06.12
冷蔵庫が新しくなった。それに伴う騒ぎがあった。
10年ほど使った東芝製の冷蔵庫を買い換えた。新しいパナソニックの冷蔵庫が本日夕、やって来た。妻女殿は何となく嬉しそうである。
と書いてしまえば、たいしたことはない日常の一風景である。長持ちすると言われる冷蔵庫だって工業製品の端くれだ。1年365日、一刻も休まずに働き続ける以上、経年劣化は必ず起きる。10年、15年と使ううちに必ず買い換えの時が来る。そのタイミングが、たまたま我が家にやってきただけの話である。
やや普通でないのは、我が家の冷蔵庫買い換えにいたる経緯である。
古い東芝製の冷蔵庫は桐生に来てから買った。当時から体力の衰えを日々訴えられておられた妻女殿のリクエストは、
「野菜室は真ん中がいい」
なるほど、冷凍庫に比べれば野菜室を開け閉めする頻度の方がはるかに高いに違いない。であれば、頻繁に使う野菜室を開け閉めしやすい真ん中に置き、たまにしか使わない冷凍室を最下段に置くのが設計の常識だろう。ところが当時、野菜室真ん中の冷蔵を作っていたのは東芝だけだった。迷うことなく、東芝製を買った。
日本のエレクトロニクス産業は衰退が激しいと指摘されている。かつて世界を席巻したSONYにも昔日の面影は薄い。テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの生産拠点は多くが海外に移り、後ろを見れば韓国製、中国製の家電製品が追っている。アップルやダイソンのような、消費者の財布の紐を緩める革新的な製品が日本で生まれなくなって随分時間がたつ。
東芝は、その産業の衰退を象徴するような会社になってしまった。あれやこれやの事業部門を切り売りし、何とか息はついているものの、
「会社って、おかしくなるとこんなになっちゃうんだ」
と感じ入ってしまったのが、この冷蔵庫であった。
買って数年もうちに不具合が起きた。冷え具合が悪い。そこは工業製品である。不具合が生じることは仕方がない。そう割り切る私は、すぐに修理を依頼した。修理マンがやってきた。
彼は冷蔵庫の後ろに回り、プリント基板を外すととジャンパー線をハンダ付けした。ジャンパー線とは、基板のある部分とほかの部分を直結するためのものである。
プリント基板は、このようなジャンパー線を使わないために、基板に配線をプリントしたのものである。そのプリント基板にジャンパー線?
「修理が終わりました。8000円(だったと思う)いただきます」
修理マンはそういった。修理の全貌を見ていた私は
「なんで私が修理代を払わねばならないのか」
と一喝した。
コードによる配線をなくすために設計されたプリント基板に、ジャンパー線を飛ばす。
「それって、プリント基板の設計が間違ってたからだろ? つまり、不良品を堂々と売っていたわけだ。東芝の不手際で生じた不具合の修理コストを、どうして私が払わねばならぬ? 本来ならリコールすべきじゃないのか?」
修理マンは8000円を払えと頑として譲らない。私は修理マンのどんな申し開きも一切聴く耳を持たない。筋の通らない金は受け取るのも支払うのも嫌である。やがて修理マンはどこかに電話をし、修理代は不要ということで決着した。
それが1回目の不具合だった。
2度目は1年ほど前に起きた。
「冷蔵庫の下に水が溜まってるんだけど」
という妻女殿の訴えで冷蔵庫を検分したが、今の冷蔵庫には水受けがない。あちこち調べたが、どこからどんな原因で水が漏れているのか解らない。
再び修理マンを呼んだ。
診断は簡単だった。
「壊れているところがあるんですけど、もうパーツがないんで修理は出来ません」
そう言い置くと、修理マンは出張費の振込用紙を置いて引き上げた。
