を制裁する法案を可決した。英国政府は、意義知る海外市民のパスポートを持つ香港市民に、英国への市民権、永住権への道を開く方針を出した。オーストラリアも香港住民の受け入れを検討する。日本でも自民党が習近平主席の日本訪問を中止するよう求めた。米、英、仏、独、日など27カ国が中国を非難する決議もあった。それでも中国政府の姿勢は不動である。400人ほどの逮捕はその後で起きたのである。

GDP世界第2位、観光客の爆買いなど経済成長の著しさに焦点が当てられてきた中国とは、まだそのようなレベルにある国に過ぎない。

しかし、中国がこんな無謀な政策を採るのはなぜなのだろう、と考えてみた。
人が理不尽も顧みずに強硬な姿勢を取るのは、何らかの焦りを背景にしていることが多い。男女関係のもつれから生まれる殺人。暮らしに困り果てての強盗。積み重なった失敗を取り戻そうという無茶苦茶な営業。周りを見渡せば実例は限りない。ことは政治の世界でも同じだろう。ある国の政府が対外強硬姿勢に転じるのは、

「このままでは俺たちのケツに火がつきかねない!」

と焦る権力者が、ともすれば内政の失敗に向いてしまう国民の目を外にそらす狙いが透けて見えることが多いのはその実例である。

とすると、習近平政権は、何か大きな焦りを感じている、と見るのが妥当だろう。1997年、英国から香港が返還されたとき、中国政府は少なくとも50年は一国二制度を採り、英国譲りの民主主義が根を張った香港の政治、社会制度を、共産党が支配する中国本土と切り離して維持すると約束した。恐らく、50年という長い時間をかけて徐々に本土との一体化を図る計画を立てていたはずである。それを、まだ半分の時間もたたないいま、諸外国から非難されているにも無視して力で中国本土の支配下に置こうとする。これは焦りというほかない。

だが、習近平は何に焦っているのか? 日本のメディアではその手がかりになる情報はほとんど出てこない。自らのイメージアップのために推し進めた腐敗根絶策が、政権内部に根強い反習近平派を作り、その力が侮れないほど大きくなってきたのか。少数民族への弾圧が行きすぎてさらなる反権力運動に火を着け、治安に乱れが出始めたか。政策投資を中核に進めてきた経済成長策が壁に突き当たり、出口が見えないまま経済が後退し始めたか。

そんな私の疑問に答えてくれる報道に接したいものである 。

それはそれとして。
香港の民主派と呼ばれる人たちはこれからどうするのだろう? なにしろ、中国の共産党政権は強大である。ちっとやそっとデモをしたぐらいでは揺るぎもしないだろうし、いたずらに逮捕者を増やすだけの結果となるのが目に見えている。かといって、自由の精神が身体にしみ込んでいる彼等は、口をつぐんで生きていくわけにも行くまい。武装闘争? いや、中国軍は強くてでかい。死を恐れずに立ち向かったとしても、勝利の女神は向こうに微笑みそうである。女神も空気を読むのでああって見れば……。ここはゴルゴ13の出番?

私がもし香港市民だったらどうするのだろう? 国外に移住でして暮らしを新しく築き上げるにたる資産などない以上、周りに聞こえない小声でブツブツ不満を漏らしながら、一生を終える?

よそ事ながら、何とも気になる香港である。