11.27
沢山の利子を引き攣れて戻ってきた。
私には、やや健忘症の気がある。
桐生えびす講の最終日、桐生西宮神社の境内で知り合いに会った。といっても、お互いマスク姿で一見では分からず、双方がマスクをずらして
「ああ、久しぶり!」
と声を掛け合った。
元桐生市役所の職員である。夫婦で市役所に勤め、旦那は6、7年前に、奥さんは確か今春、定年退職した。出会ったのは奥さんの方である。
現役時代、2人とも私と仲良くしてくれ、それぞれと酒を酌み交わしたことがある。奥さんとはそれだけでなく、読書仲間でもあった。確か彼女の方から
「大道さん、この本面白いから読んでみてよ」
と市役所内で本を手渡されたのが最初だったと記憶する。
それをきっかけにお互い本を貸し合う仲となったが、私は現役を退いた後は市役所へ出入りする回数が減り、今春からは彼女も市役所から姿を消したからすっかり疎遠になっていた。久しぶりの邂逅であった。
「そういえば、本を借りっぱなしにしてるんだよね」
といったのは彼女である。
「えっ、まったく記憶にないんだけど」
と答えたのは私であった。言葉通り、私の記憶のどこを探しても、彼女に本を貸していたという過去は出てこなかった。我が家から消えていた本があったか?
「それで返したいんだけど、いつがいい?」
「別に急がないから、いつでもいい。電話をちょうだい」
その電話が昨日、髭を剃っている最中にかかってきた。
「うーん、今日は間もなく出かけるんだよね。午後の予定もはっきりしないし、こちらから電話をするわ」
その言葉通り、私は今朝、彼女に電話をした。
「午後2時、お茶でも飲みましょう」
午後2時前、約束のカフェに出向くと、彼女だけでなく、彼女の旦那もくっついてきた。そういえば、2人ともすでに仕事をしておらず、毎日暇をしていると聞いていた。そうか、旦那も
「あ、用事が出来た」
と喜び勇んでついてきたのではないか?
それとも、久々に私の尊顔を拝したくなったか。
紙袋に入った文庫本が15冊戻ってきた。「クアトロ・ラガッツィ」(若桑みどり著、集英社文庫)、「最終戦争論」(石原莞爾著、中公文庫)、「繊細な真実」(ジョン・ル・カレ著、ハヤカワ文庫)……。
ほほう、俺はこんな本を読んでいたのか。そういえば、「クアトロ・ラガッツィ」は、最近呼んだ雑誌に、16世紀に日本の少年がローマ法王に会いに行った天正少年使節団を書いた本だと書いてあり、
「なんだか読んだような記憶があるぞ」
と思って書棚を見たが、ない。とすると、無料図書館に寄贈してしまったか? と思っていたのっだが、ここにいたか。
こいつだけは読んだ事実がかすかに記憶に残っていたが、ほかの12冊(「クアトロ・ラガッツィ」は3巻本でありますので)は、タイトルを見ても何が書かれていたのか、どんな物語だったのか、トンと思い出せない。
貸した事実を完璧に忘れていたことといい、読んだ本の中身をまったく思い出せないことといい、私の脳みそはその程度のものに成り下がっているようである。
ということは、あれか。新しく本を買い求める必要はなく、書棚から適当に引っ張り出せば、新しい本と同様に楽しめるのか? うん、私の読書には時間つぶしの要素が多いから、そちらの方が経済的ではあるなあ……。
戻ってきたのは本だけではない。
「長く借りっぱなしにしていたお詫びに」
と立派な利子がついてきた。「港屋藤助」。そう、私が最も好む日本酒である。原宿の飲み屋「小菊」でこの酒とで合った下りは、「グルメらかす」のどこかに書いてある。
きっと、飲んだ席で、私がこの酒をこよなく愛するという話をしたのであろう。それを今日まで記憶していてくれるとは。
このご夫婦の脳は、私より遙かに立派に生き続けているらしい。ご同慶に堪えない。
もう一つ、紙袋に入った本の上にオイルサーディンが載っていたことに気がついたのは帰宅した後である。
15冊の本が、こんな立派な利子を生んでくれるとは。人の世は捨てたものではない。
このご夫妻、コロナ禍の最中にもかかわらず、
「いまなら人出が少ないはず」
と旅行を繰り返しているらしい。ガラガラの京都を歩き、北の大地・札幌にも足を伸ばしたという。
札幌ではすすきのの近くに宿を取ったそうだ。
「そしたらねえ、どう見てもホスト、ホステスとしか見えない人たちがホテルにたくさんいたの。どうやら東京から来たらしいのね」
コロナ禍の仲、東京では密接な接待を売りとする店の営業がやりにくくなっている。ということは、そこで働いていたホスト、ホステスは仕事がなくなり、食うに困るに至ったのではないか。
人間、食わねば死ぬ。
「地方都市ならまだ営業できるだろう」
と彼らが考えたとしても不思議ではない。そうして、新しい勤め先を求めて札幌に来た。
「銀座で」
「新宿で」
という前口上には箔がある。なにせ、日本のど真ん中、花の都東京で昨日まで現役バリバリだったのだ。札幌のクラブが三顧の礼で迎え入れたのではないか。
そしていま、北海道で新型コロナが猛威をふるっている。
東京から流れたホスト・ホステスがその原因であるかどうかは分からない。しかし、原因も一部である恐れは高いのではないか?
Go toキャンペーンとホスト、ホステス。Go toキャンペーンはやめれば済むが、東京で職を失ったホスト、ホステスが地方都市に移動するのを止めることは出来ない。
まあね、都では営業自粛を強く求められ、暮らしを立てんがための都落ち。このやろー、と怒鳴りつけるわけにも行くまい。こちらを締めればあちらのドアが開く。
防疫とは難しいものだと思い知らされる。