ん? たった10年ほどしか使っていない冷蔵庫が故障して水が漏るようになり、挙げ句は修理部品がないってか? 家電品の修理部品は、生産を終えてから8年間は義務づけてられているはずだが、私が買ったのは、私が買うと間もなく生産を辞めたのか? あの不具合を抱えた機種はさっさと生産をやめたというわけか。
2度と東芝製の冷蔵庫は買うまい。そう思い決めた。
だが、水は漏れ続ける。修理が出来ないのだとすると、買い換えるしかない。ところが、買い換えるには、現在住んでいる家に問題があった。このチマチマした作りの家は、キッチンにつながるダイニングルームへの入口が実に狭いのである。
冷蔵庫の標準サイズは60cm、65cm、68.5cmである。ダイニングの入口は、65cmまでの冷蔵庫はなんとか通す。ところが、68.5cmになると、通らない。あの東芝製冷蔵庫は68.5cmであった。買い換えるには、古い冷蔵庫を出さねばならない。新しい冷蔵庫を65cmで我慢するとしても、まず古い冷蔵庫を処分しなければ新しい冷蔵庫を設置出来ない。
ここに引っ越してきたときに解ったことである。あの時は日通の引っ越しマンの方々が、ダイニングルームの窓を取り払い、そこから運び込んでくれた。しかし、冷蔵庫の配送さんに、同じ重作業をお願いするわけにはいくまい。販売店の下請けであることが多いため、
「普通に運び入れることが出来ないのなら、運び入れられるようにしてから注文しろ!」
といわれる恐れが極めて強い。
ために、水漏れに不満たらたらの妻女殿には
「何時までもこの家に住むわけではない。横浜に戻るときに新しい冷蔵庫を買おう」
と説得し、事態は冷蔵庫の下にぞうきんを噛ませることで決着していた。まあ、先送りと言われても仕方がない解決法ではあった。
ところが、先送りを許されなくなった。水の漏れがさらにひどくなったのである。当初は向かって左側から漏れていたのが、右側からもしたたるようになったのである。こうなれば一刻の猶予も許されない。
だけど……。冷蔵庫を買うのは簡単だ。お金を払えば済む。しかし、今ある冷蔵庫をどうやって外に出す? これを外に出せなければ、冷蔵庫の入れ換えは不可能である。
では、冷蔵庫の配送担当に、まず古い冷蔵庫をダイニングの窓から運び出し、新しい冷蔵庫をダイニングの窓から運び入れてくれ、と頼めるか? 常識的に考えて、それは無理筋である。
私は頭を高速回転させた。高速回転させながら、メジャーを取り出した。窓からの搬出・搬入が無理なら、やはりダイニングの出入り口から入れるしかない。68.5cmを拒絶した入口の幅はどれだけあるのか、を測るためである。大凡67.5㎝。つまり、冷蔵庫の出し入れにに1㎝足りない。
「やっぱり無理か」
諦めかけた。だが、ここで諦めたのでは冷蔵庫は引っ越しまで新しくならない。水が漏れ続ける。妻女殿の機嫌は尖ったままになる。さて、どうする?
ふと気が付いた。ダイニングへの入口にはドアを支えるフレームがあり、そのフレームにはさらに、ドアストッパーとして見た目1㎝ほどの出っ張りがある。
「この出っ張りが外せたら?」
思い立った私は、この出っ張りがなかったときの幅を測定した。約69センチ。えっ、それなら冷蔵庫が通るじゃない!
だが、である。この出っ張り、外れるのか? 外れるとして、どうやったら外すことが出来る?
簡単な工事なら、この程度のドアストッパーはフレームに釘付けする。であれば外すことが出来る。ここもそうであってほしいと調べたが、釘を打った形跡はない。何か特別な構造でストッパーはフレームにつながっているのか? さて困った。
こうなれば専門家に頼るしかない。いったい、ドアフレームに取り付けられたドアストッパーはどのように取り付けられているのか?
