03.30
年齢とはかくなるモノかと実感し始めたのであります。
先週の金曜日から、横浜—川崎を回って昨日、月曜日に帰宅した。本来なら、昨日のうちにこの雑文を書かねばならないところだが、タイトルにあるように、71歳という年齢を実感させられてキーボードに向かう気力が湧かなかった。疲れたのである。
横浜は瑛汰、璃子のいる次女宅である。金曜日午後3時半頃着いた。
本来の目的は、璃子の算数の面倒を見る事である。だが、今回のミッションは家庭教師だけには止まらなかった。
「掃除機があるんだけど、ばらせる?」
と次女から電話が来たのは先週の中頃である。歯科医である旦那の医院で使っていた掃除機が壊れた。そのまま出すと金がかかる。ばらしてしまえばごみとして出せる。だから、可能ならばらして欲しいというのである。
「ネジで止めてあるか?」
と聞くと、ネジが使ってあるという返事。ネジ止めで組み立ててあるのなら、ネジを外して解体出来ないはずはない。
「分かった」
と応えて横浜に向かった私であった。
到着するなり、解体作業を始めた。壊れた掃除機と言うから1台だけかと思ったら、出て来たのは3台。いずれも充電池を備えたコードフリーの掃除機である。
まず、ネジを探す。見付かったネジを1本ずつ外す。これでこの部分は外れるはず、と思うが外れない。どこかに見つけにくいネジがあるに違いない。ネジは何処だ……。
玄関ドアの前に座り込み、1台、また1台と解体を続けた。すべて解体し終わり、ゴミ出し用の袋に入らない大きさのプラスチック部品は電動ノコギリで切断した。作業終了は6時半。腰が痛んだ。これが初日である。
2日目は璃子と算数の勉強。これは座って頭を働かせるだけだから体力は使わない。ひねくれた問題群に
「こんなことまでさせるのか。でも、俺に解ける?」
と我が能力に鞭を入れるだけの作業である。まあ、頭脳の老化防止と思えば前向きの作業といえない事もない。
そして、金曜日も土曜日も、11時半頃には布団に入り、寝付いた。睡眠時間は十分に取ったはずである。
日曜日。朝、塾の春期講習に行く璃子を車で送り届け、その足で川崎の長男宅へ。あかりの4歳の誕生日プレゼント、自転車を買うのが目的である。
同時に、長男宅のスピーカーの修理もミッションの一つであった。120リットルの箱に16㎝のユニットを裸で取り付けたままであったため、あかりの手によってユニットのコーン紙が無残に引きちぎられていた。その破壊されたユニットを取り換える作業である。今月初め、オーディオセットを貸していた友人から返却を受けた事はすでに書いたが、そのとき置き去りにしていたスピーカーからユニットを取りはずして持ち帰ったのが2週間ほど前。長男宅のスピーカーと全く同じユニットなので、こいつを取り付けようという算段である。しかも、貸していたスピーカーにはユニット保護のための穴あきのお皿のような器具も付けていたので、これも持参した。
午前10時頃到着し、あかりとエールの交換。
「あかりね、今日はボスとお風呂に入るの。ねえ、あかり、お風呂で泳げるんだよ。ボス、あかりのが泳ぐの見たい?」
よしよし、後で見せてもらうからな、といいながら部屋に入り、まずスピーカーユニットの交換。取りはずして取り付けるだけだから、何と言う事はない。
長男自作の昼食、スパゲティをお腹に納めて二子玉川へ。ここであかりの自転車を買うのである。
いやはや、驚いた。二子玉川で電車を降りると、もう人の波である。流石にノーマスク姿はほとんど目に着かないが、肩を触れあわねばすれ違えないほどの人また人……。街中を歩いても人と出会う事がほとんどない桐生に11年暮らした私の感性には、人が津波になって押し寄せるように思える。
いや、それも緊急事態は解除されたとはいえ、いまだに新型コロナの感染が終息の兆しを見せない東京での人混みである。この方々、何の用があって二子玉川に足を伸ばされたか知らぬが、コロナにすっかり慣れてしまったのかね?
あかりは一目散に、心に決めたピンク色の自転車に駆け寄る。支払いは私。なんでも、店頭に並べてあるのは見本で、あかりのMy Bisycleは4月10日前後に届くとの事。当日は長男がこの店に出向き、あかりの自転車を押して自宅まで戻るのだそうな。親業とはなかなか大変である。
夕食は外で寿司。これが結構遠かった。マンションを出て歩く事、およそ20分。今思えば、情けない事に、この長距離歩行も年齢を感じざるを得なくなった原因の1つであるようだ。この日歩いた歩数は、1万歩弱。健康な下半身を保つための目安とされる1日1万歩だが、腰が痛くなったのは仕方がないとしても、足の付け根の筋肉が張ってしまったのである。ほう、普段ほとんど歩かないと言う事はこういうことか。
そして昨日朝、川崎を出て桐生に向かった。前夜も睡眠時間は少なくとも6時間はとった。それなのに、車のハンドルを持ちながら、あくびが出る。何となく眠たいのである。幸いな事に、私は何かをしながら眠りに落ちた事はない。おかげで桐生まで無事たどり着いたが、家に入ると何もする気になれず、リクライニングチェアに座っていたら珍しく昼寝をした。わずか30分ほどの眠りだったが。
まったく、疲れた。71歳、間もなく72歳とはこのような年齢であったか。
幸い、今朝までには疲れがほぼ抜けたようである。よって今朝は黒保根村まで出かけ、午後は桝谷さんの原稿の復刻作業をし、いまは気力も戻って日誌を書いている次第である。
桝谷プロジェクトは順調に進み、トランジスタのプリメインアンプ、そこからパワー部だけを採り出して改良したトランジスタ・パワーアンプ、チャンネルデバイダーまで作業が終わり、皆様の目に触れるのを待っている。
しばらくお待ち下され。