この家を管理する不動産屋に電話をした。
「そもそもこの家は作りがちゃちい。だから、引っ越したときも冷蔵庫はダイニングの窓を取りはずして搬入しなけばならなかった。その冷蔵庫が買い換えざるを得なくなったが、冷蔵庫を運んでくる人達は、窓からの搬入なんてやってくれるはずながない。だから、ドアストッパーを外したい。付き合いのある大工に見てもらってストッパーの取り外し方を教えていただきたいので手配して欲しい」
誠に理屈が通った話だと思うのだが、世の中、理屈が通っているからといってそのまますんなりと受け入れられるわけではない。我が家に立ってきた不動産屋の若い女性は
「ああ、そうなんですか。でも、やっぱり窓から……」
の姿勢を崩さない。そもそも、こんな使いにくい家を仲介した責任は全く感じないらしい。
「そんなことまでやってくれるところがあるか? とにかく、大工と話してみて欲しい」
と追い返したのだが、2日たってかかってきた電話では
「大工さんに聞きましたが、やっぱり窓から入れて欲しいと……」
私の理が通った話など意に介さない様子である。そもそも、現場を見もせずに、ストッパーを外すなんて出来ないという大工って、なんぼのもんやねん!
「現場を見てから判断しろよ、と大工に言ってくれる?」
とは返したが、そうか、不動産屋でもこの事態を打開出来ないか。あと一思案がいる。
思いついたのは、私が「天才」ではないかと高く評価するからくり人形師(本業は看板屋さん)佐藤さんである。
「私、知識はないけど、知恵はある」
と自称する人で、事情を話すと
「すぐ行きます」
やって来ると、現状を見るなり、お好み焼きを作るときに使うへらみたいな道具を車から取り出し、ドアフレームとストッパーの間に打ち込み始めた。
「ああ、やっぱりね。これ、ボンドでくっつけてあるだけだわ」
ものの10分もすると、左右のストッパーが外れ、
「大道さん、これ、後でボンドでくっつければいいから」
おいおい、専業大工が
「無理」
といったのを、揃うと大工の佐藤さんはわずか10分で解決してくれたぜ!
こうして私は、安心して冷蔵庫を発注したのである。以上が9日の出来事だ。PANASONIC NR-F516MEX-W。古い冷蔵庫の処理料込みで24万円ちょうど。その真新しい冷蔵庫が届けられるのが今日11日の午後であった。
今日、午前中は仕事で外に出た。昼近くに戻り、冷蔵庫が届くのを待つ。待っている間に、何となく心がざわめいてきた。
「ダイニングの入口、本当に冷蔵庫が通るんだろうな?」
心がざわめいたら、鎮めなければならない。私は、処分する古い冷蔵庫をキッチンの奥から引きずり出した。この古い冷蔵庫がダイニングのドアフレームから出て行くことが出来れば、新しい冷蔵庫も入ってくれるはずである。
ズルズルと引きだし、ドアストッパーとドアを取りはずしたダイニングの入口に持って行く。さて、ここを通るのか?
結論から言うと、通った。通ったのだが、左右に残った隙間は、見た目1㎜。つまりほとんど隙間はなかった。だが、通ったのである。もう不安はない。
そうそう、不動産やの担当女子社員から午前中に電話があった。
「大工さんにもう一度話しましたが、やっぱり窓から……」
本当に話したのかね。大工はやっぱりそう言ったのかね。この娘、私がいったことを理解しているのかね。本当に大工に電話したのかね。
「問題は自力で解決したから、もういい。だけど、大工の選択はもう少し考えた法がいいんじゃない?」
とお答えした。
まあ、そういう流れで、本日、我が家の冷蔵庫が新しくなった。台所にはほとんど立ち入らない私だから、使い勝手は解らないし、性能の程も不案内である。
ただ、一つだけ変化があった。妻女殿の機嫌がすこぶるよろしい。
それだけが救いのような一日であった。